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結婚しよう
高校を卒業したらどっかの大学に入って、就職して、三十までには結婚していて、子どもは二人くらいいて、どこにでもいそうな普通のサラリーマンになるのだろう。高校生の頃の俺は、何の根拠もなく漠然とそんな将来を思い描いていた。
結婚目標に迫る二十七の俺は、高校生の頃思い描いていた通り大学に進学し就職をして、恋人と呼べる相手と五年間ルームシェアをしている。だが、その相手とは結婚も子どもも望めない。相手が男だからだ。
「俺、城崎のことが好きなんだ。俺とつ、付き合って欲しい」
同級生の立花陽太に告白されたのは、高校二年の雨の日、ゴミ捨て場の前だった。今思うと何でこんなところでと思うのだが、陽太なりに必死で二人になれるチャンスを窺っていたのだろう。二人でゴミ出しをして、教室に戻ろうとした時だった。一年の頃から好きで、一目惚れだったと言われた。他にも何か色々言われたが、昔のことは忘れた。
正直、嬉しくはなかった。迷惑だとも思った。俺の性対象は異性で、男と付き合うなんて考えたこともなかったからだ。
告白したところで一体俺にどうして欲しいと言うのだろう。どうすればいいのかも、俺には何も分からない。顔を赤くして、居心地悪そうに俯いて下唇を噛んでいる様子を見る限り、からかわれているわけではなさそうだった。相手が本気ならば、こちらも人として真剣に向き合わなければならないと思った。
俺の性対象は異性だと告げると、しおらしかった様子は一転、眉を吊り上げ差別だと声を荒げた。
「差別じゃなくて、普通はそういうもんだろ!?」
「普通って何。男しか好きになれない俺が異常だって言いたいの!?」
「そうじゃなくて!!…ごめん、酷いこと言った」
人それぞれ違う考え方や価値観があることは理解しているつもりだった。理解しているつもりで、理解出来ていなかった。
「男とか女とかじゃなくて、俺のこと見て欲しい。…俺と付き合って欲しい」
断る口実がなくなり、断れる雰囲気でもなくなり、半ば無理矢理丸め込まれるような形で陽太と付き合うことになった。後に、陽太が態度を急変させたのは過去に何度も酷い振られ方をしてきたことが原因だと知ることになる。
「いいなぁ~俺もタキシード着たーい」
陽太と付き合ってから、もう十五年が経つ。二十七歳になった陽太は昔と比べて身長が伸びたこと以外あまり変わらない。陽太が熱心に見ているテレビの画面にはタキシードを着た男性二人が満面の笑みで映し出されていた。今日の昼のニュース番組の特集は、LGBTの世界情勢。
「ねー、颯は絶対タキシード似合うよ!いいな~日本でも同性婚認めてくんねぇかな」
いつもは見ないニュース番組を見ながら、独り言なのか俺に言っているのか、一人でぶつぶつ言いながら落ち着きなくユラユラ身体を左右に振っていた。
「日本で同性婚認められたらすぐ役所行こうな!」
「はいはい、てかお前ちょっとはこっち手伝えよ」
この時俺は、陽太の言うことを本気にしていなくて二人分の食器を洗いながら適当に返事をした。陽太自身も、本当に同性同士で結婚が出来る時代になると思ってもみなかっただろう。
「ただいまぁ~」
同僚の仕事に重大なミスが見つかり、部署の人間総出で対応に当たり、ギリギリ終電に間に合って帰って来られた。外から部屋の明かりが付いているのが見えたから、陽太はまだ起きているのだろう。早く風呂に入ってベッドで眠りたい。
「颯、颯!!」
靴を脱いでいると何かいいことでもあったのだろうか、陽太が子どもみたいに表情を明るくさせて上がり框に迫った。
「何?」
「なに、じゃなくて!ニュース見た?」
「見てないよ。忙しくてそれどころじゃなかった」
ただの八つ当たりなのだと理解しながらも、いい歳してサラリーマンが深夜に帰ってくることがどういう状況なのかも理解できないのか、と呑気な同居人に憤りを感じた。
「これ見て!」
