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第48話 血②

 任務に失敗した上、狼の企てだと羊の国に知られてしまった今、アシャラは国に帰ることも叶わなかった。もし帰れば、その場で首を落とされるだろう。 「身体が動かないのに、今そんなことを考えても仕方ないわ。先のことを考えるのは、ちゃんと身体を治してからにしましょう?」  母――ライラーはそう言ってアシャラを励まし、献身的に動けない彼の世話をした。娼館の皆は素性も分からないアシャラ――ライラーは大姐さん以外には彼の秘密を明かさなかった――を部屋に置くのを初めは反対していたが、最後にはライラーの一生懸命な姿に折れて怪我が治るまでは、と認めてくれた。  見ず知らずの、奴隷の身分の自分に優しくしてくれるライラーに、アシャラが想いを寄せるようになるのに、そう時間は掛からなかった。しかし、自分の想いは分不相応だと思い、ライラーに告げることはなかった。  半年ほど掛ってアシャラの傷は完治した。アシャラは帰る場所がなく途方に暮れたが、「困ったら、またここに戻ってくればいいわ」とライラーに言われ、娼館を後にした。  そして半年ほどして再びアシャラが娼館に現れた。ライラーは喜んでアシャラを迎え入れた。一度狼族の様子を見るために国境近くまで向かったが、既に自分には謂れのない罪が負わされており、戻れば死刑という状態だったという。  アシャラは迷惑を掛けると良くないと言ってすぐに娼館を後にしようとしたが、ライラーに引き留められて半月ほど過ごした。アシャラは別れ際に持っていた母親の形見のネックレスをそれと言わずに金に換えてくれとライラーに渡した。  ライラーもアシャラに惹かれていたのだろう。そのネックレスは売らずに肌身離さず身に付けていた。  更に半年後、戻ってきたアシャラは、最初ほどではなかったが傷だらけのぼろぼろの姿だった。  娼館を出てから、アシャラは羊の国と交友があり紛れやすい犬族の国に向かったという。  そこで犬族のΩを誘拐する任務を請け負っていた奴隷の父子が、誘拐した子供を逃がしたことで殺されそうになっているところに出くわした。咄嗟にその父子を助けたアシャラはこの傷を負ったが、どうにか無事にふたりを逃がすことができたという。 「俺がまた罪を重ねてしまったことで、狼の国からの追っ手が来るのも時間の問題だ。本当はライラーや大姐さん達に迷惑を掛けてしまうと思ってここに戻るつもりはなかった。だが、明日にも死ぬかもしれないと思った時、せめてお前に一目会って死にたいと思ってしまった。俺にとってライラーは、『運命の番』よりも『運命のひと』だから」  アシャラがライラーに想いを告げたその日、ふたりはようやく想いを通わせ結ばれた。しかし、その幸せな時は長くは続かなかった。  ふた月ほど経った頃だった。羊の国にアシャラを探して数名の犬族の奴隷が諜報活動を始めたという話を大姐さんから知らされた。歓楽街には客の口を通して多くの情報が回ってくる。追っ手のひとりが娼婦の前で愚痴を漏らしてしまったらしい。  傷は完治していなかったが、アシャラは娼館を出ていくことになった。その時ライラーはネックレスをアシャラに渡した。 「必ず戻って」  そうして四ヶ月ほど経った頃だった。みすぼらしい格好の犬族の少年が娼館に現れた。少年の頬には三本の爪痕があった。 「アシャラさんが、俺を逃がしてくれたんだ……!」  少年――マタルは泣きじゃくりながら、ネックレスをライラーに手渡した。  マタルはかつて父親と共にアシャラに救われた子だった。追っ手を逃れしばらく奥地の犬族の村で生活していた。しばらくして村人たちが皆劣性のΩという珍しさから人身売買目的でよく誘拐に遭うというので、村のひとの代わりに街に買い出しに出るようになった。  用心して出掛けていたものの、数日前マタルの不注意で父親が同胞に見付かってしまい、父親はマタルを助けるために囮になり捕まってしまった。  そうして独りで逃げ隠れていたところをアシャラに救われ、この娼館に助けを求めるように、とネックレスを持っていけと渡され送り出されたのだという。 「……大丈夫、戻ってくるわ。約束したもの」  ライラーはそう言ってマタルを慰めた。その時、彼女のお腹には一つの命が宿っていた。

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