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【2020/05 潜伏】⑧

すると、トーク画面が消えて通話の呼び出し画面になった。長谷からの着信だ。急いで立ち上がってユニットバスに駆け込み、ボタンを押した。まさかのビデオ通話だった。ドアの外からはドライヤーの音が聞こえている。 「もしもし、先生?おれです、急にすみません。今いいですか?」 「うん…」 窓辺で朝の光を浴びて長谷の目は縁に青が滲んだような色をしていて、でも少し疲れていて上瞼が窪んでいる。頬の雀斑は光で飛ばされて殆ど見えない。それでも、本物の長谷だった。おれの表情に気づいて急に慌てている。 「えっと、どうしよ…あの、おれも会いたかったので…せっかくなんで使ってみたんですけど…ちゃんとできてるかな…」 「大丈夫、ちゃんと見えてるし聞こえる」 目元に溜まった涙を指先で拭って払いながら言うと、ふわっとした優しい笑顔になった。その笑顔のまま、答えづらいであろうおれの投げた質問に答えてくれた。 「あの、質問の答えですけど、まだ、受け入れられたわけじゃないんです。やっぱり悔しくて、後悔しかなくて」 「あと、おれも風俗頼って生きてきた人間なんで人のことどうこう言えないです。だから先生に必要なら、しょうがないのかなって」 ああ、本当にいい奴だな。 「お前はいいの、おれがこんな奴で」 「こんなとかそんなとか、自分を貶めなくていいんですよ…そんな顔されたら傍に行って先生抱きしめていっぱい甘やかしてあげたくなっちゃいますよ」 甘やかしてあげたいのはおれも同じだ。なんとなく照れくさくて目を逸らしてしまう。 「とりあえず帰るまで待っててよ、戻ったらまた扱き使うと思うけどさ」 このあと、朝食を食べに降りること、送迎が来て安置場所で検死にあたることを伝えて、終了時間はまちまちだが前半は遅くまでかかると思われること、ほぼ毎日同じスケジュールであることと、交代で半休なり全休の日を取ると思うのでその際は連絡することを伝えて通話を終えた。 バスルームを出て部屋に戻ると、小林さんはドライヤーの電源を落とした。多分会話を聞かないようにしていてくれたんだろう。聞き耳を立てるようなことをしないところに品の良さとか育ちの良さを感じる。 「朝ごはん、食べに行きますか?朝はバイキング形式で、わたしたちは晩ごはんは多分間に合わないからお弁当用意しておいてくれるらしいですよ」 「うーん、朝は自分が食えるものだけ取ればいいから良いけど、弁当だとおれは食べられるモノない率が高いんだよな…最悪持ってきたカップ麺でも食うかぁ…」 送迎の時間もあるのでおれたちはできるだけ簡単に食事を済ませた。でも元々食べる量が多くないこともあって食べ終わって部屋に戻って、歯磨きを済ませて、持っていくものを準備しても十分送迎まで余裕があった。 「魚肉ソーセージの入った甘い卵焼きおいしかった…あれ毎日出るかな…」 「藤川くん、ダメなものは絶対手を付けないし除けるし、気に入ったものは毎日それメインで食べたがりますよね…てかせっかく地方来たのに名物的なもの手を出さなかったですね…」 「未知のものにあまり挑戦する気にはならないんだよなあ…特に食べ物に関しては…」 他愛のないことを話しながらロビーで送迎の車を待っていると、玄関前に到着したワンボックスから知った顔が下りてきた。うちの法医学教室にいたけど博士取らずに離脱して歯科大に入り直した法歯学に行った新村くんだ。 「なぁんだ、にーにーかぁ~」 「なぁんだってなんだよ、相変わらずだなぁ。おれら3人でチームでやることになってるって小林さんから聞いてないの?」 言われてみればそんなことも書いてあった気がする。 「よかった、藤川くん少し元気になってくれて」 小林さんがはにかみながら言うと、新村くんが「え?何?おれのおかげでってこと?」と調子づいて顔を覗き込んでくる。それを遮るようにスマートフォンの画面を出してみせた。 「これ、ほら、おれの新しい彼氏」 トーク画面を見て新村くんは「はは、ほんと相変わらずっすね、泣かしちゃダメですよ」と笑った。

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