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溜め息の理由
はぁ、と。最近の癖になりつつある溜め息を、零したコウをチラリと見つめる。
「また溜め息吐いてる」
「っ、ぇ? ……ぁ……」
オレに指摘されて、気まずそうに苦笑うまでが一連の流れだ。
はぁー、と。大袈裟に溜め息を吐いて見せて、デコピンを一発。
「って」
「ったく。何回目だよ」
「ごめ」
いたぁ、とおでこを押さえたまま涙目の上目遣いで謝ったコウを、むぅん、と睨み付けながらも、胸の奥がドギマギ鳴っているのは必死に覆い隠す。
コウとは、小学3年の時に知り合った。オレが転校生だったのだ。
肌も髪もプルプルツヤツヤで、やんちゃ盛りの小3男子にしては、妙にオンナノコめいていたコウには、どうにも近付きがたくて。冬でも半袖半ズボンみたいな、わちゃちわゃした男子とばかりつるんでいたのだけれど。
4年の春に、状況が変わった。
いつまで経ってもプルプルツヤツヤで、別にイジメられてる訳でもないのに独りポツンと浮いてしまうコウと、兎と鶏の飼育係にされてしまったのだ。
最初は、とにかく嫌だった。
立候補した訳でもないし、兎は嫌いじゃなくても、ボス鶏は凶暴すぎて苦手だったし。
何より、ロクに喋ったことも遊んだこともないコウと2人で、1学期の間ずっと兎と鶏の世話をしなければいけないというのが、苦痛だった。
だけど。
『今野くん』
『~~っ、あのさ、それ、やめてくんない?』
『? どれ?』
『今野くんてやつ。なんか、ムズムズする』
『そう? でも、じゃあ、なんて呼べばいいの?』
『……別に。みんなと同じでいいよ』
『……アキ?』
『~~っ、……おう』
キョトンと首を傾げながらあだ名で呼ばれて。
『今野くん』よりムズムズしたけど。
頷きに返ってきた弾ける笑顔の方が、なんていうか、破壊力があった。
『なんか、すごく仲良くなったみたい』
『……っ、別に仲悪かった訳じゃないだろ』
『そうだけど。……なんかアキは、いつも元気だから。僕と違うなぁって思ってたし』
『一緒だよ別に。ってか、そう思うなら一緒に遊べばいーじゃん』
『ぇっ? 僕?』
『お前以外誰がいるんだよ』
『だって僕、運動できないし。……服。汚したら、怒られちゃうから』
『服?』
『……ん』
淋しそうな顔で笑ったコウは、あの頃確かに、いつでも真っ白なシャツを身につけていた。今思えば、キチンとアイロンまで当たった、皺一つないシャツ。
『……そんなもん』
『?』
『----これで、汚れたって、言えばいいじゃん』
『わっ!?』
もふっ、と。
あげたばかりの餌をむぐむぐしていたウサギを抱き上げて、コウの腕に押しつけた。
『えっ!? えっ!?』
『係の仕事で汚れたんだから、母ちゃん怒んねぇだろ』
『……ぁ……』
『かわいいな』
『へ?』
『----っ、うさぎが!! かわいいなって!!』
『ぁ……うん、そうだね、かわいいね』
まだ口をはもはもさせたままのウサギを抱えて、無邪気に笑ったコウの。可愛らしさの破壊力と言ったら、弾けた笑顔の数倍で。
訳の分からない感情にオロオロした心を隠すために、わざとぶっきらぼうに振る舞いながら。だけど、くるくる変わるコウの表情が可愛くて仕方なかったことだけは、今でも強烈に記憶している。
高校生になっても相変わらずプルプルツヤツヤのコウは、やたらと女子にモテるようになった。オレだって別にモテない訳じゃないけど、どっちかというと親しみやすくて、ただの友達パターンになることが多い。
気安さゆえに、時々コウに渡して欲しいと、女子から手紙を託されたりもするけど、なんだか色々ムシャクシャするから、全部家に持って帰ってゴミ箱行きだ。母ちゃんに見つかるとキャアキャア騒ぐことは分かってるから、わざわざ100均で買ってきた、刃が5枚くらいついてる鋏で粉々にするのも忘れない。
だけど、粉々になった手紙を見下ろして、胸の奥がチクチク痛むのも事実だ。やるたびに猛烈に後悔するのに、やめられない。
ふるり、と頭を振ってとりとめない思考をふるい落として、コウに視線を戻す。
「----で? ホントにどうしたんだよ?」
「ううん。ホントになんでもな----わっ!?」
