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【2020/05 狂濤Ⅱ】①
《第三週 月曜日 午前》
二件目のご遺体の状態が河川で発見されたもので非常に悪いものだった。造影や生理学的検査は一件目の対応前に回しておいたのでその結果が出てから取り掛かった。状態が悪くなった理由と死因は別でそれぞれの鑑別を要することが検査でわかっている状態であった。
腎臓や肝臓や骨髄からはプランクトン類の検出はなかった。つまりご遺体自体は水中で見つかったものだが、溺水ではない。そして、血液の状態からおそらく腎障害があったものの全く治療を受けていない状態、そして慢性的な高血圧状態にあったと思われた。肝臓の数値もよくなく、アルコールも検出されている。亡くなった要因があるとしたらここだろうという目星はすぐに付いた。
目立った外傷はなく、骨や骨格筋の損傷も写っていない。但、MRIに底部に血液または血腫と思われるものが写っておりこれを鑑別するよう指示がついていたので少なくとも一旦頭と咽頭部は開ける必要があった。大きくはないが静脈瘤がみられるとも書いてあった。しかし破裂の形跡はないようなのでそれ自体が直接の死因となったわけではない。
すでに死後硬直が寛解した状態で見つかっており少なくとも5日ほどは経っているので作業自体はしやすいものの、全体がいわゆるふやけた状態なのでどう触っても脱落は避けられない。慎重に操作したが、殊更薄い首周りの皮膚は脱落は避けられなかった。頭皮と頭髪も辛うじてくっついていたが開けるためには剥がさざるを得なかった。
舌根部が落ちているため気管内の水分の侵入はほどんど無く、食道内にも土砂や泥の流入はないのでやはり溺水とは考えられない。絞扼した形跡や毒物薬物による反応などもないため自死は考えにくい。
髄液に血性がみられるため頭蓋内で出血があったことは確実なので開頭し出血像のあった底部を確認する。出血部が硬膜とクモ膜の間なのかクモ膜下腔なのか、血液か血腫か。結果としては硬膜下に血腫が固着しており発生から48時間以上経過、その凝血の一部が融解を始めているので凡そ72時間弱といったところだ。静脈瘤は確かに存在したが、静脈瘤が破裂損傷した形跡はない。
通常は硬膜下血腫は外傷がもとで起きることが多いが、厄介なことに受傷後数ヶ月前から無症状のまま形成され、当然リミットが来て急変することがある。今回はこのパターンだろう。あとは意図的に遺棄されたものか、事故的に落水したものか、身元が判明するかしないかでまた手続きや提出書面が変わってくるのでそれは臨場した管轄署からの連絡を待つしかない。
片付けとその場合の処理は南に任せる。おれは早く戻って授業の準備をしないと。着ていた術衣を捨て、スクラブを脱いで回収用の袋に入れ、シャワーブースに入り手早く全身を流す。ご遺体の状態に応じて厳重に防護しても、ご遺体の纏っていた臭気がある程度移っているのがわかる。持込で用意していた香りの強いシャワージェルで繰り返し洗い、髪の毛も二度洗いした上でトリートメントを塗布して暫く馴染ませてから流した。
ロッカーに戻って時計を見るともう11時を回っている。おそらく今回は先週話した内容と昨年度の同じ時期話した内容を確認して、昨年使った資料とテキストベースで話を進めるのがやっとだ。新たな情報を調べて追加して話すまでは難しい、具体的な事例をいくつか話して場を保たせてそこは次週に回すか。乾燥を防ぐために大量に使える安価な化粧水を吹き付け、強い百合の香りのボディローションを馴染ませる。より乾燥しやすいところはベビーオイルとプロペトを塗った。
一通り服を着直して手鏡で乱れがないか確認し、スマートフォンを手に取る。LEDが点滅し、長谷からのメッセージの通知が表示されている。
「芝公園で大石先生に会いました。勝手に外出してすみません、現在は構内に戻っています。午後お会いしましょう。お待ちしています。」
は?なんで?何勝手に仲良くなってんのこのひとたち。
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