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【2020/05 潜伏】⑤
「緒方先生、やっぱまだおれのこと好きなのかなあ」
「そりゃあ…今までも藤川くんの都心で仕事したいって希望とか、異業種と協働で研究したいとか、小曽川くん助手に置くって話とか、イレギュラーなこと全部上に掛け合って無理やり通してきたわけですし、住まいだって提供してますし、直接そういう関係にはならなくともなんとしても自分の手元に置いておきたいんじゃないでしょうか」
緒方先生は、おれが後期研修の途中で急に路線変更して入ってきたとき、この学校に来る前やってた研究と組み合わせて元々の分野で既に専門誌などに寄稿したり論文書いてたことを面白がっていろいろ訊いてきてた。それまでいたところが割と淡々とした人間が多い感じだったので最初は正直鬱陶しいなと思うこともあった。
だけど、最初に作業を見学させてもらったときに見る目が変わった。しかも緒方先生は救急から転向してこの分野に来たという。ハルくんとは真逆のルートなので興味が湧いて率直に伝えたら、緒方先生はハルくんのことを知っていて少し話が盛り上がった。そしてそのときにこんな事を言った。
「院内や救急で亡くなるのは運がいい場合だけ、亡くなってから見つかることは多い、亡くなる前の精神面の状態だって無関係じゃない事が多い、できるかぎり横断的に他分野の経験がある人間を引き込んでいきたい、全体の連携を深めることが重要と考えている、だからお前のことも頼りにしている」
素晴らしいことだとは思ったけど、あまりに理想論すぎないかとも思った。しかも、今もだが基本的におれは誰かと協働するということには不慣れで、当時は本当に正直どうしたらいいのかわからなかった。でも、緒方先生は「お前がやるべきだと思ったことと、目の前の依頼を誠実にやってくれたらそれでいい」と言ってくれた。
修士博士と進みながら実務に携わる中で、緒方先生の交渉力とか密なコミュニケーションに随分助けられて、そして鍛えられてだいぶマシになった。ハルくんは面白くなかったみたいだけど、おれにとっては重要な経験になった。
明確にそういう感情や目線を向けられたことはなかったが、そのバックボーンとして随分と入れ込んで目をかけてもらった部分は確実にある。おれに付き纏う不穏な噂と、それに絡む憶測なんかからも、ずっと守ってくれていたと思う。
「長谷くんのこと、今度はまあ随分と若いの誑かしちゃって…って呆れ顔で言ってましたよ」
「はは、バレてたか」
戻って顔出したらチクチク言われそうだけど、事実だからしょうがない。あの物件で一緒に暮らすって言ったら出てけって言われるかな。それはそれでしょうがないか。
などと考えていたら、座っていたはずの小林さんが上からおれの顔を凝視している。
「藤川くん、今日会ってからずっと変にニコニコしてる気がするんですけど、その、パトロンの方が亡くなってからちゃんと泣きましたか?」
あ、鋭いところ突いてくるなあ。女の人ってそういうところよく見てるよな。
「いや、悲しむという感じじゃないような気がしてまだ…てかさぁ」
ゆっくりと上体を起こすと、小林さんが後ずさって再びベッドに腰を下ろした。
「おれ、まだ誰か死なせちゃうのかな…って思って。まあ、お父さんは寝たきりになってそこそこだし年が年だから覚悟はしてるけど、そうじゃなくて、もしかして次は他の誰かがって思うと、やっぱりおれはあの時死んでおかなければいけなかったんじゃないかなって」
そう言うと、小林さんは少し悲しそうな顔で小さい声で言った。
「藤川くんの周りで誰が死んだって、それは別に、藤川くんのせいではないですよ」
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