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【2020/05 狂濤Ⅲ】④

「先生は、小曽川さんが連れてこられたときうわ~って顔してたって言ってたじゃないですか、アレはなんでですかね。やっぱり直接優明さんの今の家庭には関わりたくなかったんでしょうか」 でも、そうだったら態々訪問したり、ケーキやプレゼント贈ったり、仕送りしたりなんかそもそもしないか。先生なにげ優しいし、単純に一人で自由にやれる環境のほうが良かっただけかも。 「おれが先生のところ送り込まれたのって半分監視も兼ねてるんだよね。それを察したところはあるんじゃないかな。実際学校出た後をつけたこともあるし」 デザートが到着した。数種類のフロマージュの取り合わせに、それぞれに合わせたクリームやソースが添えられている。飲み物はふたりとも紅茶にした。そのまま一口いただくと、チーズの香りがふわっと広がり、口の中で解けていく。 「正直、知ってても誰にも報告しないで自分の中に仕舞ってることもあるよ」 熱い紅茶で一旦口の中を流して、他の種類のもいただく。抹茶と小豆を使った和風のものと、可愛らしいピンク色のベリー系のもの、どちらもそれぞれにおいしい。抹茶のはほろ苦めだが混ぜてある甘納豆の優しい甘さが有り、ベリー系のは甘酸っぱくスッキリしている。 「でね、だからね、長谷くんやっちゃったもんはしょうがないんだけどさ、あんまあの人に熱上げたらだめだよ。本気になったら苦しむよ」 ごめんなさい、小曽川さん、おれもそれ以外にもまだ言ってないことがあります。先生と同棲するつもりです、割と本気ですなんて、流石に言えない。あと、説得を手伝うって言っちゃったけど、どうするかまだなんにも考えてない。 「ですよね、でも、先生の抱えてる苦しみに比べたら、大した苦しみじゃないですよ、多分」 そう言うと、小曽川さんは食べかけていた一口を置いて、顔を上げて真っ直ぐにこちらを見た。 「どうしました?」 「いや、なんでも。手遅れだったか~って思って」 手遅れ。まあそうだ、手遅れだ。相手のバックグラウンド考えたり、知りたいと思ったことはなかった。先輩に脅され、金品を強要されるようになってからようやく周りの噂や忠告を信じられるようになって捨て身で告発した。あのときも手遅れだった。 「まあ、説得していただく代償として、ここの食事はおれがおごりますから」 全て食べ終えて一休みしていると、小曽川さんのLINEに優明さんから仕事が終わったとメッセージが届いた。待っているという改札口へ向かう。その人は小曽川さんの姿を確認するや、両手を上げてぶんぶん振った。 想像よりうんと小さい。先生と同じくらいの背丈を想定していたが、おそらく150~155cmくらいしかない。人混みに紛れたら見失ってしまいそうだ。しかもぺたんこの靴で、斜めがけの鞄。服も微妙に袖や裾が余ってオーバーサイズに見える。 「優明おつかれ~ごはん食べた?」 「ううん、まだ。お兄ちゃんこの方どなた?」 30cmほども身長差のあるおれを見上げてキョトンとしている。やや横に長い奥二重で黒目の大きい眼、形の良い鼻、薄い輪郭の少し曖昧な唇。そこから覗く小さい前歯。緩やかなカールがかかったセミロングの黒髪。驚くほど先生に似ている。 但、先生は二重だし、もっと骨ばってるし、違うんだけど、明らかに共通のものからできているのがわかる。 「この人はねえ、今うちの研究室に見学に来てる警察の鑑識さん。一緒にご飯食べてきたの」 鞄の中からいそいそと名刺入れを取り出して「小曽川優明です、近くのこの会社で商品企画やってます。お兄ちゃんがお世話になってます」とお辞儀した。 「優明?お兄ちゃんはこの人を寧ろお世話しているんだけど」 不服そうな小曽川さんを他所に、おれも内ポケットから名刺入れと警察手帳を出して、名刺を一枚わたして警察手帳の中の認識番号と写真付きの証明を見せる。 「高輪署の刑事組織犯罪課の長谷久秀と申します、鑑識なりたてです」 「わー、本物だ~。お兄ちゃんと何食べてきたんですか?」 ステーションホテルのラウンジでフルコースディナーを楽しんできたことを告げると「お兄ちゃんずるい…優明もお高級なディナー食べたかった…」と項垂れた。 「顔合わせのときまたそこで食べるからいいじゃん、下見だよ下見~」 小曽川さんは優明さんの背中をポンポン叩いて「じゃあ長谷くん、今日はこの辺で。また明日お待ちしてますね」と言って、兄妹で頭を下げて改札の奥に消えていった。

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