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【2020/05 消失】④
よくわからないけど、先生にとってはある意味大事な存在だったんだということは、なんとなく察した。征谷という男も、その、ふみと呼ばれている人も、表立って言えない間柄とはいえ、先生が学生だった頃からずっとの付き合いで、先生の人生においてはきっとかなりのウエイトを占めていたはずだ。
逆に向こうにとっても、そう簡単に、契約していた本人が死んだからといって直ぐもう関係ないと切り離せるようなものでは、互いに無くなってしまっているのではないか。着信拒否するなりブロックするなりしていなかったのはそういうことなんじゃないだろうか。
「先生にとっては、征谷さんもそうですけど、その、ふみさんも、大事な…先生にとっては必要な存在なんですよね?」
おれが問いかけると、先生は少し俯いて力無く言った。
「どんなに大事に思ってたって、失ったら、奪われたらそこでお終いじゃないか」
それは本当にそうだ。でも、先生に言われると重さが違う。
身近な殺されるなんてこと自体そう起こることではない。不慮の事故に因る死でさえ、そうあることではない。でも、先生は既に二人、いや、実質三人亡くしていて、ここにきて更に一人喪っている。その事実を踏まえれば、この言葉はあまりにも重い。
事件に関するインターネットの情報の断片や記事、調書や資料、ご家族の遺した写真や記録。それらの内容と、それらを目にしたときの気持ちのざわつきや衝撃が蘇ってくる。そして周りの人たちの言う、事件の後の先生がどう生きてきたのかという証言も。
でもまだおそらく、おれは大まかな流れと、一部の人から見た、そのうちのごく一部の話しか知らない。しかも、それらについて先生自身からは、まだ何も語られてはいない。よく考えれば、事件についてどう思っているのかさえ、おれは何も知らない。
おれが事件のこと調べていることについても一度しか咎めるようなことは言わなかったし、仕舞ってあるものを漁ったりすること自体も強く咎めなかった。自身の現在の家族関係や交友関係については隠さず話してくれた。でも、それでも先生自身からは、事件のことだけは何も。
記憶には残っていないはずなのに、数十年経って尚も蘇って強制的に再体験させられるほどのこと、なのに、何も。
「ですよね、だったら、せめておれは、先生に、見送らせるようなことは」
そこまで言ったところで、言葉が出なくなった。急に泣き始めたおれに気づいた先生が顔を上げる。
「おれに信仰とか信心はないけど、お前のことは信じるよ」
そう言って床に手をついて、再びおれに近づいて顔を寄せると、続けて先生はこう言った。
「でも長谷、泣くならもっと肝心なときに、自分のために泣きなよ。てかさ、おれはまだお前のこと殆ど知らないけど、お前、自分のために今までちゃんと泣いてきたか?」
おれは、先生は高校時代のことや警察官になった経緯こそ少し飯野さんから聞いているとはいえ、それ以外のおれ自身のことや、おれの過去については興味がないのかと思っていた。
まさか本当にカラダ目当てとまでは思っていなかったけど、単純にまるっきり自分とは属性の違う年下のおれのことを面白がって弄んでいるだけなんじゃないかと思うこともあった。
でも先生には、おれが何か心に抱えているように見えていたんだろうか。
「先生、おれ、ダメなんです。自分のためにとか、自分のことでって、泣けないし、考えられないんです」
「それは、いつから?」
いつからだろう。思い返せば、泣きたい気持ちになることは何度もあった。でも、いつの間にか、気がついたら誰にも言えなくなっていた。
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