強情に隠そうとするコウのセリフを、遮るみたいに手を伸ばして、髪を掻き混ぜるようにわしゃわしゃと撫でる。
「っとに。……なんかあったら、絶対言えよ」
約束だかんな、と。少し強めの口調で告げたら。驚いて目を見張っていたコウが、一瞬唇の端を震わせて
「……----ありがと」
ふわり、と。花が咲いたみたいな綺麗な笑顔を見せるから。
バクバク言う心臓に落ち着けと言い聞かせながら、タイミング良く鳴ったチャイムに救われて席に戻った。
「ねぇちょっと彰」
「あー?」
「あんたの友達に、芝井さんとこの息子さんがいたじゃない」
「……あぁ?」
むふふ、と下品な声で笑う母親の声に、気のない返事を返したら。
爆弾が飛んできた。
「お見合いするって聞いたのよ!」
「見合いィ!?」
「大企業の息子さんともなると、やっぱり違うのねぇ」
「----っにゃろぉ」
ダラダラ寝転んでいたソファからガバッと飛び起きて、リビングのドアを乱暴に開ける。
「彰?」
もう晩ご飯よ、と追いかけてくる母親の声は当然のように無視して、玄関に出しっぱなしのスニーカーに足を突っ込んだら
「何がなんでもないだよっ」
玄関のドアを開けて駆け出しながら、スマホでコウの連絡先を呼び出して、そのまま電話をかける。
さして待つことなく電話口に出たコウは、いつも通りのんきに笑った。
『どうしたの。珍しいね、電話なんて』
「るせっ。いーからお前、すぐに出てこい」
『えぇ!? 出てこいって、どこに……? だいたい、すぐにって……』
「いーから! いつもンとこ!!」
『えぇっ!? ホントに?』
「マジだ!!」
『えぇ~?』
戸惑った声を上げているコウを無視して電話を切ったら、猛然といつもの----小学校時代に散々遊んだ小さな児童公園に向かった。
「ホントにいた……」
呆れたように呟いたコウが、息を切らして公園に現れたのは、オレが着いてから15分ほど経ってからのことだ。
「おせぇよ」
「ムチャ言うなぁ」
ふて腐れて呟いた台詞に、呆れたままの顔で笑ったコウが、オレの隣で小さく揺れていたブランコに座る。
「で、どうしたの急に」
懐かしいねここ、と笑ったコウの呑気さにムシャクシャして、なんの前置きもなしに切り込んだ。
「お見合いってなんだよ」
「……ぇ?」
「お見合いって、なんだよ」
「な、んで、それ……」
「バカ。母ちゃん達のネットワーク、舐めんなよ」
「ぁ……」
サッと哀しい色を浮かべたコウが、だけど諦めたみたいに首を振る。
「……そのまんまだよ。お見合い、するんだ」
「----っ、だからなんでっ」
「僕はそのくらいでしか役に立たないから」
「……なん、だって?」
「僕は役立たずだから」
「な、に……」
くしゅ、と。哀しげに笑ったコウが首を竦めた。
「仕方ないよね。だって、僕はホントに……兄さん達みたいに頭も良くないし、運動だって出来なくて、なんの取り柄もないんだから」
言いながらどんどん表情が消えていくコウが。恐いくらいに思い詰めた声を出すのを、見ていられなくて。
ブランコから降りて、コウの目の前に立った。
「なんだよ、役に立たないから見合いって!? ふざけんなっ」
「……アキ?」
「お前が役立たずって、どういうことだよ!!」
「アキ……」
「高校生で見合いって! いつの時代だよ!? バカじゃねぇのっ」
「ばかって……」
「バカだよ! バーカバーカ!!」
「ちょっ……」
さすがにソレは、と唇を苦笑いに歪めたコウの、相変わらず皺のないシャツの胸ぐらを掴む。
「オレにしとけよ!!」
「…………ぇ?」
「オレにしとけ!!」
「なに、言って……?」
「そんな意味分かんねぇ女と、結婚なんかすんじゃねぇよっ」
「アキ……」
「オレは絶対お前を役立たずなんて言わねぇし、取り柄がないなんて言ったりしない。オレは絶対にお前を傷つけたり哀しませたりしない」
「……」
「お前は……ッ、お前はなんで、母ちゃんの言いなりになんだよッ! 高校生で見合いして結婚とか。意味分かんねぇことに、ほいほい頷いてんじゃねぇよッ」
思いつくままに叫んだ台詞を、呆然と聞いていたコウが、だって、と口元を歪ませる。
「それくらいしか出来ないんだから、仕方ないじゃないか……ッ、僕だって、意味分かんないって思ったけどだけど! 見捨てられたくないんだ……ッ」
