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第1話

 にこにこにこにこにこにこ、と。  漫画ならきっと、テーブルの向かいに座っているこのあたりにまで、書き文字が進出してきてんだろうな。  休日の朝早くから、夜通しで遊び歩いたそのままの状態で部屋を襲撃したっていうのに、嫌な顔一つせずに。  それどころか千客万来の勢いで俺を部屋に招き入れて、シャワーを貸してくれて朝飯の用意をしてくれる。  そんな風にかいがいしく楽しそうに俺の世話を焼く、目の前の男をあらためてしげしげと眺める。  俺、寺嶋宏平、27歳、独身。  こいつ、吉村一希、28歳、独身、俺の従兄。  二人とも服の貸し借りができるくらいには同じような体形で、今時の標準的な感じ……と、思う。  あ、でも、この間細身のスーツを借りようとしたら少しきつくてあきらめたから、俺の方が若干肉がある、らしい。  一希が細すぎるって方が正確だと思うけど。 「かーき」 「ん?」 「食いにくい、凝視すんな」 「ああ、ごめん。こーへーの勢いがあんまり可愛くて」 「うざ」 「はいはい。じゃあ、別のことしてるよ」  そう言いながらもテーブルに頬杖をついて、がっつくようにホットケーキを食う俺をにこにこと眺めている。  そう言えば身につけている緑色の部屋着は、この間いつもの礼に、と俺が買ってやったものだ。 「着てるんだ」 「これ? うん、ホントにいってたとおり、肌触りいいね」 「きえこ姉の趣味だから、間違いないだろ」 「それを覚えてて選んでくれるんだから、優しいよね」  一希はやっぱり楽しそうに俺を見ている。  やっぱり何だか一人でもくもくと食べているのは気が引けてスピードを落としたら、小さく笑って席を立った。 「コーヒー、飲む?」 「ああ」 「どっち?」 「つめたいの」 「ん」  冷たいといっても、タンブラーに氷は一つ。  なみなみと注がれた水だしコーヒーに、くるりくるりと同心円を描く多めのコーヒーミルク。  差し出されたコーヒーを、そのまま口に運ぶ。  味の調整なんてするまでもない。  コーヒーはきっと少し苦めで酸味が少なめ、砂糖は入っていないんだ。 「牛乳でもいいのに」 「今、小さいパックでも売ってるんだよね、コーヒーミルク」 「牛乳なら残っても使い道あんだろ」 「コーヒーミルクだって大丈夫だよ。無駄にはならないから」 「朝の早くから、ホットケーキなんて焼かなくたっていいんだぞ」 「焼いてないよ。解凍しただけ」  カフェ・オ・レは苦手。  けれどコーヒーにたっぷりミルクは好き。  ここに来れば当たり前のように差し出される、俺の好きなもの。 「そうだ、余分に作っといたから、持ってってよ」 「何?」 「バナナケーキ。食べるだろ?」 「食うけど」 「一切れずつラップして冷凍してあるから、食べる時に食べる分だけトースターで焼くといい」  流石にこの時期にバナナ一房は食べきれなくてさ、と、微笑みながら。 「別にわざわざ作らなくたって」 「わざわざじゃないよ。傷みかけたバナナとホットケーキミックスがあったから、混ぜて焼いただけ」  何処からか保冷バックが出てきて、流しの上に置かれる。  俺が帰るころには何かしら詰め込まれているはず。  ホットケーキを平らげて、ちびちびとコーヒーを味わう。  同じポットに入っていた水出しコーヒーに温めた牛乳を入れたマグを手にもって、一希は俺の座っている椅子に腰かける。  普通のダイニングの椅子だってのに、ぎゅうぎゅうと。 「せめえ」 「じゃあ、こっち座ればいいじゃん」  ぽんぽん、と示される膝の上。 「やだ」 「わがまま」  くすくすとこぼされる、一希の優しい笑い声。 「何があった?」 「別に」 「そう?」 「ああ」  コーヒーをぐいっと飲み干してタンブラーを置く。  せまっ苦しい椅子を立って、テレビの前のセンターラグに陣取った。  ローテーブルに置かれた、見覚えのある字のメモ。 「なんで、かーきんとこにおふくろ来てんだよ」 「こーへーが居所教えないからでしょ」 「そりゃあ、教えたら最後、碌なことにならねー」 「親心じゃん」 「教えんなよ」 「教えないよ」  近づいてくる気配。  避ける間もなく、背後から手が回される。  ぎゅうっと。 「きえこ姉にも怒られたけど、教えない。こーへーを、独り占めしたいから」 「……めっちゃ、してんじゃん」 「うん」  抱きしめられて抱き込まれて、肩の力が抜けた。  肌触りのいいパイル地の部屋着が頬に触れる。  俺を包む一希の体温。 「いっそここに住めばいいのに」 「すぐ見つかって連れ戻されるわ」 「なんで? 愛し合ってますって、言っちゃおうよ」 「言えるかボケ。血がつながってるのにー! とかいって、おふくろ発狂すんだろ」 「親戚ったっていとこだよ。男女なら結婚できるんだから何の問題にもならないよね」 「男同士だ」 「こーへー」  ちゅと盆の窪にあてられる唇。  そわりと背中が毛羽立った。 「それでも、こーへーが何処で何してるかわからないのは心配だから、一緒に暮らしたいよ」 「かーき、うざ」 「誰かに口説かれてないかとか、疲れてないかとか、涙流してないかとか」 「ガキじゃねえから」 「俺がはげたら、こーへーのせいだ」  ぐりぐりと首筋に額をこすりつけられる。  さらりと一希の髪が流れた。  少し茶色くてふんわりした髪。 「おじさん、きてるもんな」 「ウチの父さんはいいんだよ。問題は俺の。俺がはげたら絶対心労だからね。こーへーのせいだからね」 「じゃあ、ほっとけばいい」 「こーへー?」 「手のかかる従弟なんか放っておけば、お前の髪は安泰だろ?」  ホントはわかってる。  俺が甘えてるだけ。  色んなしがらみが苦しくて、どうしようもなくなったらここに来る。  一希の笑顔とハグと愛してるが欲しくて。  でも、なくても生きていける。  ある方がいいっていうだけの話。 「こーへー」  ため息と一緒に吐き出される俺の名前。  声の温度がものすごく低くなって、身体が固まった。 「いい加減できもしないこと言うの、やめな。お前は俺なしじゃ生きていけないよ」  こんな細いのにどこにそんな筋肉があるんだろうと思うくらい、力いっぱい抱きしめられる。  イタイ。  けど、安心する。 「そろそろ本気で、身体にも教えないと、わからない?」 「かーき?」 「おしおきターイム」 「は?」 「俺の愛を疑うこーへーに。選ばせてあげる。こことベッド、どっちがいい?」 「え?」  ちょっと、と、無理やり体をねじって一希の顔を見たら、笑顔だった。  不穏当に爽やかな笑顔。 「おしおきだからね、ここでいいよね?」 「ちょ……か、かーき……はぅっ」 「はい、締め切りました」  ペロンと首筋をなめあげられる。  耳たぶを食まれて、身じろぎをする。  背後から抱きしめられていたのは、いつの間にか拘束に変わって、器用で不埒な手が俺の服を剥いでいく。 「かわい」 「待て。かーき、ちょっと待て」 「待たない。おしおきするから、そのつもりで」 「いや、だから、なんで」 「俺が、こーへーを、愛してるから」  あー。  休日の朝っぱらからリビングで思うさま嬲られんだ。  それはそれで、素晴らしい休日の過ごし方だと、押し倒されながら俺は思った。 <END>

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