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屋上の手摺に凭れ煙草をふかしていた風見(かざみ)が、空を見上げて言った。 「この時間、この場所で今まで何回、こうやって煙草吸いながら空を見ただろう……って思うと、不思議な感覚だよな」 少し離れた場所にいた部下の森川(もりかわ)が、風見の様子を窺いながら間合いを詰めていく。 「そう思うなら、バカなことを考えるのもやめてくださいよ。その度に俺は……苦しまなきゃならない」 「お前こそ、嫌ならこの場から逃げれば済む話だろ?」 「出来るわけないじゃないですか……そんなこと」 森川が眉根を寄せて風見に詰め寄った。彼は風見の上着の襟元を掴むと、引き寄せながら肩に額を落ち着けた。 「何度、俺を苦しめれば気が済むんですか……。そんなに俺が嫌い……ですか?」 風見は鼻を鳴らして笑った。 「その台詞、聞き飽きたな。たまには違うこと言ってみろよ」 「言っても……あなたがここから飛び降りることを止めることは出来ない。何十回試してもダメだった……」 森川は頬に伝う涙を拭いもせずに風見を睨み付けた。 もう何十回と同じことを繰り返している。それなのに風見は、森川に本心を見せることなく逝く。 もしも、彼の心の内に触れることが出来れば、何かが変わるかもしれない……。しかし、それを許さない風見は短くなった煙草を足元に落とした。 飛び降りるまで、あと5分……。森川は掴んだままの手に力を込めた。 「皺になるからいい加減離せ」 「イヤです。離したら……あなたは……」 「ーーあと何回繰り返したら、自分を肯定することが出来るんだろうな」 風見の言葉に目を見開いた森川は、乾いた唇を震わせた。すべての原因は、互いに自己肯定出来ないことにある。好きになった相手が男であり、それを認めたくない自分がいる。 こんなにも近くにいるのに、それ以上相手を踏み込ませないための壁をつくり、逃げるばかりの人生。 「そろそろ終わりにしませんか?」 「何を?」 森川の掠れた声に、わずかに視線をあげた風見が彼を引き離そうと手をかけた時だった。 森川の左手が風見の顎をとらえ、ぐっと上向かせると唇を塞がれた。 驚きに息を呑んだまま動けない風見の舌を絡めとるように、森川の舌が深く差し込まれた。 こんな展開は今までなかった。風見は焦って森川を離そうとするが、彼は掴んでいた手を腰に回すと、思い切り抱き寄せた。その強さが、風見の中にある秘めた想いを封じた殻を呆気な砕いた。 相手は男で部下だ。決して愛してはいけない……そう言い聞かせていた自分の強さが、実はちょっとの衝撃で壊れてしまうほど脆いものだと知る。 なぜ、この場所で命を絶っていた? なぜ、この場所で愛する人に別れを告げていた? 最期をみせることが、風見にとって絶対に切れることのない繋がりを保てる唯一の方法だと思っていた。 「風見さん……。毎回、あなたが逝く前に言えなかったことを、今日は言わせてください」 「森川……」 「あなたが好きです。ずっと、ずっと愛していました」 耳元で囁かれる森川の言葉に、身を震わせた風見は濡れた唇をキュッと噛んでから、長く細い息を吐いた。 「やっと楽になれる……。この時を繰り返せるなら、生きているのも悪くないな」 「風見さん?」 風見は高鳴る心臓の音を聞かれたくなくて、自身の胸元を鷲掴んだ。熱もないのに頬が熱い。腰の奥が疼くのは邪な欲望のせい……。 「俺を……抱きたいか?」 「はい」 「こんな男で、いいのか?」 「今までの後悔に比べたら怖いものはないです」 「なんだよ、それ。まるで化け物と添い遂げるような言い方だな」 「風見さんがそうなら、俺も化け物ですから……。風見さん、ちゃんと言ってください。もう焦らされるのは耐えられない」 そう言った森川は風見を責めるように、耳朶に軽く歯を立てた。その痛みに肩を震わせた風見は、俯いたまま言った。 「ずっと……好きだった。お前のことが、好きだった」 互いの心が初めて寄り添い、想いが重なった瞬間だった。 人間の目には見えない時空間で、軋んでいた大きな歯車が動きを止める。その刹那、新たに生まれた歯車と噛み合い、規則正しいリズムを刻んで動き始めた。 無数に存在する歯車。だが、ピタリと噛み合うものはこの世でひとつしかない。 それは運命という名で結ばれたかけがえのない存在と生きること。 永劫回帰ーーこのトキメキを繰り返すたびに、愛は深まっていく。 永遠に繰り返される恋の始まり……。 もう、飽きることはない。なくてはならない存在と共に生きる喜びを分かち合うために、今日も生きていく。 Fin

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