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電気を消した、真っ暗な部屋。
ベッドのなかで、眠る藤堂くんの息遣いを感じながら、もの思いにふける。
めちゃくちゃに抱かれて、文字通りむさぼりあって、興奮したし、自分の欲が際限ないように思われた。
「…………っ」
ふっと沸き上がる衝動を抑えようとする。
どうしても、どうしても欲しくてたまらなくなってしまう自分の罪深さが、みじめったらしい。
少しだけ顔をかたむけて、藤堂くんを盗み見る。
夜目にもくっきりと見える、整った造形。
伏せられた長いまつ毛を見ていたら、たまらなくなった。
――もう、我慢ができない。
そっと布団を抜け出し、手探りで机まで移動すると、ガタガタと音を立てる『それ』に手をかけた。
カコンと音を立てて、ロックがはずれる。
心臓の音が最高潮に達する。
血が沸騰するのを感じながら、そっと腕を入れた、そのときだった。
「……ふみ?」
びくりと肩が跳ねる。
藤堂くんは、ゴソゴソと布団から起き上がると、冷静な声で言った。
「ふみ、ダメだ。だいきちは」
部屋の明かりがつき、目が合う。
電気のリモコンを持ったまままっすぐおれを見つめる藤堂くんは、悲しそうだった。
「…………とうどうく、」
「漫画は盗んでもいい。けど、だいきちはダメだよ」
おれの右手の中では、哀れにも鷲掴みにされただいきちが、もごもごと抵抗していた。
藤堂くんは身を起こし、こちらに近づいてくる。
焦ってケージから腕を引き抜くと、その拍子に、机の上に置いていたペンケースをなぎ払ってしまった。
中身が散らばり、筆記用具に混じって、華奢なブレスレットが床に落ちる。
藤堂くんは立ち止まり、しばらくそれを見つめたあと、静かに口を開いた。
「……俺、そのブレスレット、失くしたと思ってた。乱交パーティーにつけて行ってたから、何かの拍子に落としたのかなと思ってたんだけど。ふみが盗ったんだね」
「違っ……」
何も違わない。おれが盗んだ。
タチのひとがつける赤いリストバンドに重なっていた、藤堂くんのブレスレット。
藤堂くんがおれを探して教室に来た日も、こんな風にペンケースの中身を床にぶちまけたと思い出す。
そして、一緒に拾ってくれた女の子がおれの名前を口にして、藤堂くんに気づかれた。
――朋永くん、ブレスレットつけたりするんだね。意っ外~
彼女の言葉を、頭の中で訂正する。
つけてない。
ペンケースの中に入れて持ち歩いて、毎日眺めていた。
こんなこと、絶対にいけないのにと思いながら。
「ふみがはじめてうちに遊びにきてから何日か経って、スラムダンクの12巻だけがなくなってることに気づいた。読んだあとにどこかにぽんと置いちゃったんだと思って部屋中探したけど、なかった」
本能的に、机の引き出しを背で隠す。
筋金入りのジャンプ読者だと言っていた彼は、きっとすぐに違和感を抱いただろう。
「それで、ふみが盗んだのかもって思ったのは、かっぱ橋に遊びに行った日で――」
「……もう、もういいよ。気づいたんでしょ? おれが万引きしたって」
「うん。お店を出るとき、いちごパフェのところに陳列してあったスプーンがなくなってた」
西日に染まる鶯谷駅で、密かに冷や汗を垂らしたことを思い出す。
本屋に寄って帰ることを隠そうとした彼は、多分、虚言癖のために嘘をついたわけではない。
おれが万引きをしたことに気づいて、自分の部屋の漫画がなくなったことも思い出したのだろう。
「……試したんだよね? おれが藤堂くんの漫画を盗んだのか、反応を見ようと思って、わざと『本屋』って単語を出したんでしょ?」
「うん。焦った顔をしてたから、そうなんだろうなって思った」
フラれると思ったのだ。
ブレスレットを盗んだことも、漫画を盗んだこともバレて、きっと愛想をつかされたに違いない。
そう思って、めちゃくちゃ焦った。
本当はおれには、藤堂くんの虚言癖を責める資格なんてないのだ。
ずっとむかしから、盗癖がある。
日常でふっと沸き起こる『盗みたい』という衝動が、抑えられない。
