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【2020/05 友よ】⑩

「長谷くん普段飲まない人?無理しなくていいからね。体質の差だからこういうのは」 春らしい黄色や黄緑色の細やかな衣を纏った練り物、鴨肉を包んだ蒸し物、湯葉と貝と桜の花の浮かんだ吸い物、キンメダイの昆布締めにフグの薄造りと、シンプルだけど確実に旨いものが立て続けに出てくる。運ばれてきたそれらをつまみながら、優雅に酒を嗜む姿は只々かっこよかった。 特に目立つ顔立ちではないし、飛び抜けて美しいわけじゃないけど大石先生も相当整った顔だと思う。心做しか、テレビに出てる人でこういう顔立ちの人を知っている気がするけど、普段あまり見ないしいちいち覚えてないから名前が出てこない。まあいいか。 「お気遣いありがとうございます、藤川先生ともこうやって飲まれるんですか」 「いや、玲そもそもあまり食べられないし、あの状態じゃ酒も良くないから付き合わせられないよ。事件のこと調べたなら少し知ってるかもしれないけど、玲は飢餓状態だったことで非アルコール性脂肪性肝疾患、NAFLDというものを抱えている。これが肝炎、NASHという状態に陥らないようにするために高脂血症や糖尿病の治療に使うような薬を投与されてる」 あの状態?食べない、食べられないというのは小曽川さんに聞いているからわかる。やはり健康な身体ではないということか。予想はしていたから、特に驚きはないけど少しショックではある。慢性的な飢餓状態から回復しきれないのはもう、これからもずっとそのままなんだろうか。 「アキくん、なんとなくたまに甘い匂いがするだろう。あれはケトン臭だよ。食事したときは特にわかりやすく出る。普段はファスティングに近い食生活だからあまりしないんだけど、それでも少しはするよね」 ファスティング。ジムとかでたまに耳にする言葉だ。ドリンクなどで必要最低限のカロリーと必要な栄養素は摂取し、あとは食事を摂らないという所謂「断食」的なものだと認識している。でも、そんな身体でそれをほぼ毎日その状態で、長年ってことは問題がないんだろうか。 「それって問題ないんですか?」 「問題と言えば問題なんだけど、他の問題との兼ね合いもあって、そうとも言い切れない。一旦飢餓状態になった者を回復させるのも、只ふたたび栄養を与えてやればいいというものではないんだ。十分な食事ができなくなって長いと、急激に高栄養なものを摂取することが命を脅かすおそれもある」 部屋に再び担当の方が来て、水炊きの準備をしていいか尋ねる。先生が「長谷くんが良ければ」というので運んでもらうことにした。空いた器を下げて部屋を出ていくのを確認してから改めて先生は話を再開した。 「だから玲にとって食事をするってことは、普段は大して旨くもなくて、あまり量欲しくならなくて、そこそこの量で必要なカロリーや栄養とれるものでとる作業をする、くらいの感覚だと思う。付き合いで食べてることもあるけど、あとで吐き戻してることが多いんじゃないかな」 知ってたら目の前で食べたり、食べ物迂闊に買ってくるべきじゃなかったのかも。悪いことをしてしまった。先生はお母さんや小曽川さんと食事したとき、どう思ってたんだろう。食べることに罪悪感を抱えていたり、食べられない自分に傷ついていたり、してしまっていないだろうか。 聞くほどに、先生の身体状態や、心理が気になってしまう。顔に出ていたのか、大石先生はおれの顔を見て「鍋の準備ができるまで、休んでおいでよ。おれは一人でも大丈夫だから」と言ってくれた。おれはスマートフォンを手に廊下に出て、ちょうど行き合わせた担当の人に一旦庭に出たいと伝えた。

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