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1.目覚めたら見知らぬ男

 ありのままの自分で愛されたいなあ。  そんなの、無理な話だって、知っているけど。  こういうシチュエーションって、現実にあるんだなあ――寝起きの頭で|李木百樹《すももぎももき》はそんなことを考える。  見知らぬ部屋の見知らぬベッド。隣には見知らぬ男。 「やっちゃった……」  確か昨日はまだ役が抜けてなくて。轍っちゃん(マネージャー)に気をつけろよって言われて。でもまだ「わかりやすい当て馬のチャラ男」の役が降りてたし、先輩俳優とも別れたばっかだったから、ふらふら夜の街にくり出しちゃって。  こんな地方の街にもゲイバーがあることに感心しながらその店に入って――今、ここ。 「…………」  いやまだわからない。ギリかも。未遂かも。  そっと布団をめくって己の下半身を確かめる――までもなく、腰にずきりと痛みが走る。それは痛みと同時に甘い重さも伴っていて、百樹はふたたび呟いた。 「やっちゃった……」  二重の意味で。 「ふぁーん!」  意味不明な呻きを上げて、百樹はまだ幼さの残る小さな頭を抱え混んだ。 色素の薄い髪は生まれつきゆるいくせ毛で、それゆえ子供の頃は「天使みたい」などと言われていた。おかげさまで天使の面影は二十歳になった今でも健在で、百樹に日々の生計を与えてくれている。  そう、百樹は若手俳優だった。主に舞台を中心に活躍している。  中性的で毒のないルックスは、近年上演の増えた漫画やアニメ原作の舞台、いわゆる2.5次元もので重宝された。主役級こそまだ務めたことはないものの、登場人物の多い有名作の端っこになら、だいたいキャスティングされるようになっている。公演の度、花を贈ってくれるファンもちらほら出てきた。端役ですらありつくことが難しいこの業界で、恵まれたほうだと言うべきだろう。  そして百樹は、憑依型役者だった。  ハリウッド式にキャラの背景を研究して演じるのではなく、すっと役に入り込める。そのキャラが、ひいてはスタッフが求めるものが、瞬時にわかる。いや。わかった、と思う間もなくいつの間にか降りている。そんな感じだ。 そんなタイプだからか、時々降ろした役が抜けるのに時間がかかることがある。  そんなとき、百樹は東京を離れ地方の街をふらふらすることにしていた。大きく環境を変えることで逆に自分が戻ってくる。それに地方なら、舞台がメインの自分の顔はそう知られてもいない。役に引っ張られたおかしな言動をしても問題は少ない。それでうまくいっていた。  少なくとも今までは。 「うわーん!」  再び頭を抱えて、隣で眠る男の顔をあらためて見た。  肩口につく程度の髪は、百樹とは対照的に真っ直ぐで、艶やかに黒い。寝乱れたそれが落ちかかる鼻梁はすっと通って、肌は日に灼けている。ごくぼんやりとしか残っていない記憶の中で隣に立ったとき、十センチは見上げる感じだったから、一八五センチは確実にあるだろう。  未だ「可愛い」と評されてしまう百樹だが、きっとこの男の記事が書かれるとしたら、そこに記されるのは「精悍」という文字だ。年齢は五、六歳上といったところか。  なにかスポーツでもやっているのか、むき出しの腕には筋肉の隆起がはっきりと見て取れる。今は布団で隠されている胸板は厚い。 そしてそこから美しい山の稜線のような線を描いて繋がった腹筋は、見事に割れているはずだった。  「……ッ!」  思い出すと同時に体の中を貫くように震えが走って、百樹はせり上がった吐息をかみ殺した。  なぜ腹筋の美しさを知っているかと言えば、昨夜自分で乗っかってはちゃめちゃに腰を振ったから。  名前も知らないこの男は「自分がゲイかもしれないと思うようになったのは最近なんだ」と言っていた。