自分でも、異常者だと思う。
……でもまさか、生き物にまでそんな気を起こすとは思わなかった。
「ごめん。ごめんね。だいきちを殺そうと思ったわけじゃないよ」
「分かってる」
藤堂くんは、軽く眉根を寄せて微笑んだ。
「もしかしたらこうなるかもって思ったけど、でもどうしてもふみに見せたかった。だからだいきちを連れてきたんだよ。信じてないわけじゃないし、怒ってもいない。責めるつもりもないし」
ぼろぼろと涙がこぼれる。
全部自分でやってきたことで、自分が招いたことで、自業自得なのに。
「……まいにち、こわかった。いつ別れようって言われるのかなって思ってた。きょうだって、こんな風に泊まりに来てくれたり、お風呂に一緒に入ったりなんて、最後かもと思ったよ。盗んだのはバレてるって分かってたし、それならこれは、最後の思い出作りかなとか」
しゃくり上げるおれを見て、藤堂くんは困ったように笑った。
そして軽く手を広げながら近づいてきて――抱きしめられた。
「……ふみは分かってないな。全然分かってない。散々わがままとか嘘とか許してくれたのに、嫌いになんてなるわけない」
「でも、おれ、」
「もういいでしょ。俺も弱いしふみも弱い。ふたりとも何か欠落してて、それでも生きてる。ね? それでいいんだよ」
意味もなく、ごめん、ごめんと繰り返す。
藤堂くんは、子供をあやすみたいにトントンと背中を叩いて、落ち着けようとしてくれた。
「俺いま、泣いてぐちゃぐちゃのふみにキスしたいよ。涙とか鼻水とか、全然汚いとか思えない。好きすぎる。ふみ」
そう言って本当に頬をなめてこようとしたので、おれは慌てて袖で顔を拭った。
藤堂くんが、あははと笑う。
「可愛いね、ふみ。大好き。キスしたい。するね?」
「……ん、」
やわらかく、ふにふにと、何度も押し付けるようにキスしてくる。
「ん、……ふぁ、んぅ」
「ふみ」
「は……、藤堂く、んぅ、好き。すき」
「俺も。めちゃくちゃすき」
唇をくっつけたままささやかれて、ぶわっと顔が熱くなる。
くちゅくちゅと舌を絡めて、何かを確かめ合うみたいに深く口づけていると、また泣きたくなってきた。
こみ上げてきたものをぐっと飲み込むと、藤堂くんはそれに気づいたらしい。
よしよしと優しく頭をなでながら言った。
「……ごめんね。俺、嘘ついた。本当は、ふみが盗んでることに気づいたのは、いまさっき。だいきちのケージに手を入れたときだ。ほんとは、なーんにも気づいてなかったよ」
「えっ!?」
驚いて体を離そうとしたけど、藤堂くんはぎゅっと抱きしめてそれを阻んだ。
「ブレスレットは乱交パーティーで失くしたんだと思ってて、ふみが盗ったなんて、これっぽっちも思ってなかった。漫画がなくなってたのも自分の不注意だと思ってたし、食品サンプルのスプーンが消えてるのも、まさかふみが盗ったなんて、夢にも思わなかった。本屋に寄ったことを隠したのは、いつもどおり口をついて出た、意味のない嘘。いまふみがだいきちに手をかけようとしているのを見てはじめて、全部が繋がった感じ」
またじわじわと泣けてくる。
「……ぅ、気づいてくれてありがと。もし、もし気づいてくれなかったら、おれ、だいきちのこと、」
「いや。俺が止めなくても、ふみはやめてたと思うよ」
ちゅ、ちゅ、とキスしながら、藤堂くんは穏やかに言った。
「俺はふみのこと信頼してるし好きだし、ふみも同じ気持ちでいて欲しいなって思ってる。ずっと一緒がいい」
「おれも、許してもらえるなら、別れたくないよ」
「デートのときは、ずっと手をつないでればいいね。そしたら何も盗めないよ。あはは」
おれはわあわあと泣いて、藤堂くんは何度もおれの髪を撫でながら言った。
秘密と傷を分かちあいながら生きていくのは、悪くないということ。
手を取り合って歳を重ねていけば、きっとおれたちは再生できると信じていること。
そしてそれは、心の底から思っていて、一生嘘にはならないということ。
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