苦しい声で吐いたコウの、結局は泣いて潤んだ目を、睨み付ける。
「だから! オレにしとけって言ってんだろうが!!」
「だから! 何言ってんのって!! アキも僕も! 男なんだよ!?」
「だったらどうした」
「ぇ?」
「男だからなんだよ。オレは絶対にお前を見捨てねぇのに、なんでお前は母ちゃんにしがみつこうとしてんだ。そんな訳分かんねぇ女と結婚して、いつまでも母ちゃんの言いなりで生きてきたいのかよっ!?」
「だからって……ッ」
「オレはお前が好きだって言ってんだよ、いい加減分かれよ鈍感!!」
「----ッ!?」
掴んだままだった胸ぐらをねじり上げて、そのまま唇で唇を塞いだら。
大きく目を見張っていたコウの目から、ボタボタと大粒の涙が零れて。
強引に触れ合わせた唇をそっと離して、すっかり力の抜けたコウを抱き締める。
「……オレと一緒に来い。オレは絶対に。絶対に、お前を傷付けたりしない」
「……」
「オレは絶対に。お前を見捨てない」
「あき……」
「ずっと好きだったんだ、お前のこと。……お前がどんだけ何言ったって、お見合いなんかさせねぇし、お前の母ちゃんなんて、クソくらえだ」
「----っふふ」
ぎゅっと抱き締めた腕の中で、コウがそっと笑う。
「……なんだよ」
「……ううん。アキは変わらないね」
「……ンだよ、それ」
「ずっとそうだった。家のことで悩んだり、落ち込んでる僕のこと、ものすごく強引に慰めて、ものすごく強引に解決するんだ」
「……」
「……でもそれが、僕にはいつも眩しくて、憧れてた」
「……コウ……?」
そっと覗き込んだコウの顔は、さっきまでと違って、懐かしそうな顔で笑っていた。
「僕もずっと好きだったんだよ、アキのこと」
「コウ……」
「だけどずっと我慢してた。僕はずっと役立たずで何の取り柄もないから。こんな僕は、誰も必要としてないって、ずっと思ってたんだ」
「バカッ、何言ってんだっ」
ばふっとコウの頬を両手で挟んで、まだ潤んだままの目を真っ直ぐ見つめる。
「いいか。オレはお前が好きで、お前が大事で大切で、お前が必要なんだよ。だから見合いなんてすんじゃねぇ。オレのになれ」
「アキ」
「誰にも渡さねぇ。お前の母ちゃんにだって、渡さねぇから」
ぎゅっと頬を挟んだ手に力を込めたら。
むにゅっとした顔のままで、コウがあの時みたいに笑った。
「ねぇ……これって、プロポーズなんだよね?」
「……そう、だけど」
「じゃあ、手、離して」
「……」
「一生に一回しか受けられないプロポーズなんだからさ。僕にもちょっとくらい、格好つけさせてよ」
こんな間抜けな顔でプロポーズされたくないよと、くしゃっとした泣き笑いの、嬉しそうな声で言うコウから、そっと手を離してやったら。
「好きだ、コウ。指輪もなんもねぇけど、いつか絶対渡すから」
「うん」
「オレのになって」
「……うん」
はにかんで頷いたコウを、抱き寄せてそっと。
今度はちゃんと、優しいキスを贈る。
「……僕さ……」
「ん……?」
「……初めてなんだよ」
「何が?」
「誰かとキスしたの」
「…………オレもだよ」
「ぇ!? そうなの!? だってアキ、女の子からよく手紙もらってたじゃない」
「っ、あれは……ッ」
「うん?」
「……なんで、ンなこと知ってんだよ」
「言ったでしょ。僕もアキが好きだったから。ずっと見てたんだよ、アキのこと。……お見合いしたくなくて、急にアキのこと好きになった訳じゃないからね」
にっこり笑ったコウが、オレの顔を見て、図星だねと笑う。
「僕もアキが好きだよ。指輪なんてなくていい。何もなくていいから、ずっとアキと一緒にいたい」
「コウ……」
「アキのにして」
真っ赤になって見つめてくるコウに、もう一度。ぎこちないキスを贈ったら、華奢な体をきつく抱き締めた。
「もう、オレのだかんな」
「うん」
「嫌だっつっても、離してやんねぇからな」
「言わないよ」
「絶対だぞ」
「うん」
「何があっても。オレはお前を諦めねぇからな」
「僕だって。もう絶対、諦めたりしないよ」
「一生、一緒だかんな」
「うん」
強く握りしめた手を、離したりしない。
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