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第76話 トラエスト城来襲(2) 怒り
「はあっ……。はあっ……」
左肩から血がどくどくと流れ出していた。
イヴァルトは心臓を狙っていた。
アレスは心臓を貫かれることはかろうじて回避し、結果、左肩で受け止めることになった。
心臓貫通は免れたとはいえ、手痛い負傷だった。
アレスは立っていられず、床に手をつき焼けるような痛みに耐えた。
アレスは霊眼でイヴァルトの残りの傀儡魂 を見た。
残り、一つ。
あと一発の大破魂 で破壊できるだろう。
が、痛みで集中力が完全に分断されてしまっていた。
霊眼がかすむ。傀儡魂 の映像がぼやける。
魂攻撃には大変な集中力を必要とする。
こんな激痛では、とても撃てない。
アレスは悔しさと焦りに、拳をぐっと握り締めた。
そして視線を、部屋の中央の立派な柱時計に走らせた。
霊体化は発動からおよそ七分で効果が切れる、と以前レリエルが教えてくれた。
アレスはイヴァルトが霊体化の術をかけるところを見ていない。
ということは、イヴァルトはヒルデに呪縛を解かれた直後、アレスがこの部屋に入る直前に、霊体化を発動したということだ。
ならばそろそろ、霊体化が解ける頃である。
その瞬間を、好機とせねばならない。
※※※
左肩に杭を突き刺されたアレスが顔を歪めうずくまり、レリエルは叫んだ。
「よ、よくもアレスに!許さない、イヴァルトっ!」
イヴァルトがレリエルに振り向いた。
「許サナイ、ダト……?誰ニ向カッテ、口ヲ聞イテイル?出来損ナイノれりえる……」
その赤い目に射抜かれたレリエルは、びくり、と凍りついた。
異形のイヴァルトが、レリエルに近づく。
その赤い瞳を、わざとらしいほどの怒りに染めて。
まるで怒った顔を見せれば、レリエルが何も出来なくなると知っているかのように。
「オ前ハ自分ガ誰カ、忘レテイルノカ?オ前ガ私ニ、歯向カエルト……?」
(震えるな僕、だめだ!お願いだ震えないでくれ!)
レリエルは自分を叱咤しながら、イヴァルトに手を突き出した。
「ナンダ、ソノ手ハ?ドウスル気ダ?」
「うっ……」
レリエルは意思に反して震えだす自分の身体に、どうしようもない絶望感を抱く。
レリエルの目にイヴァルトは、今まで自分を差別し虐げて来た全ての天使の集合体のように見えていた。
レリエルが常に恐れ、怯えて来た者たち。
その者たちが今、レリエルの前に立ち、レリエルへのむき出しの憎悪をさらけ出している。
レリエルにはそのように見えた。
「ナゼ貴様ハ生キテイル?最初カラ生キル価値ナドナイオ前ガ!オ前ハ、存在シテハ、ナラナイイイイイイイ!!!」
言いながらイヴァルトは、自らの右目を貫通している杭をつかむと、すぽんと引き抜いた。
「つっ……」
脳裏に去来する、常に浴び続けて来た、嘲笑、罵倒、軽蔑……憎悪。幼い頃からずっと、圧倒多数からの憎悪に支配されて生きてきた。その圧倒多数の憎悪の集合体が今、目の前に具現化して立ちはだかっている。
そのような錯覚に、レリエルは陥っていた。
レリエルはただ恐ろしかった。
つー、と涙が流れ落ちる。
(僕は生きる価値がない。みんな僕のことが嫌い。僕は存在してはならない、嫌われ者の醜いレリエル。だからみんな、僕に酷い事をいっぱいする……)
イヴァルトが、杭を振りかぶった。
その瞬間、
「霊体化、時間切れだ!特大電撃 !」
アレスが頭上に伸ばした手から放たれた稲妻がイヴァルトを直撃し、その身が海老反りになって痙攣した。
イヴァルトは仰向けに倒れ……いや、倒れることはできなかった。杭のせいで。
足をつっぱり、身を弓なりに仰け反らせ、宙で固まった。
体中 に突き刺さっている沢山の杭が、イヴァルトの体を宙で支えたのだ。
焚き火の回りに突き立てられた串刺しの焼き魚を思い起こさせた。
いよいよ化け物じみた、滑稽で無様な姿だった。
イヴァルトは感電により全身の動きを封じられ、ピクピクと痙攣している。
その口から、虚ろな笑い声が聞こえてくる。
「ハッ、フハハハハ……痛クナイ……!魂も肉体も、モハヤ私ハ……一切ノ苦痛ヲ、感ジヌウウウウ!」
アレスが左肩の激痛に歯を食いしばりながら、声を絞り出した。
「撃て、レリエルっ!今、そいつに立ち向かわなきゃ、お前は一生、乗り越えられねえっ……!!」
レリエルがはっと目を見開いた。
イヴァルトの恐ろしい唸り声が広間に響く。
「撃テルモノナラ、撃ッテミロオオオ!醜イ醜イ、半人間ノ、矮小羽エエエエエエエ!!!」
レリエルは泣きながら叫んだ。
「僕の羽は醜くなんかない!だってアレスが……!アレスが可愛いって言ってくれた!アレスが、僕の羽だけが美しいって言ってくれたんだ!」
そして攻撃を放つ。
「大破魂 !!」
魂 攻撃。
相手の魂を打ち砕く、呪殺の念。
レリエルの撃ったそれは、憎しみでも恐怖でもなく……ただ純粋な、怒りの念だった。
敵の魂を粉砕する、怒りの一撃。
イヴァルトの最後の一つの赤い魂構成子 が砕け散る。
今まで自分が支配されてきた、一切の恐怖を引きちぎるかのように、レリエルは叫んだ。
「半人間の僕より、お前の方が、天使の方がずっと醜い!僕は半分でも天使じゃなくて、よかった!!」
イヴァルトの虚ろな黒い口から、不気味な音が放たれる。それはおそらく断末魔の叫びであった。
「オオオオオオオオオ……」
イヴァルトの体が、砂となって崩れる。
イヴァルトの形が消失し、白い砂煙となった。部屋の中、白い砂煙が渦を巻き降り注ぐ。
後はただ静寂の中、床の上に散乱する白砂だけが残った。
人間の死霊傀儡は闇になって消失するが、天使の死霊傀儡は倒すと白砂に化すようだった。
「勝った……」
胸を抑え、息をついたレリエルは、アレスにさっと振り向いた。
必死の形相で駆け寄った。
左肩に杭を貫通させたアレスは、床に座り苦悶の表情を浮かべていた。
「アレスごめん、僕が動けなかったせい、僕が役立たずだったせいだ!僕のせいでこんな傷を負わせてしまった!」
アレスは首を振った。
「違う、これは俺が油断したせいだ、大した傷じゃない。それよりレリエル、よくやったな。イヴァルトに勝ったじゃないか」
レリエルはぐっと眉を下げた。その目から大粒の涙が流れ出す。
レリエルはアレスの腰に両腕を回し抱きついた。
「アレスのおかげだ……!僕一人じゃ、戦えなかった!」
アレスは微笑んだ。
その髪を優しく撫でた。幼子を慰めるように。
「ああ、俺がいる。これからもお前は一人じゃない。俺が一緒に、戦い続けるからな。俺はずっと、お前のそばにいる」
レリエルはその言葉に目を見開く。
目の奥からどんどん涙が溢れ出てきた。幸せそうに頷く。
「うんっ……!」
※※※
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