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言い訳とヤドリギ

玲央が周りと違うことに気づいたのは10歳のバレンタインデーだった。  好きな人はチョコを受け取る側の男の子。 女の子になりたいのではない。 なのにどうして皆と同じようになれないのかが分からなかった。  成長が進むにつれ、疑問は確信に変わった。 丸みを帯びた柔らかそうな女性の身体ではなく、筋肉をまとう固い男性の身体に自分は欲情する。 同級生が好きな子の話をする時は薄く笑ってごまかす。本当のことは言えない、けれど嘘をつく雄弁さもない。調和を好む群れの中で自分の心に蓋をして過ごした。 口数が少ない、人付き合いが悪いと言われようとも、心の中を知られるよりはずっとましだ。そう思って玲央は必要以上に人と仲良くなることもしなかった。  そんな息子を心配した両親が、環境を変えてみては、とアメリカの大学への進学を勧めてきたのだ。級友や親に秘密がばれる心配もない、誰も自分を知らない場所での生活は聞こえが良かった。心に溜めこんだものを昇華させるように勉強していたので学力的には問題ない。 それから高校卒業までは大学入学に必要な試験勉強と英語力を身につけることに打ちこんだ。  卒業後すぐに日本を離れ、留学生用のESL(語学学校)に通いながら夏までを過ごし、9月の入学と同時に学生寮に入寮する。寮の部屋は2人で一部屋をあてがわれる。 知らない男性との共同生活。 同室になる人が出来る限り嫌な男であればいい、それなら好きになる可能性もない、と願いながら玲央は扉を開いた。  窓からの西日が差しこむ部屋には左右に配置された2つのベッドと勉強机、ベッドの1つに誰かが座っていた。 「よお。留学生だって?俺はクリス。お前どこから来たんだ」 そう言った彼が立ちあがり右手を差し出してくる。玲央は抱え込んでいた鞄を足もとに置き、握手に応じながら伏し目がちに答える。 「レオ・アメミヤです。日本人です」 「レオ?ヘアみたいなのに、ライオンなんだな」 レオという言葉は獅子という意味を持つ。 男にしては華奢で背も低く、色白の小ぶりの顔に黒目がちの瞳。自分を動物になぞらえても小動物にしか思えない。皮肉な名前だ。けれど。 ――髪・・・?みたいなって、どういうことだろう。 「Hair(ヘア)?」 聞き返しながら、正面に立つ男の頭髪をに目をやる。 「あぁ、そっちじゃない。ええと、日本語だよな」 玲央の目線に気づいたクリスがポケットから携帯電話を取り出し、するすると画面に何かを打ち込んでいる。  目を伏せた彼を玲央はこっそりと観察する。 自分より20センチは高そうな身長に、筋肉の付いた逞しい身体。青い瞳と少し下がった眦、すらりと高い鼻梁。緩く癖のある金髪が窓からの日差しを受けて光を放つ。 ――彼の方がよっぽどライオンみたい。 玲央はいつの間にか彼の顔を魅入ってしまっていた。 「これだ」 向けられた画面には『Hare(ヘア)/野うさぎ』の文字が浮かぶ。 『野うさぎ』 「からかったんじゃないぞ、悪く思うなよ」 あまりに可愛らしいものに例えられた玲央のつぶやきに落胆の色が見えたのだろう、クリスは手にしていた携帯電話をしまうと、ぐいと玲央の目を覗きこみながら弁解をする。 玲央は目の前に透き通るような青が広がり、どきりとする。 「留学生ならまだこっちに慣れてないんだろう。困ったことがあれば言えよ」 「あ・・・ありがとう」  青の瞳はまるで催眠術のように、蓋をしたはずの心をぐらりと動かしたような気になった。 玲央は無理やりに体を動かしてクリスの脇をすり抜け、彼が座っていた反対のベッドに鞄をおろした。 「勝手に決めちまったけど、そっちでいいか?」 「うん、構わないよ」  玲央は早鐘を打つ胸を押さえ、留学は失敗だったかもしれない、と不安の色をにじませながら荷解きに専念するふりをした。  学期が始まると毎日が目まぐるしく過ぎた。 クリスは玲央を気にかけて食堂や談話室にも頻繁に連れ出し、構内で見掛ければ必ず声をかけてくれた。  彼の周りにはいつも沢山の友人やとりまきの女の子たちがいる。 対して玲央はこれまで人と距離を置いてきた癖が抜けずにひとりでいることも多く、そんな時は無意識に彼の姿を目で追ってしまう。  