22 / 31

幼い日々 3

「透くん、京くん。お仕事だったのに来てくれて嬉しいわ。……久しぶりね、京くん。」  晶子さんの青い瞳が、俺を真っ直ぐと見つめる。その青は決して冷ややかなものではなく、暖かな灯火のようで、学生の頃から俺の心を和らげてくれていた。 「あの、今日は家族水入らずの時間なのに、お招き頂きありがとうございます。」  ぺこりと頭を下げると、晶子さんの柔らかな笑い声が聞こえた。 「京くん、そんなに気遣わなくていいのよ。いつでもここに来てくれていいの。私は今、とても嬉しいのだから。」 「さあ、嘉月先生!今日は晶子さんの美味しいお料理が待っていますよ!僕、全員で食卓を囲むこと、とっても楽しみにしていたんですから!」 晶子さんと透くんの心遣いは、俺の弱った心にじんと痛みをもたらす。けれどもそれは、多幸感に溢れた痛みであった。 「ありがとうございます。」 今にも声が震えてしまいそうで、小さな声でお礼を言う。それなのに、二人はにっこりと微笑んで俺を迎え入れてくれた。 ◇◇◇ 「嘉月、来てくれたんだな。サンキュ!」  モリス調の客間に通されると、隆文が優雅に膝を組みソファで本を読んでいた。それでも、俺に気がつくとすぐに顔を上げて、少し軽薄な隆文らしい挨拶をしてくれた。彼らしいこの重くない態度が、俺には酷く心地がよくて、ちょっぴり初恋の感傷に浸ってしまう。 「今日は、この部屋で食卓囲うんだ。嘉月と透は仕事もあって疲れただろうからソファに座って。」 「「え!何か手伝うよ。」」  隆文の提案に、謀らずも透くんと声が重なり、二人で顔を見合わせた。 「あ…ふふっ」 思わず笑ってしまうと、透くんは少し驚いたように目を丸くさせてから、すぐにへにゃっと笑った。 「えへへ。じゃあ嘉月先生は僕と一緒にお皿の準備をしましょうか。」 「まったく。二人は働き者だな。」 やれやれと肩をすくめた隆文もまた、言葉とは裏腹に穏やかに微笑んでいた。 ◇◇◇ 「さあさあ!召し上がってちょうだい!もう秋だけれども、彩りがとっても良かった夏野菜が残っていたの。だから今日はラタトゥイユよ〜!」  客間のソファに合わせた猫脚のローテーブルに沢山のご馳走が並んでゆく。ラタトゥイユの他にも、白身魚のバターソテー、マカロニサラダ、ミルクスープなど盛り沢山だ。  優しい香りに、過敏になった神経がゆっくりと正常になってゆく心地がする。やっぱり何故だか、隆文の食卓へ招かれると、心臓から緩やかに血液が循環されていき、身体がほっと暖かくなる。 ――この幸せを御神と紡ぐことはできたのだろうか?  ここ何日か、自分が実験体であった頃の夢を見たり、フラッシュバックのように思い出したりする。それは、ヒートに浮かされて本能的に番を求めてしまった故からなのか?それとも、まだ自分が人並みの幸せを掴めると期待しているからなのだろうか? ――でも、俺は誰かの人生を狂わせてしまいそうだ。  今、目の前に広がる隆文のような家庭も、アオくんと佐伯さんのような優しい生活も、俺には手の届かないものなのだ。ただ、彼らの生活の一部を分けてもらい、確かに俺もまた、幸せのような感覚を知ることができた。  それで、充分ではないか。 「嘉月……?」  ぼんやりとして食が止まった俺を見て、皆んなが心配そうに俺を伺っていた。隆文と透くん、そして隆文の両親でさえも。 「あっ…すみません。ちょっと考え事を……」  しどろもどろに応えて俯けば「京くん」と晶子さんの穏やかな声音が、俺に顔を上げさせた。晶子さんは、悲しそうに俺を見て、それから言葉を続けようとした。その瞬間。  ピピピピピピピッ 電子音が食卓に響いた。 「すまない。呼び出しだ。……はい、一色。」  音の正体は隆文の携帯だった。 「バイタル安定しないのか?……なあ、それ急性腎不全起こしてないか?……え?酢酸リンゲル入れたの?馬鹿か!!落ち着け!一号液入れろ!……ああ、わかった。今すぐ向かう!」 そっか、隆文は今日、非番ではなくオンコールだったのか。  バタバタと慌ただしく支度をする隆文に、透くんがてきぱきと鞄を渡したりしている。番ならではの連携プレイだ。隆文の両親も、そんな二人を見ていることしかできない現状に、歯痒さを感じているようだった。 「大丈夫ですよ。彼は優秀な外科医ですから。」  気休め程度の言葉をかければ、晶子さんも力強く肯いた。 「ありがとう。京くん。」 「そんな!……でも少しでも、お二人がご安心できたのなら、俺も安心します。」  柔らかくなった空気にほっと息を吐くと、隆文に呼ばれた。 「嘉月!おまえ、助手に入ってくれ!」 「……は?」  それは、予想外の展開だ。

ともだちにシェアしよう!