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「これって君が好きな俳優かい?」 「え?」 一面ガラス張りの壁に囲まれたビルの上階。 晴れ渡った空の下の街を見下ろして、コーヒーを飲んでいた。 足元から下の世界が見える。 人が遠くに、小さな影になって寄せ集まり、蠢いている。 声を掛けてきた男に手招きされてそばまで行くと、初老でロマンスグレーの豊かな髪をかきあげ、メガネをかけ直した彼は薄く微笑み、パソコンの画面をこちらに向けた。 「あ」 画面の中の見覚えのある名前と顔に、息を飲んだ。 「再生するよ?」 「、、、」 「竹内メイ-待望の新曲」 無料の動画配信サイトに上げられたPVと、最近まで停止されていたのに復活していたアカウント。 初老の男性が再生ボタンをクリックすると、ゆっくりと画面が動き出し、最新シングル曲「夜空」と題されたその歌が流れ始めた。 「何も成せなくて ただ歩いてるだけで 空っぽなんて呼ばれた 空虚な僕のこと」 美しい声は変わっていない。 ずっとファンだったものなら分かる、低くて張りのある声。 でも彼は高音も綺麗に歌うのだ。 前まではそのボイストレーニングの動画もサイトに上がっていたのだが、今は無くなってしまっている。 「目まぐるしい日々だけが過ぎてく 「生きてる」の中身のない僕が 君に触れ 溶け出してく 指先から鮮やかに色が宿っていく 痛い痛い痛いよ 1人の夜は 何度も僕を捩じ伏せるように 訪れて 孤独を降らせ 闇に誘うけれど 君が唯一の星になった 体が動かなくて 前を向いているだけで どこ見てるのって言われた 視線の先のこと 目まぐるしい時間だけが過ぎてく 「らしさ」の答えのない僕が 君に会い 与えられてく 唇から穏やかに熱が戻っていく 僕と君の間は 果てなく遠く どんなに僕が望んだとしても 埋まらず 君を輝かせ 彩るばかりだけれど そうであっても手を伸ばした 恋なんて何度しても良くて それでも君だけが 特別で 温度があって 手放せないものだから 君に触れ 溶け出してく 振り向かせたくて走り出してく 痛い痛い痛いよ 1人の夜は 何度も僕を捩じ伏せるように 訪れて 孤独を降らせ 闇に誘うけれど 君が唯一の星になった」 苦しそうだ。 けれど、必死に伝えようと声を絞り出して歌っている。 「すごいね。君の好きな俳優は、アーティストでもあったのか」 PVはどこかのビルの屋上で、星空の下で歌っている映像だった。 真っ白なスーツ姿は実に彼に似合っている。 顔が大きく映し出され、長いまつ毛が揺れる様まで鮮明に見せられると、グッと胸が締め付けられた気がした。 「歌も良いじゃないか。日本のアイドルって言うアーティスト達はそんなに歌唱力はないのだと思っていたけど、彼は、、どうした?」 男の話しは頭に入ってこなかった。 目の前の、今見てしまった映像はあまりにも心臓に悪く、胸の中に真っ黒な灰をぶちまけられたように苦く不味く気分が悪い。 「どうしたんだい?」 男の優しい声にも反応できず、動きを止めたまま画面を凝視して、ただただ拳を握り締めた。 どうして、と叫びたいのを堪えて、ただ耐えた。 サイトに上がった動画の説明が書いてある欄には、作詞・竹内メイと歌っている本人の名前が入っている。 手を握り締めると、伸びた爪が肌に食い込み、血が出そうな程に痛かった。 「これは、」 低く冷たい声が響く。 男の座っている目の前にある机に手をつき、力を込めて天板を掴んだ。 カタカタと小さく、入りすぎた力が逃げられず手が震え、机を揺らす。 「誰の為に歌ってるの?」 噛み締めた奥歯を、ギリ、と鳴らした。 「芽依」 かつての相棒は、あの頃よりも眩しい姿をしていた。

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