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72.雨と会長

   数日経っても、教室のおかしな雰囲気は残っていた。  何がおかしいのか分からないのは、日頃からちゃんと周りを見ていないからだろうか。  周りに不快な思いをさせない為になるべく人と目を合わせないようにしているから、いざ観察しようとしても前の状態がどうだったのか分からず比べようが無い。  でも、何かおかしいのは確かなのだ。  もやもやしたまま迎える週末、唯一良かったのは猫野の退部が無くなった事だ。  退部の話を聞いたその日、偶然帽子野先生に呼び止められた。  俺はよっぽどひどい顔をしていたのかずいぶんと心配された。  だから猫野の件を話したら「なんだその事か」と笑われる。担任なんだから当然帽子野先生も知っていたようで、 「心配しなくても俺が何とかするからな。だから木戸は安心しろ」  と優しく微笑み頭を撫でられて、その心強い言葉に強張っていた心が少し解れたような気がした。  猫野の退部が無くなったと教えてもらったのはその後すぐだった。  帽子野先生から言われた時は嬉しくてずっとつっかえていたもやもやが晴れたようで安堵で泣きそうになったのを覚えている。  かと言ってこんな所で泣いたら先生だって困るだろうからグッとこらえて笑って礼を言う。  すると優しく引き寄せられてあやすように頭を撫でられた。 「よっぽど友達が心配だったんだな。もう大丈夫だ」  俺の我慢なんて簡単に見破られた事が恥ずかしかったが、先生の頼りになる腕に安心してしまってちょっとだけ、ほんのちょっとだけ泣いた。  ホントにちょっとだ。少し目に涙の膜が張ったぐらいだ。  とまあ、猫野の心配は無くなったのに、無くなったら無くなったで別の事が気になりだしてもやもやするなんて人間は難儀な生き物だと思う。  それでも学生生活に待ったは無いわけで、部屋で一人問題集を広げて勉強する。  そのうちまた先輩に教えないといけなくなるかもしれないから出来るときにしておかなくてはならない、と言うのは言い訳で、勉強をしている間はもやもやを忘れられるから。  そんな思いで無心でペンを走らせていたらシャーペンの芯が無くなった。  売店はもう開いてないので仕方なくコンビニへ向かう。  どんよりと曇った空は今にも降り出しそうだが走れば五分とかからない距離だからまぁ大丈夫だろう。  コンビニに入ればお菓子を買いたいのをぐっと我慢してレジに並び、店員がちらちら見てくるのを気づかないふりしてシャーペンの芯だけを買ってコンビニを出る。 「あ……」  出た途端、降りだした。  ツイてないなぁと思いながらもこのまま走って戻るか傘を買うかで迷う内、雨は本降りとなってしまい悩む前にさっさと走って帰っておけば良かったと後悔した。 「でも傘を買うのもなぁ……」  これだけの為に買うにしては、俺にとっては高すぎる。  傘を買うぐらいならポテトチップスを買いたい。ついでに好きなジュースを買ってもお釣りが来る。それに店員もちらちらと嫌そうに俺を見ていたから戻るのも悪い気がするのだ。  雨が止む気配は無いし、嫌な顔をされながら無駄なお金を使うぐらいならずぶ濡れになるのを覚悟で走って帰るか。  そう決断して走る体勢になる。 「木戸ルイ」 「え、はい」  走り出そうとしたその時に名前を呼ばれて声の方へ振り向けば、見知った顔が黒い傘をさして立っていた。 「あ……兎月先輩」  相変わらず無表情の兎月生徒会長がゆっくりとした足取りで近づいて来て、思わず逃げそうになるのをなんとか踏み止まった。  顔を見た途端逃げるだなんていくら何でも失礼過ぎるだろうから。 「傘を持って出なかったのですか?」 「あー、はい……」 「天気予報を見ていないのですか?」 「見てないですね……いや降りそうだとは思ってたんですがすぐ近くだし大丈夫かなって思って……」 「浅はかですね」 「す……すいません」  なぜ謝っているのは自分でも分からないが会長の持つ雰囲気がそうさせる。  王者のようなオーラを纏う会長に口答えなんか出来るはずもない。 「寮へ帰るのですか?」 「はい」 「では行きますよ」 「え?」 「何か問題でも?」 「い、いえ!」  視線で促されて会長の隣、会長の傘の中へと移動した。  ゆっくりとした足取りに合わせて俺も歩き出す。  歩き出したは良いのだが、気まずい。気まず過ぎる。  チラリと会長の顔を覗き見れば何でも無いような顔をしているが、この人は忘れてしまったのだろうか。  そう考えて、有り得ないと自分で否定した。  この人が、冗談やその場のノリであんな事をする筈が無い。 『私がキスをしたいと考える相手は、恋愛感情のある人物にだけです』  言葉と共にされたキスは、勘違いじゃなければ自分は告白されたのだろうから。  

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