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6 葬式②

「こうやって会うのはもうやめにしよう」    金曜日の夜、俺はそう切り出した。食事を終え、洗い物も終え、そろそろ風呂に入ろうかという時であった。成瀬は絶望したような蒼い顔で立ち尽くす。   「え……なに、言ってる意味が……」 「そのままの意味だよ。学校以外で会うのはやめようって言ったんだ」 「な……なんで? おれ、何かしたか? 気に入らないところでもあった?」 「違う。違う、けど、ただ……」    言葉に迷い、逡巡する。   「……ただ、ほら、考えてもみろよ。俺とお前、学校の教師と生徒なんだぜ? こんなの絶対、」    まともじゃない、と言いかけた瞬間、成瀬に掴みかかられた。しかし成瀬の方が身長が低いので、自ずと俺に縋り付くような形になる。そんな体勢を取ってもなお、成瀬は険しい表情で下から睨み付けてくる。   「そんな理由で、納得できると思うのかよ! だって、今までそんなこと、一言だって言わなかったじゃないか……」    鼻の頭が真っ赤だ。天の川のような瞳は今にも氾濫しそう。落ち着かせるように背中を摩り、座らせて炬燵に当たらせる。   「……おれ、まともじゃなくたっていいよ。始めっから、どうせまともじゃないんだし」 「……俺だって、こんなのは不本意なんだぜ。やるだけやって捨てるようなのはさ」 「やっぱりおれを捨てるんだ。あんた、酷い男だ」 「いや、うん……」    何とも言いようがなく、口籠った。何と言えばいいのか、嫌いになったとか飽きたとか捨てるとか、そんなんでは決してないのだが、しかし成瀬からしたらいずれにしろ同じことだろう。傷付けたり怒らせたり泣かせたりはあまりしたくない。    どうするべきかと考えあぐねているうちに、成瀬はとうとう泣き出した。声を噛み殺して静かに涙を零す。大粒の雫がまぶたの堤防を壊してぼろぼろと流れ出る。   「泣くなよ、困るだろ」 「泣いてねぇ……」    頭を撫でようとするも、ぱしりと手を跳ね除けられる。行き場をなくした手を彷徨わせ、辿り着いたのは自分の足首だ。俺はおもむろに靴下を脱ぐ。いきなり何してんだこいつ、という成瀬の視線を感じる。   「いいから、これ見ろよ」    左足の裏。小指の丸く膨らんだところに、俺もほくろがある。成瀬はこれを見るなりはっとして涙を引っ込めた。しかし事態が飲み込めないのか、うーんと首を傾げる。   「つまり……先生がおれの親父?」 「ばっ、ばっか、違ぇわ! お前が生まれた時俺まだ小学生だよ、さすがに無理あるだろ」 「あ、そっか」 「だから……俺もお前の親父の息子なんだよ」    成瀬は再度頭にクエスチョンマークを浮かべる。   「わからないやつだな。一昨日、俺がどうしてあんな辺鄙な土地に行ってたのか考えたことなかったのか?」 「どうしてって、葬式だろ?」 「誰の」 「それは……」    成瀬は口籠って俯く。   「俺もあの時、自分の父親の葬式に行ってたんだ。お前と同じなんだよ」 「じゃあ……」 「俺達は半分だけ血の繋がった兄弟だ」    成瀬は俯いたまますっかり押し黙る。目元に影が落ち、表情が読めない。   「俺の母親もよく言ってたよ。お前はお父さんと同じところにほくろがあるねぇ、ってな。ここを舐めるのが好きだったんだ」 「……本当に?」 「もちろん」 「そうじゃなくて、本当に、おれ達は兄弟なのか?」 「お前のお袋さんの言うことが本当ならな」    成瀬は深く溜め息を吐く。   「……本当だよ。おれが生まれた時、親父とお袋は一緒に住んでたんだ。おれは……おれも……」    五十嵐一の息子だ。成瀬は呟いた。そうだよ。俺も、その人の息子なんだよ。おそらく、だけど。でも母が嘘を言うわけがない。母の言うことを信じるなら、俺と成瀬は紛れもなく血の繋がった兄弟ということになる。    顔も声も記憶にない男のせいで人生を二度も大きく振り回されることになるなんて思わなかった。一度目は母の自殺。二度目はこれ。偶然親密になった相手が実の弟だったなんて。笑えない。   「兄弟でこういうの、よくないだろ。さすがに」 「でもおれ、先生が……」 「わかってるよ。俺だってお前が大事だよ。だけど……」    年齢差だとか、男同士だとか、教師と生徒だとか、そんなものとは比べ物にならない障壁だ。歳の差なんて二十歳越えれば気にならない、性別だってどうでもいい、立場だって三年もすれば変わってしまう。    しかし血縁だけはどうにもならない。血は楔だ。どれだけの時を待とうと、血は決して薄まらない。生まれる前に遡りでもしない限り、濃い血は濃いままだ。本当に、家族とか血縁とかろくでもない。俺の邪魔ばかりする。   「これ以上の過ちを犯す前に引き返すんだ。俺も、お前も。晴れた空の下を、胸を張って歩いていきたいだろう?」    兄弟だったら何がいけないんだよ、とは言わなかった。成瀬は、やはり納得はしていない様子だったが、しかし俺の言いたいことを理解したらしく、黙って小さく頷いた。    その晩は、一緒に寝たが何もしなかった。翌朝目覚めると布団は空っぽで、置きっぱなしになっていた成瀬の荷物は綺麗さっぱり消えていた。朝の空気は刺すように冷たいが、季節のせいだけではない。    愛しい愛しいと思い、強く惹かれて恋い焦がれたのは、他でもない生き別れの弟だったからか。蓋を開けてしまえば実に呆気ない。成瀬が俺をお父さんと呼んだのは、本能的に血の匂いを感じていたからなのだろう。そして俺が成瀬に母を見出したのは、俺の母に対する憧憬が見せた単なる錯覚だったのだ。

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