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【2020/05 道連れ】③

おれと先輩が出会ったのは学部3年、本郷キャンパスに通い始めて間もない頃だ。 法学部と人文科学関係の学部の校舎は銀杏並木通りを挟んで向かい合わせになっており、名称も法文1号館と2号館となっていて、更に脇に3号館もある。うちの学部の入っている2号館の地下には中央とは別に昔からある小さい食堂があり、先輩とはそこで出会った。 たまたま或る日の昼に斜め向かいになっただけだったのだが、おれはふと顔を上げたとき先輩の顔を見て固まった。記憶から抹消され、写真と著書でしか知らない自分の実の父親、その若い頃にとても似ていたのだ。 人をジロジロ観るものじゃないとはわかっていたが目が離せず、黙々と丼ものを食べるのをじっと見ていたら、流石に途中で先輩も気になりだしたのか、食べ終えたところでおれに声をかけた。 「どないしたん?君えらい食べへんな、腹減ってるんちゃうの。なんかおごろか?どこの子?何年?」 お国言葉で矢継ぎ早に言われてぽかんとしていると、先輩は「そない鳩豆鉄砲食ろうたような顔せんでもええやん」と笑って言った。 そして「ちょいまってな」と言って何も頼んでもいないのにケーキセットをもらってきておれの前に置いて、頭を撫でた。ファーストコンタクトからそんな調子だった。 憶えがないのだが、どうやら先輩が言うにはその瞬間おれは無意識に先輩に向かって「お父さん」と言ったのだそうだ。 名前と所属と連絡先を交換したら、先輩は一浪してて当時は修士1年で23、おれは1年早く進学しているので19だった。そのときはそれで終わったのだけど、先輩はその後も事あるごとにおれをここで捕まえては誘うようになり、プライベートでも一緒に過ごすようになり、やがてそういう関係になった。 先輩にはそうなる前に、自分は売春をしていてパトロンが居ること、中学時代の同級生が家に里子に入っていてその子とは行き来していて肉体関係があること、事件があって血が繋がった家族は居ないこと、今の家族はステップファミリーで両親は治療者であることなど、概ねのことは話していた。 先輩はそれについても「そうか。まあ、構わんよ」と言い、段は人前ではおれのことを玲と呼び捨て、二人きりのときは身内が呼ぶようにおれのことをアキくんと呼んだ。おれも人前では先輩と呼んでいたが、二人きりのときは無意識にお父さんと呼んだ。 付き合いは先輩が修士を終えて司法試験予備試験に合格するまで続いた。司法修習生になったあと、司法修習考試(いわゆる司法試験、二回受験がある)に合格して、法務省が実施する採用試験に合格して検事になって、その後退官して弁護士になってからようやく再会した。 再会して暫くして元のように肉体関係を持ったが、先輩は間もなく結婚した。それ以降はほとんど連絡はとっておらず、会うのは父が病に伏せるようになって成年後見人制度を利用するための手続きの相談をして以来だ。先輩が独立してからは全くの没交渉だった。 にも拘らず、個人として再会した途端このざまだ。 「先輩は、今回おれが何相談したかったのかとか、訊かないの」 「そんなん後でええて、面倒な話なんやろ」 バスルームで一度交わったあとベッドにうつ伏せで倒れ込んでいると、先輩は覆いかぶさるようにおれに抱きついて囁いた。

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