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【2020/05 命令】⑦
明け方、母から連絡があり、直人さんのところから父がいる病院までタクシーで急行した。到着する頃には危機は脱していたが、一時は呼吸が止まりかけチアノーゼが出ていたらしい。
深夜から付き添っていた母には自分が様子を見ているし、何かあれば呼ぶから一旦サ高住戻って休んでおいでと伝えて、見守りを交代した。建物はすぐ隣だ。そして何より、ここは養父母が経営している病院でもある。
しかし、二人とも随分筋肉が萎えて骨が衰えて、本当に小さくなった。母もおれと同じくらいの身長があったはずなのに、こないだ手をつないで並んで歩いたら、母がやや下からおれを見上げるような状態になっていた。
おれはきっと此のふたりから、たくさんのものを奪って養分にして生き延びてしまったんだと思う。
こないだ母に会った帰り道、新宿を急ぎ足で歩いていたのは、こんなやさしい人が迎えてくれたのに、おれはなんでちゃんと頼れなかったんだろう、なんで裏切るようなことしたんだろうと、自分を責める気持ちでいっぱいになっていたからだ。
あのとき長谷に捕まえられなかったら、また誰かのところに押しかけたり、引っ掛けられに行ったりして、乱倫に耽溺していたと思う。
まあ長谷は長谷で思ったとおり体力が半端なかったけど、基本的には優しかったし、楽しかった。自暴自棄になって知らない相手にめちゃくちゃに扱われるよりはまだ全然マシだろう。
てか、本当に長谷、おれと一緒に暮らすつもりなんだろうか。ハルくんの時みたいに、或いは養父母と暮らしたときそうだったように、結局また勝手におれが自滅して心が折れてしまいそうで、人と暮らすのは怖い。
何より、どんなに大事に思っていたって、奪われてしまったら全部終わりだ。そんなことがもし再びあったら、今度こそ自分は正気を保てなくなる気がしている。
自分が大事だと思う存在は出来る限り減らしておかないと、気持ちの面でも、物理的な面でも、距離をとっておかないと、何かあったときおれはだめになってしまう。
午後になると母が戻ってきたので改めて交代して、大学に戻ることにした。
「じゃあ、何かあったら連絡して」
出口に向かうと、部屋を出る直前、母に呼び止められた。
「玲くん、こないだも言ったけど、わたし玲くんのこと怒ってないのよ。お父さんだってきっと怒ってないから、意識がはっきりしているうちに、もっと会ってあげて。ほんとに怒ってたらあなたの学費や研究費用、こんなに頑張らなかったと思うよ」
「わかってるよ、暫くはスケジュール詰めすぎないようにするし、今日また終わったら来るから」
エントランスに降りて、車止めでタクシーを拾って乗り込む。スマートフォンを確認すると、長谷から返信が来ていた。
「お父様の様子は如何ですか。その後報せがないので心配ですが、ご連絡お待ちしています」
そこから3行ほど下に「今目の前で小曽川さんががお弁当を食べているんですが、見るからにおいしそうでつらいです」と書いてあって、上の行との落差で吹き出してしまった。
戻ったらどうでもいいことを話して少しゆっくりしたくなった。途中で降りてデパ地下で何か買っていってやろう。運転手さんに大学ではなく一旦銀座で降りたい旨を伝えて、長谷に「今から戻ります」と返信した。
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