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【2020/05 葬列】④

確かに対応としてそうなるのはわかる。 でも、今となっては聞き出すことは難しいが、お父さんにはまた別の理由があったんじゃないだろうか。 一言で言えば、引け目とか負い目のようなものだと思う。 そしてそれはおそらく、おれの記憶を総て吹き飛ばしてしまったことだ。 現代ではトラウマ治療についての研究が進み、EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)や栄養指導による緩和療法、代替医療を併用する手法など、服薬と心理療法以外の物理的アプローチによる治療法が開発された。 これにより、患者に原因となった出来事や詳しい状況を思い出させ語らせる等の精神的負担、二次被害からの二次障害の発症を招くリスクも少なく、安全で比較的短期間で高い治療効果が得られる物が増えた。 特にEMDRは1987年にFrancine Shapiro博士が発見したもので、心的外傷の原因となる強い衝撃を受けた場面を思い出しながら一定のリズムで左右に動かす眼球運動を行い記憶の情報処理を促進することでフラッシュバックなどの症状を減らしていく「身体的作用に依って脳=心の誤作動を補正する」手法だ。 それとは逆に、おれが自分の内面の反応の作動機序の解明に取り憑かれて却って心を病んだときに、まだ世に余り知られていなかったこの療法を喩えに出し「人に心を齎すのは脳で、脳も肉体の一部に過ぎない。きみは脳が優位になりすぎている。肉体、身体性というものに一度目を向けてみないか」と敢えて一旦切り離して見ることと、法医学への転向を勧めたのは当時精神神経分野での指導教官だった海野教授だった。 アレがなかったら、おれは記憶に引きずられて殺されることを、或いは自死を選んでいたと思う。 おれが治療を受けた当時は、まだ投薬が難しい未成年者への治療というと心理士との面談や心理療法に頼らざるを得ない状況にあり、それまで主に行われていたのはエクスポージャー法、つまり曝露療法だった。 曝露療法は行動療法である「系統的脱感作療法」の一種から発達した技法の1つで、現実エクスポージャー、想像エクスポージャー、持続エクスポージャー、内受容性エクスポージャー等複数ある。基本としては避けていた記憶や出来事、また、それにより生じていた不安や混乱そのものに曝露させる作業を繰り返し、それらを紐付けているものを慣れや治療者との話し合いによって消去し、恐怖を乗り越えることを目的としている。 【それは記憶に過ぎず、また怖いことが起きるわけではない、悪いことが起きたのは自分のせいではない】と思えるようになることが治療のゴールだ。 曝露療法にはそれなりにリスクがあるので、必要だからと言って決して無理に実施すべきではないが、そのままではいつまで経っても治療がはじめられないことになるので、現在では認知療法と組み合わせて認知行動療法として用いたり、第三世代の認知行動療法であるマインドフルネスと組み合わせて行うことが多い。 マインドフルネスもまた身体性が重視されるもので、過去の経験や先入観といった雑念にとらわれることなく意識を身体の五感に集中させ、「今この瞬間の気持ちと状況」をあるがままに受け入れることを目的としている。 つまりこれらを組み合わせることで「今此処にある自分」が「過去の自分の中の悪しき関連付けを断つ」ということをレシピエントに理解してもらった上で治療を進める。 しかし、マインドフルネスもまた1979年に仏教瞑想など応用した新たなストレス対策法として生まれたもので、トラウマ治療のために応用する手法はまだ一般的ではなかった。 そのため、トラウマ治療に関しては、そのときの詳しい状況や体験を思い出し、その時点に立ち戻って話す「想像エクスポージャー」が治療に用いられることが多かった。 そしておれは警察に供述する必要性もあったためこの治療を受けることになったが、その初期段階で、あまりに凄惨だったその状況や体験を追認することで、完全に心が壊れた。

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