空気が読めないのか、あえて空気を読んでいないのか、陽太は手に持っていた新聞を俺の胸に押し付けた。同性パートナーシップ条例、東京都から全国へ。紙面の見出しは大きな文字でそう書かれていた。同性パートナーシップ条例とは、同性カップルを結婚に相当する関係と認める証明書が発行され、夫婦に相当する権利を得られる条例のことだ。結婚とは、憲法の上では男女が合意で行われるものということになっている。憲法が改正される日も近いだろう。
「結婚しよう、颯!」
「何でそんなに結婚したがるの。今のままじゃダメなの?」
陽太にとっては人生を変える一大ニュースなのだろう。疲れていたせいもあり、喜ぶ陽太をどこか冷めた目で見ていた。目を丸くして固まる陽太に新聞を突っ返し、横をすり抜けて部屋に上がると二歩遅れて俺の後を付いて来た。
「ダメじゃないけど、例えば今住んでるアパート!今は颯の名義で借りてて俺が居候する形になってるけど、結婚したら二人で部屋が借りられるようになるよ」
「お前、家賃も生活費も半分出してるじゃん」
「紙の上の話だよ!あと、もしお前が事故で大怪我を負って集中治療室に入るなんてことになった場合、家族じゃないと面会できないんだよ。葬式をすることになったら親族の列に加えてもらえないしさ」
「お前、俺を殺したいの?」
ネクタイを緩めながらソファに腰掛けると、陽太も後ろを回って俺の隣に座った。
「そうじゃないけどもしもの話!」
考えなしに口先だけで物を言っているのかと思っていたから、陽太なりにきちんと考えていたことに驚いた。目の前のテーブルには、ラップが掛かった夕飯のおかずがあった。
「本当に、俺でいいの?」
「どういうこと?」
「多分、俺の好きとお前の好きは違うよ」
「どういう風に違う?俺とは結婚したくない?」
哀しそうな顔をして目を逸らしてくれたら、どんなに良かったか。真っ直ぐに俺の目を見つめる陽太の澄んだ綺麗な目は、時々ものすごく苦手だ。
「これは俺の問題。今日は疲れてるからまた明日にして」
「颯!」
立ち上がろうとしたら、力強く腕を掴まれた。
「全然答えになってない。もっとわかりやすく言って」
感情的に怒鳴りつけられたなら、陽太の手を振り払ってでもこの場から立ち去った。掛け時計に目をやると、時刻は一時を過ぎていた。時計を見ている間もずっと陽太の視線が顔に刺さっており、観念してソファに掛け直した。手が離れた腕には、赤い痕が付いていた。
「お前はさ、結婚した相手とキスもセックスも出来なくて平気か?」
「は?」
陽太の口から、間抜けな声が漏れた。予想通りの反応。だから言いたくなかったのだと、小さく溜息を吐いた。
「何それ、へーきだよ!ずっと一緒にいたじゃん。今更何言ってるの」
陽太が他に男を作っているのではないか、なんて一度も疑ったことはない。自分でもおかしなことを言ったことは分かっている。
「颯とだったらキスもセックスもしたいけど、颯以外だったらしたいと思わないし、そもそもセックスが全てじゃないでしょ?心と性欲は全く別物だよ。颯が嫌がることは俺もしたいと思わないし、颯とずっと一緒にいられるなら、それだけでいいよ」
こいつは、いつも俺の欲しい言葉をくれる。だけど、陽太の言う心というものが果たして彼と同じであるのかは自信がない。陽太のことは、大切だ。俺にとってはかけがえのない存在で、愛しいと思っている。
陽太とは、もう何度もデートした。メールも電話も数え切れないほどしたし、キスも、それ以上のこともした。そんなことを何度も繰り返すうち、陽太とちゃんと恋人になれたつもりでいた。だが、所詮同性愛者の真似事でしかなかったと思い知ることになる。
陽太がはしゃいでいたデートは、俺にとっては友人と遊びに出掛ける感覚と何ら変わりはないことに気付いてしまった。陽太とキスができることに、安心している自分がいた。一度だけしたセックスは、じゃれあいの延長線上でしかないと思ってしまった。ベッドの上で激しく求められ欲情の目を向けられた時、怖くなった。俺もちゃんと陽太と同じ気持ちなのかと、不安になった。この迷いを陽太に見透かされるのが怖くて、もうこれきりにして欲しいと言った。陽太は分かったとだけ言って、それ以降気まずくなることもなく陽太はいつも通りに接してくれたが、過剰なスキンシップはしなくなった。どれほどの我慢を、陽太に強いたことだろうか。無理をさせていると分かりつつも、それでも俺は陽太が何もしてこないことに安心感を覚えていた。
