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【2020/05 冀求】⑲
「長谷さ、おれはまだ暫く帰ってあげられないけど、本格的に勤務始まる前にさっさとそこ引き払って早くうちに引っ越しな。危ないから、できるだけ早く。予備の鍵借すように言っておくから」
おれが言うと、長谷が「その、予備の鍵って、誰が貸してくれるんですか」と訊く。
「おれから言っておくから、お母さんに借りなよ。お母さんの家一回行ったろ?今お父さん入院してて1つ余ってるから2つ持ってる。午前中か夜だったら多分だいたい居るし大丈夫」
念の為あとで住所と地図とお母さんの電話番号送ることを伝えてから、おれは改めて長谷に言った。
「本当はおれも会いたい。すぐにでも戻ってあげたいけど、ごめん。ちゃんと無事に戻るし、お前に迷惑かけないようにするし、安全に暮らせるようにするから、うちで待ってて」
そう伝えている途中で、長谷がティッシュを引き抜いて容赦なく音を立てて鼻をかみだしたので声を出して笑ってしまった。いきなり緊張感が削がれた。
「わかりました…先生ひどい、笑わないでくださいよお…」
長谷の声が脳内で、体の成長を見込んだぶかぶかの分厚い毛皮の包まれたまるっこい大型犬の仔犬の姿にアテレコされる。太い割に力ない脚でヨチヨチ歩きながらしょんぼり顔でこちらに向かってくるのが見える。
「正直、先生と出会ってからまだ2ヶ月程度なのに色々あって、おれは戸惑ってるところもあるんです。けど、先生は落ち着いてて、頼もしくて、やっぱりおれよりずっと大人なんだなって感じます」
脳内でそんなアバターにされているとも思わず言ってるだろうけど、そんなこと言われるとヨチヨチ歩きのその仔犬を抱き上げてぎゅっとハグしてあげたくなる。おれはおれで、歳の割に幼さのある長谷に少し勝手に癒やされていると思う。
「そんな事無いよ、見ただろ、おれが夜中飛び起きてってそのまま玄関で気を失いかけてたの。一緒に住むようになったら多分色々大変だぞ、ハルくんかなりやられてたし」
「でも、大石先生と暮らしてた頃からは時間が経ってるじゃないですか、それに、おれは大石先生じゃないですしわかんないですよ」
さっきまで泣いてたのに、なかなか強気だなあ。
「うん、まあ、それはそうなんだけどさ。そうだ、ちょっとわかってればでいいんだけど、質問していい?仕事のことで」
「え、なんですか?急に」
今日疑問に思っていたことを、実際に他の現場で起きたことがあるということは伏して話してみる。
「災害現場で体が不自由だったり寝たきりだったりで避難間に合わなくて死んだと思われてた人が、実は故意に取り残されて死んだり、介助者が死なせてた場合って、警察はどう処理してるのかなって話が出てさ」
「あぁ~…そういう事が起きる可能性、無くはないですよね…どうなんでしょうね、おれ最初数年居た離島の署で多少の台風被害みたいなの経験したくらいで、そういうのなかったです。戻ったら機動隊に召し上げられて、その後病院近くの署で事務方手伝いながら介護と試験勉強だったですし」
うーん、やっぱ東京だと島嶼部でもそんな大きな災害はないしわかんないか。
「あとさ、内部の人間が外部の人間に頼まれて、部外者立入禁止の、個人情報扱うようなところに録音機器とか隠しカメラとか仕掛けた場合ってなんか問える罪ってあるんだっけかと思って」
「それだと、おれより寧ろあの先生の先輩のほうが知ってそうじゃないですか?元検事さんですし」
ああ、そうか。そうかもしれない。
「でもさ、ハルくんなんかは色々あって先輩のことメッチャクチャ嫌ってんだけど、長谷は先輩のこと嫌じゃなかったの?」
「嫌というかなんというか、霊安室の前でおれと大石先生に穴兄弟の同窓会みたいなこと言い出すからちょっと反応に困りました」
えっ、そんなことあったの?いつ?
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