クリスはどこに居ても何をしていても、初めて出会った日のように光に包まれているように見えた。  構内の樹木が色づき始める頃に、玲央はようやくクリスへの恋心を認めることにした。 クリスの顔を見ると、声を聞くと心が震える。 ――誰かを好きになるなんて、もう何年も無かったのに。 クラスメイトに惹かれることはあっても、学校にいる時間だけ自分の気持ちを閉じ込めて上手くやり過ごしてきた。けれど寝食を共にするとなるとそんなごまかしが効くはずもなかった。 ――今だけ。大学に通う間だけ・・・。 まだ特定の相手はいなさそうだけど、クリスのことだからそのうちに大切な人も出来るだろう。それでも、外に居る間は大勢いるうちの友人のひとりでしかない自分が、部屋ではクリスを独占出来ることがたまらなく幸せに思えた。 パーティーがあると言ってクリスが寮を抜けだす夜は、主のいないベッドを眺めながら玲央はじくじくした心を抱えて眠る。 玲央はクリスの気配が充満された部屋で、誰にも言えない気持ちを抱いて毎日を過ごした。 「レオ、お前パーティーに来るのか?」 学期末の試験が終わったある日、部屋に帰った玲央が着替えていると、いつもこういった騒ぎには参加しないじゃないか、とでも言いたげな目を向けながらクリスが尋ねる。 「ジュリアが・・・誘ってくれたから」  日本のアニメが好きだというジュリアとは授業で知り合い、玲央が日本人と分かると彼女は大げさに喜んだ。それ以来、何かにつけて話しかけてくれる貴重な友人だ。 そんなジュリアから学期末の試験の最終日に、寮の近くの会場で行われるクリスマスパーティーに誘われたのだ。  パーティーは得意じゃないって、前も来なかったじゃない!来ないから、いつまで経っても慣れないのよ、という少々強引な言葉に圧されたことにしておいたが、本当は空っぽのベッドを見なくて済むならと思う気持ちのほうが大きかった。 「留学生が酒飲んだのばれたら退学になるから止めとけよ。酒よりヤバいもの持ってる奴もいるんだから、気をつけろ」 クリスは苦々しげな顔で玲央にそう言うと部屋を出ていく。言葉はぶっきらぼうだけど、心配してくれているのが分かるから嬉しくて胸が高鳴る。  会場に入ると普段より着飾った女の子たちに囲まれるクリスの姿が見えた。クリスも玲央に気づいて笑顔を見せたが、後ろからジュリアに声を掛けられて一度視線を外した後にはもうこちらを見てはいなかった。  スピーカーからは大音量で流行りの曲がかかり、サンタ帽をかぶった集団がグラスを片手に踊っている。踊る?とのジュリアの誘いを全力で断り、乱雑に並べられたハイテーブルに凭れる。  ジュリアや居合わせた顔見知りと歓談して一時間が過ぎた頃、彼女の携帯電話がメールの着信を知らせた。内容を見るなりジュリアが、大変!と声をあげる。ジュリアと同じアニメを好きな子たちが、寮で集まって鑑賞会をするのだという。 彼女の趣味を理解している玲央は、申し訳なさそうに謝るジュリアを快く見送った。  ジュリアが去ってしばらくすると照明が絞られ、先程とはうってかわってバラードが流れだす。騒いでいた集団はもう会場を出て移動したようだ。 カップルたちが体を寄せあいながらゆったりとダンスするのを玲央はぼんやりと眺めた。 ――僕ももう帰ろうかな。 立ち上がって会場の出口まで歩き、なんとなくクリスのいた方向へ目を向ける。 部屋にいてもいなくても、結局はクリスのことを考えてしまう自分には少し嫌気がさす。 ――あれ、さっきまであそこに居たのに。 クリスを探して視線を会場のあちこちに彷徨わせていると、ふと自分の隣に誰かの気配がした。 「レオ」 「・・・っ、クリス!」 探していた人物が突然現れたので玲央は瞠目する。 「こんなところに立って、何してる」 眉根を寄せたクリスの声がいつもより低く、怒っているように思えた。 「こんなところ?」 部屋の出入り口近くではあるが、人の邪魔になるような位置には立っていないのに、と玲央が怪訝な顔を向けると、クリスが頭上を指差す。  そこにはつるりとした緑の葉と白くて丸い実のついた植物を赤いリボンで結んで飾りが吊るされていた。 「mistletoeだ」 「ミスルトウ?」 玲央はまた聞いたことの無い単語に首をかしげる。 