陽太の傍は、居心地がよかった。俺の嫌なところも我儘も、陽太が全部受け入れてくれたから自然体でいられた。早く解放してやるべきだと思いつつも今日まで別れを切り出さなかったのは、俺のエゴだ。
「やっぱり、結婚は無理だよ。陽太、俺と別れて」
「…颯、自分が泣いてることに気付いてる?」
指摘されて、慌てて目元を手の甲で拭った。クリアになった視界には、眉間に皺を寄せた陽太の顔が映っていた。
「泣きながら別れてって言われてもうんって言えないよ。颯は俺のこと嫌いになったの?」
「違う!違うけど、これは俺の問題だから」
「颯の問題に、俺は関係ないの?」
嘘でも嫌いと言ってしまえば簡単だった。陽太は関係ないと言ってしまえば、こんな醜態を晒すこともなかったのに。泣きながら、墓場まで持っていくつもりだった陽太に対して後ろめたいと思っていたことを全て話した。陽太がデートだとはしゃぐのに、同じテンションで楽しんでやれなかったこと、キスをしても興奮できなかったこと、セックスをした時に自分の好きと陽太の好きの持つ意味が違うことに気付いてしまったこと。陽太に対して欲情したことがないこと、それを陽太に知られて別れを切り出されることが怖かったこと。だから過剰なスキンシップがなくなって安心していたこと、その反面罪悪感で押し潰されそうだったこと。陽太は、眉ひとつ動かさず俺の言うことに相槌を打ちながら耳を傾けていてくれた。
「俺、お前の知らないところでこんなにもお前を傷付けてた。本当にごめん」
「俺は何も傷ついてないから、謝んな。最初に言っただろ?セックスが全てじゃないって。それよりも、颯がこんなにも俺のこと考えてくれていたことが嬉しかった。俺こそ、いっぱい悩ませてごめん」
陽太が謝ることなんてないと言いたかったのに、声が詰まって出なかった。陽太の言葉でずっと引っかかっていたものが綺麗になくなって、せっかく止まりかけていた涙がまた溢れてきた。膝の上に置いていた手の上に、陽太の手が重ねられた。陽太の手は、記憶していたものよりも大きくて、温かかった。
「さっきの話だけど、俺、颯と別れるの絶対嫌だからね」
「うん、俺も嫌だ」
自分から言い出したくせに、と陽太が昔から変わらない懐っこい笑顔を見せた。陽太の笑顔が、昔から好きだった。まだ、陽太を好きでいてもいいんだと思うと、心が軽かった。
「ねぇ、キスしてもいい?」
突然のことに驚いたが、頷いて目を閉じた。すぐに頬に手が伸びてきて、近くに陽太の気配を感じた。口先に柔らかいものが触れたかと思うとそれはすぐに離れて行った。
「気持ち悪くなかった?」
目を開けると、そこには陽太の不安そうな顔があった。
「気持ち悪いなんて思ったことは一度もないよ」
「よかったー!嫌な思いさせてたらどうしようって、ずっと思ってた…」
陽太の腕が首に巻き付き、肘掛に二人分の体重が掛かった。俺の心臓以上に、陽太の心臓が早く脈打っているのが布越しに伝わってきて、愛おしさで胸がいっぱいになった。陽太は自分は傷ついていないと言ってくれたが、俺のせいで悩んだり、傷ついたこともあっただろう。そっと、陽太の背中に手を回した。
「明日、さ」
「ん?」
「明日、指輪買いに行こうよ」
陽太ならば、すぐに首を縦に振ってくれるに違いない。だけど、断られたらと思うと言うのにすごく勇気が要った。陽太も、俺と同じ気持ちだったのだろうか。付き合うことになったのも、ルームシェアすることになったのも、陽太が声を上げてくれたからだ。せめてプロポーズは、俺からしたいと思った。
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