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第96話「思い描く」
「夏季休暇、、!?」
今田のひと言に休憩室で声を荒げ、鷹夜はガタンッと椅子を鳴らして立ち上がった。
7月の後半が忙し過ぎて、社内メールを見逃していた鷹夜の失態である。
何年も前に廃止になった筈の夏季休暇が今年はあると言う事実を今知って、驚きと不安と期待で頭がぐっちゃぐちゃになってしまっているのだ。
「そうですよー。だいぶ前にメール来てましたよ。今年は業績いいからお盆休み有りって」
「カッ、、!!」
「その驚き方って癖なんですか?」
油島が斜め向かいの席から顎についた肉を揺らして笑ってくる。
こないだの残業もお前のせいだったぞ!!と鷹夜はギロリと彼を睨んだが、直ぐに笑い返して終いにし、椅子に座り直した。
それにしても夏季休暇とはいつぶりだろうか。
ここ数年ではなかったイベントに、鷹夜は久々に地元に帰省しようと考えた。
「雨宮さん実家には、、?」
「年末年始も帰んなかったから、流石に顔見せねーとヤバい」
鷹夜には両親と妹、その下の弟がいる。
三兄弟の長男で鷹夜と妹は顔が似ており、末の弟だけが父親似のキリッとした大人っぽい顔立ちをしている。
兄弟仲は良い方だ。
1つ下の妹とは張り合う事が多かったが、4つ下の弟が物心ついた頃には3人で仲が良くなり、男勝りな妹も加えてキャッチボールなんかもしていた。
随分昔の話しだが。
「帰るときって何か買って来ますよね、、?」
「あ、そうか。お前帰省始めてか。大学も向こうだったんだもんな」
「はい」
少し照れたように今田が言った。
今日は外回りに出ている駒井と羽瀬はおらず、油島と今田、それから鷹夜の3人でテーブルについている。
相変わらず部屋の前方にある大型テレビからはガヤガヤと「昼レギュラー!」の音声が垂れ流されていて、部屋の天井に間を開けて2つ備え付けられている空調からはゴオゴオとうるさいくらいに風が出ていた。
カレーを食べている鷹夜はネクタイをヒョイと肩に翻して掛けている。
ネクタイピンできっちりと留めている今田は唐揚げ弁当で、油島は鷹夜の真似をしながら肉うどんと鮭のおにぎりを交互に食べていて忙しない。
「東京駅で買えるもんでいいんじゃねーの?俺も大体駅で買うし。銀座とか寄らないよ」
「いやあ、駅で買うんじゃなくてせっかくなら東京のオシャレで美味しいもん買って来いって妹がうるさくて」
「ふはっ!分かる、俺も妹と母親によく言われた」
今田の呆れて困った表情にクックッと笑いながらカレーを口に入れる。
(そう言えば、芽依くんは帰るのかな)
鷹夜の頭に浮かんだのは無論、芽依の事だった。
芽依に「好きだ」と言われてから1週間と少し経った。
これと言って前と何が変わったのか分からなくなるときは多いが、明らかにあちらの気遣いようは変化しているし、何より彼は自分の心に余裕を作ろうとするようになった。
それが結果的に鷹夜に気遣いを回す暇を作り、お互いにストレスなく一緒にいられるまでになったのだ。
「そう言うの分かんないんすよねえ。調べてもどれがいいんだか」
「あー、な、確かに」
今田と油島が話している最中、鷹夜はボーッとしていた。
(うちは妹が結婚してるし来年の1月には子供が生まれる予定だし、まあ、今更俺が結婚しなくても全然いいんだろうけど)
何となく告白されたあの夜を思い出した。
ひどく真剣で眩しいくらいに澄んだ瞳で5歳歳下の男に告白された夜の事だ。
スキャンダルを起こしていたとは言え、売れっ子俳優であり元トップアイドル。今また売れ始めてドラマの主役を務めている、女子高生の憧れで20代女性人気俳優第1位。
多分、抱かれたい俳優ランキングやら結婚したい俳優ランキングやらでも何ら問題なく1位を取っているのだろう、竹内メイ。
本名、小野田芽依。
そうだ、弟より歳下ではないか。
考えてみれば、鷹夜は随分壁の多い男に告白されたもんだな、と今更ながらに自覚した。
(付き合ったら、俺の実家にも来るのかな。向こうの実家にも遊びに行くのかな)
その前に、受け入れられるのだろうか。
男同士で恋愛して、恋人になったとして。
鷹夜が芽依を受け入れて付き合ったとして。
鷹夜からすれば自分はそろそろ汗の匂いやらがキツくなってくる脂の乗ったやたらと童顔で背の小さい三十路のおっさんでしかない。
普段から「おっさんは〜」と芽依に冗談めかして言うのは、彼としては言っている事は冗談でも一人称は嘘をついている気はない。
途端に不安が過ぎっていった。
(正直、マジで付き合おうと思えば付き合える。好きになれる予感はする。このままあの子に絆されて甘やかされて大事にされてたらさっさと好きになりそうだ。顔良し、性格良し、何より可愛い。でも、それでいいのか?)