クリスは玲央の分からない言葉があるといつもそうするように、携帯電話を取り出し文字を打ち込んでいく。 その手元を覗きこもうと玲央が身体を寄せた時、ふいに彼がこちらを向いた気がして玲央も顔をあげた。とたんにクリスと玲央の鼻先が触れそうになる。 あわてて体を立て直す玲央の口元にクリスのため息が落ちたと思った次の瞬間にはもう、玲央の唇はクリスのそれで覆われていた。  玲央は一瞬、何が起きたのか分からなかった。 ――あ、あ、くち、が。 キスをされていると理解した玲央が身を固くしても、クリスはキスを止めない。 「ん・・・はぁ、ん、んぅ・・・っ」 知らぬ間に玲央の腰はクリスの逞しい腕で引き寄せられ、もう片方の手を頤に添えられている。クリスは玲央の唇を軽く食むようにキスを繰り返し、うすく開いた玲央の唇の隙間をぺろりと舐めてから離れた。 「部屋に戻ろう」 クリスは玲央の手首を掴み、会場の外へと進む。建物を出ると雪が散らついていた。 「・・・っ、クリス、待って」 クリスは前を見据えたまま、掴んだ手を玲央の手首から手のひらへとおろす。玲央は混乱した頭で、唇と繋がれた手の熱を感じながら足を動かした。  寮の廊下や談話室は騒ぐ寮生たちで溢れかえっていた。 人目を気にした玲央が思わず手をふりほどくと、クリスは玲央を一瞥し、友人からの酒盛りの誘いを断りながら玲央の背中に手をまわして部屋へと向かわせる。 「入って」 部屋の扉を閉めると喧騒が少し遠のく。 クリスは黙ったまま玲央の体を押しやりベッドに腰掛けさせ、携帯電話にmistletoeの綴りと和訳の載った画面を表示させ、玲央の目の前につきだした。 『ヤドリギ』 その日本語にも見覚えがなく、意図が分からずにおろおろとクリスを見上げる。 「この下にいる女の子にはキスしていいっていう決まりがある」 先程の行為を正当化するかのようにクリスが告げる。 「けど、ぼ、僕、女の子じゃない」 「そんなのどっちでもいい」 玲央の正面にいたクリスが膝をつき、視線を合わせて玲央の手をとる。 「レオは俺のことが好きだろう」 玲央の喉がとヒュッと音を立てる。 ――気づかれていた。 「いつもあんな風に見つめられて、気づかないわけがない」 全身から血の気が引き、指先が冷えて強張る。クリスの手に触れられている箇所だけ燃えるように熱い。 「ご、ごめ・・・ごめんなさっ・・・」 かすれた声を絞り出す玲央の双眸には涙の膜が張り、視界が滲む。 「レオ、違う。謝る必要なんてない」 視線を合わせたままのクリスの手に力がこもる。 「さっきは・・・お前があんなところに居て、誰か他のやつにキスされたらどうするんだって焦って先走ったけど」 玲央の冷えた指先を温めるようにクリスは息を吹きかけてから言葉を続ける。 「俺はお前が好きだ」 クリスの言葉に玲央は目を(みは)る。 聴こえた英語は中学生でもわかる簡単なものなのに、脳がうまく働かない。 ――クリスが、僕を、好き? 玲央を見つめるクリスの眼差しは真剣で、言葉に嘘が無いことは分かる。 「けど・・・けど、クリスも僕も男同士だ」 想いが通じたとしても、この関係は許されるものではない。ずっとそう信じてきた玲央の声が震える。 「日本ではまだ受容れられていないかもしれない、けどここはアメリカだ。この気持ちは間違ったものじゃない。周りを気にするのはレオらしいけど、俺はお前の気持ちが聞きたい。俺を好きだって言って欲しい」 力強くそう話すクリスの手が、少しだけ震えていることに玲央は気づいた。 誰にも伝えるつもりは無かった。 これまでと同じように、心を殺すように忘れればいいと思っていた。 蓋をしていた心から溢れ出る気持ちを代弁するかのように、玲央の眸から涙が零れ落ちる。 ――本当に、言ってもいいなら。 「すき・・・、クリスが、すき」 初めて口にする愛の言葉に玲央の身体がわななく。 玲央の涙を吸い取るようなクリスのキスが目尻に柔らかく落ち、頬に残る涙の痕を伝って口元へ降りる。 「愛してる、レオ。これでもうヤドリギが無くてもキスができる」  いつの間にか外の喧騒も止み、窓の外では雪の勢いが増して世界を白く塗りつぶしていく。 夜が静かに更けていった。

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