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プロローグ

 夜空で星が爆発する。  衝撃が脇腹をつらぬき、ジラールは地面に叩きつけられる。呼吸をとりもどすまでに一瞬の間が生まれる。転がりながら岩陰へ逃れる。もちろん星はまだ頭上で降るように輝いている。銃口から噴き出した炎と白煙による錯覚だ。風で硝煙がながれてくる。この匂いに鼻は完全に麻痺している。脇腹は熱いが痛みはない。  痛みはつねに遅れてやってくる。どんな痛みもそうだとジラールは知っている。岩陰で相手の気配をさがす。白煙と暗闇にまぎれながら相手も自分を探している。ジラールは数をかぞえる。銃と共にどこかに隠れている者、これが最後のひとりだ。かぞえるまでもないのにいつもこの癖が抜けない。時間と感覚は無駄にできないのに。持っていた銃はすべて弾切れで、かなり前に捨てた。自分が撃った者の手から銃をとり、撃ちつくしてはまた捨てて、ここまできたのだ。  銃の問題はこれだ。空気から銃弾は生まれない。  砦の主が死んだいま、最後のひとりが自分を追うのはおそらく一種の反射運動だ。逃げれば追う。叩けば叩き返す。なにかに力をあたえれば、力が返ってくる。力は自分自身の体とその延長に宿るが、いまジラールの手元にあるのは短剣だけだ。立ち去るべき時に立ち去れなかった報いだ。  相手は近くにいるはずだ。武器は回転式拳銃(リボルバー)で、小銃(ライフル)ではなかった。むこうに残る弾も、多くて残り4発か。  極度の集中でジラールの中では時がゆっくりと流れるようだ。興奮で何の痛みも感じない。ジラールの敏感な耳は撃鉄を起こす音をとらえる。巨大な猫科の獣のように岩陰を移動する。だしぬけに「たしかに猫並みだね」と自分を評した男の顔が脳裏にうかぶ。その美貌から繰り出される飄々として楽しそうな語り口は今の空気にひどくそぐわない。ジラールは小石を拾う。手首を振り、狙いたがわず、飛ばす。  小石が岩に当たるとほぼ同時に銃声が響く。残り3発。闇の中にいてもジラールには相手が外していないとわかる。普通は音だけでは撃てない。つまり同類だ。いい腕だ。ジラールはすばやく跳ぶ。脇腹がひきつり、一瞬遅れる。足もとの土が銃弾でえぐられる。残り2発。  白煙が動き、ジラールに相手がみえる。これまで戦ってきた者たち同様、何の感情も持てない相手だ。自分の状況に問題がなければやはり何も思わないだろう。単に誰かが死ぬだけだ。それはずっと自分以外の方だった。今夜は逆になるのかもしれない。痛みが来るのがすこし早い。集中がとぎれかけている。  ふいにジラールの背後で馬がいなないた。はっと息をのむ声が銃声にかき消される。ジラールは駆け出し、駆けながら短剣の柄をさぐる。馬に乗っているのが何者であっても状況は握らなくてはならない。銃声がまっこうからやってくる。走っているので当たらずにすむ。幸運だ。あと何発?  すると相手が銃を捨て、腰のうしろへ手を伸ばしてもう一丁抜く。  不運だ。 「ジラール!」  背後から声が背中を刺した。何かが宙を飛んでくる。ジラールは敵に視線を据え、駆けながら邪魔な短剣を捨て、片手を高くあげる。銃把が手のひらにおさまり、吸いつくように肌になじむ。握った一瞬でこの武器に何が可能かをジラールは理解する。振りもどして相手に向けた腕の先から力が――ふだん意識もしていない魔力が流れ出す。視線と照準が一線にならんだ。  閃光がひらめき、銃声が鳴る。  ジラールは地面に相手が崩れる音をきく。脇腹がおかしなくらい熱い。土に膝をつくと自分の体の内側にも音が戻ってくる。心臓がどくどくと鼓動をきざみ、荒い呼吸に合わせて灼けつくような痛みが拍を打つ。  うんざりだ。  握ったままの銃に気づいて腰帯へ下げようとするが、指がふるえてうまくいかない。脇腹からじくじくと血が流れ出している。  ひずめが小石を蹴散らして、頭のすぐ近くでブーツのかかとが軽やかに鳴った。 「血まみれじゃないか。まったく」  飄々とした声がいう。  飄々としているくせに怒っているような響きだった。  うつむいたままジラールはつぶやく。 「おまえと会うのは、この道の先の場所だろう」 「遅いんだよ」  背後から力強い手がジラールの肩をつかんだ。触れた位置から力が、透明で敏捷な動物のような魔力が入りこみ、体じゅうを駆けめぐる。同時に痛みも激しくなる。さっきよりもっとひどい。ジラールは顔をしかめる。 「おい、痛いぞ」 「めずらしくよくしゃべるね」  とたんに脇腹をつかまれ、気を失うかと思うほどの衝撃にジラールは眼を閉じる。だが次の数呼吸で痛みが去り、体全体が安堵に満たされた。ふたたび眼をあけるとすぐ近くで相手の吐息を感じるが、闇に覆われて顔は輪郭しかみえない。絹糸のような毛束が首筋をくすぐる。ほそい指がジラールの髪を乱暴につかみ、かきまわし、頭を持ち上げようとする。  体の厚みはジラールの半分程度しかないくせに、この男の遠慮のなさはどうだ。 「怪我人にやさしくできないのか」  うなりながらつぶやくと、乾いた笑いがひたいにぶつかった。 「おまえが怪我人? 可笑しすぎる」  相手の腕の細さを思うと意外なほど強い力でひっぱり起こされた。馬がみじろぎ、かすかにいななく。ジラールはよろよろと立ち上がって鞍にすがりつく。 「ぼろ雑巾みたいだな、ジラール」  ため息のような深い吐息が耳をかすった。 「まったく。僕が治してやるよ」

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