ひんむいてみたらまあ見事な体をしていて、チャラ男が降りていた自分は、 『じゃあ俺が教えてあげるよ、おにーさん』  とかなんとか言って―― 「このあほビッチ~~~~!!!!!!!!!」  自分でやったことなのに、顔を覆って足をジタバタさせてしまう。 そうする間にも、男の息づかいがだんだん湿っていく様、だんだん余裕をなくしていく様が、耳の中にありありとよみがえってくる。  男の言葉を信じるのなら、宝の持ち腐れも甚だしい美しい体の隅々に唇で触れて。触れられて。  大きく足を開いて誘えば、再奥の蕾を舌先でこじ開けられた。  その熱。そのぬめり。やがてそれだけでは物足りなくなって立派に育った楔を自ら向かい入れたとき、襲われた衝撃――  いいセックスだったなあ……  正直な感想を漏らせばそうなる。顔も体もどこまでも応じてくれるセックスも、なにもかも好み。  ――とか言ってる場合じゃない。  いくら超有名ではないとはいえ、自分は芸能人だ。ゲイであることも公表してはいない。身内がマネージャーで融通がきくとはいえ、SEXスキャンダルは御法度中の御法度だ。  やっと夢想から目覚めた百樹は、ベッドから転がり出た。ものの見事に床の上に散乱した服をひっかき集め、身につける。 「あれっ、パンツ! パンツは!?」  肝心要の下着が見当たらない。どうやらラブホテルらしい部屋中を見渡して、なぜか入り口のドアノブに引っかかっているのを発見した。 どういう状況でどう脱いだのかは考えないことにして、素早く足を通す。  よかった。やっと人権を取り戻せた。体を隠す面積でいったらTシャツのほうが断然上なのに、パンツの安心感半端ない。サンキューパンツ。パンツフォーエヴァー。  そのとき、「う……」と男が身じろいだ。  お、起きる!?  百樹はびくっと体を強ばらせた。今まで散々「ふぁー」だの「わあーん」だの「ビッチ!!」だの叫んでしまったので、起きてしまっても不思議ではない。  できれば顔を合せる前にそっと抜け出したかったけど……  びくびくと躰を縮こませながら、様子をうかがう。男はなにか夢でも見ているのか、美しい鼻梁の付け根に皺を刻んで険しい顔をしていた。  幸い魘されているだけで、起き出してくる気配はない。  けれどその顔があんまり苦しそうで、百樹はTシャツにパンツをやっと履いただけのかっこうで、そろりとベッドに近づいた。  膝をつき、男の顔を覗き込む。  悪夢などものともしなそうな容貌なのに、眉間の皺は深くなる一方だ。なんだか見ているこっちがつらくなってくる。 「……おにーさんも、なんかつらいことでもあんの?」  気がつくと、さらに身を乗り出して、百樹はその眉間にひとつ口づけを落としていた。  どうしてか、そうせずにはいられなかった。  少しでもなにか、してあげられないかと思わずには。 「う……?」  再び男が呻いて、百樹が唇で触れたばかりの眉間に腕を伸ばした。  やば、今度こそ起きる!?  百樹は慌ててジーンズに足を通す。勉強のため何度か観に行った歌舞伎みたいに片足でと、と、と跳ねると、硝子のローテーブルに臑をぶつけた。 「…………!」  うずくまって悲鳴をかみ殺す。  とにかくここにいればいるだけ墓穴掘削マシーンになる気がする。百樹は涙目でどうにか立ち上がると、上着を拾い上げ、テーブルの上のスマホと財布をひっつかんだ。  逃げるようにして外に出る。すでに夜は明けていた。ちょうど通りかかったタクシーを止め、かろうじて覚えていたホテル名を告げる。それからシートに深く体を埋めると「寝るから話しかけないでね」の合図としてキャップを目深に引き下げ目を閉じた。瞬間、安堵が体中に広がって、本当に眠くなってくる。  ひとまずこれで安心だ。  見知らぬ土地の、名も知らぬ男。もう二度と会うことはないだろう。

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