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第4話 孤高の王④

「……ん? いや、ちょっと待って……?」  難しい話にはとうについていけていないのだが、さっきから番と同時に聞き逃せない話が混ざっていることに気づいた。 「子を生むとか残すとか言ってるけど、番ってそもそも何……?」  スウードは俺が本当に何も理解していないことに、呆れたのか哀れに思ったのか、溜息を吐き、 「君は王の妻になり、子を生むんだ」  と静かに呟くように言った。耳が後ろに倒れている。俺の境遇を気遣ってくれているのだろう。 「……気に入られなかったら、スウードの部下にしてよ」  そうなればいいと願いを込めて言ったのが分かったのだろう。スウードは「分かった」とただ一言そう言って、真っ直ぐに塔に向かって進んだ。 「スウード……! やっと帰って来た !」  塔の下に辿り着くと、灯りを持った犬族の男が慌てた様子で一匹駆け寄ってきた。 「どうしたんだ?」 「どうしたもこうしたも、お前がいない間の陛下のお相手をしていたんだぞッ! お食事はほとんどお召し上がりにならないし、今朝なんてテーブルの上の皿を床に全部ひっくり返されて……! この数日生きた心地がしなかったんだッ!」  男は急くように荷車の錠を開けると、「早く来い!」と俺の腕を掴んで、引き摺り下ろした。腕を捻り上げられて、痛くてその場に膝をつく。 「乱暴な真似をするな! 僕が連れて行く!」  男の手を払い除け、「大丈夫か」と俺の肩を抱えて立ち上がらせた。 「あとは頼んだぞ! 俺はもう行くからなっ!」  逃げるように灯りを渡して去って行く男にスウードは苦々しげに舌打ちして、塔の扉を開いた。そして俺を掴んで引き入れたりはせず、「ついてきてくれ」と先に中に入る。  これが逃げられる最後のタイミングだと思った。スウードもその選択肢を残してくれたのかもしれない。  しかし、ここまできて逃げることができるとは思わなかった。例え逃げても、俺は故郷の森に戻ることはできないのだ。俺はスウードの後ろから、塔に足を踏み入れた。  そこには広い空間が広がっていた。天井を見上げると、随分遠くに見えた。階段がぐるぐると円を描きながら、上へ上へ続いている。 「……もしかしなくても、この上まで行くのか?」 「ああ、背負って連れて行っても構わないが」  流石にそんなみっともないのは御免だ。「大丈夫」とスウードに先を行くように促し、長い長い階段を上った。  息を切らしながら、どれくらい上ったのだろう。下から見えていた天井だと思っていた場所まで辿り着いた。それは天井ではなく、床だったのだと、階段を上り切って気付く。  真っ暗な空間に、灯りが一つ点っていて、そこに目を遣ると、窓際にぼんやりと月の光に照らされて真っ白な誰かの姿が浮かび上がっていた。 「陛下、申し訳ありません……! すぐに灯りをお点け致します」  スウードが慌てて手に持つ灯りから火を取り、部屋の灯りに点していく。 「わぁ……」  暗闇から段々と部屋の様子が見えてくると、白を基調として金の装飾や鮮やかな青を散りばめた美しい部屋で、思わず感嘆の声が漏れた。 「陛下、番の候補としてお連れ致しました。ええと……」  スウードはしまったという顔をする。そういえば聞かれなかったから名前を名乗っていなかった。 「俺はロポ。犬族の森に住むヤブイヌだ」  窓辺に腰を下ろしていたその白い男の背後に立つと、男は立ち上がり俺を真っ直ぐに見下ろした。  瞬間、ビリビリと全身に電気が走った。金色の瞳、真っ白の髪、真っ白の肌──そして、頭の頂点から左右に二重の弧を描くように巨大な角が生えていた。  その荘厳で、余りに美しく神々しい姿に、全身が凍り付いたように動かない。 「お前が……私の番となると?」  目を細め俺を見据えると、白い羽織りを翻し無表情のまま奥にある更に上に続く階段を上り始める。 「私はもう寝る。あとはスウード、お前に任せる」 「はっ、陛下」  そう言うと、羊族の王は居なくなってしまった。しかし良かったかもしれない。俺は息をするのを忘れていて、気付いた瞬間息苦しくなって、咳き込んでいたからだ。 「ロポ様、この奥の部屋に寝所です。お休みになられますか」 「様だなんて、ロポでいいよ。さっきまでただの犬コロだったんだから」  さっき王様が見ていた窓に近づく。そこからは壁の中の様子がよく見えた。点にしか見えないが、街のあちこちに灯りを点し、ひとびとの楽しげな声が聞こえる。 「ねえ、スウード」 「なんだ?」  世界が遠く見える。どんなに煌びやかな部屋でも、ここはまるで、天空の牢獄のように思えた。 「俺はあの王様の番になれるとは思えないな」  ふと溢れた言葉は、自分とあの男の冷たい眼差しを思い出させた。窓から吹き込む風に、身体を震わせながら、遠くなった世界に想いを馳せた。

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