鷹夜からすれば5つ歳下の25歳はまだまだ色んな可能性が三十路の自分より何倍も秘められている存在だ。
それを、結婚しようとしていた女性に逃げられて泣いたり、アプリで本気になった女性と出会ったと思ったら男だったと言うサプライズに大泣きしたりと、割とみっともなく、気が抜ければ部屋の床をゴミで埋め尽くすような年上の頼りない男が足止めを食らわせるような事をして良いのか。
「、、、」
甚だ疑問だ。
良いわけがない。
「雨宮さん?どうしました?カレー辛かったんすか?」
「え、雨宮さん辛党でしたよね?」
自分が芽依の想いに応えてしまったら、彼に何か良くない影響が出るのではないだろうか。
『アンタがあの子のそばに居るのが悪影響やったんちゃうの?アンタがそばにいるからドンドン口調が汚くなったし、素行が悪くなったなあ、思ってたで、私は』
「、、、」
今日はたまたま会社の幹部会議で別の階の会議室に缶詰めになっている上司の言葉を思い出してしまった。
今更もう傷付く事はない。
だが、古市がまだこの会社にいたとき、彼女は確かにそう言って鷹夜の心をズタズタにして壊し、鬱になるまで追い詰めたのだ。
鷹夜が鬱になったきっかけは古市ばかりのことではなく、上野も大きく関わっている。
彼女に悪影響、悪影響と言われ続けたせいか、鷹夜は無意識に芽依にとっての自分はまさに男同士の道に引き摺り込む「悪影響」だったのではないかと下手な事を考えてしまった。
(俺が甘やかしたから、芽依くんは自分の気持ちを勘違いしてる、、とか)
そもそも本当に芽依は自分が好きなのだろうか。
告白まがいのことなら古市にもされた事がある。
『俺、女の人を完全に信じて愛し合うのは多分無理なんです。でも、鷹夜さんは信じられます』
喉の奥に違和感が生まれ、鷹夜は喉仏を触って軽く左右に揺する。
まったく脈絡もない話しが急に始まったあのときは、とうとう恋愛感情を持たれたのではないかと気が気でなかった。
気持ち悪くて仕方がなく、その場から逃げたくなった。
興味のない取引先の女性社員の話しをしまくって話題を回避した記憶がある。
(俺は悪影響になりやすいのか、、いや、でも)
喉から手を離して古市の記憶を頭から消し飛ばすと、やはり思い出すのは澄んだ瞳のあの男の整った顔だった。
(、、、ないな。あれは、本気だった)
プラスチックのスプーンを置いた。
「ちょっと考えごとしてた」
「大丈夫ですか」
「へーきへーき」
へら、と笑って見せると今田が小さく息を吐くのが見えた。
安堵したようだ。
(本気なんだ)
鷹夜は再びスプーンを持ち、バク、とまだ容器の半分程は残っているカレーを食べ始めた。
(あんな目されたら、疑えない)
芽依に告白されたその光景を思い出しながら、鷹夜は静かに考えてみた。
肌でしっかり感じられるようになる為に、芽依と付き合うとはどういう事かを。
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