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ふれたい(内気メガネ童貞×小悪魔ビッチ / 痛い表現有)
視界をかすめた輝きに目を奪われていると、重く黒い目が音を立てるようにぎょろりと動き、心臓を掴んだ。
「……どうされました?」
その会合は退屈だった。いい年齢を迎えてなお彼女のひとりもできない私を見かね、友人が連れてきた女性陣は確かに可愛かったが、一時間も経てば会話の合間に差し込まれる圧のようなものにすっかり消耗してしまった。逃げ場を探すように半個室席をぐるりと眺め、目に留まった席の正面に、彼がいた。白い肌に被さるつややかな黒髪と、同じ色をした瞳の深さに、半個室の時間は簡単に止まる。不審な私を伺う彼の言葉で、はじめて我に返った。
「あ……すみません。最近メガネの度が合っていなくて、ものを凝視してしまう癖があって……。感じが悪かったですよね、すみません」
「もの、って、これですか?」
薄く開いた唇の艶かしいすき間から差し出された舌の先に、丸い玉が光っている。サージカルステンレスの光沢が、彼が口を開くたびに感じていた違和感を確かなものにする。彼がどこか舌ったらずな理由、喋るたびにきらめきが見え隠れする理由、そして、彼に目を奪われてしまう理由。
「ピアス、ですよね」
「そうですね。津久井さんはピアスにご興味ありますか?」
躊躇いなく私の名を発音するので驚いた。友人の友人、面識のない間柄の彼は私の友人とは違った空気を纏っていたため、会合が始まってすぐの簡潔な自己紹介だけで、周囲を正しく認識する真面目さが新鮮に映ったのだ。
「自分は……臆病なので痛そうなことに踏み切れなくて」
「案外痛くないんですよ。特に耳とか舌はほとんど気になりません。他の場所はときどき気になることもありますけど」
「……他の場所?」
ふいに思い出したのだが、大学時代、人体改造に凝り出した先輩がいた。初めは両耳に二個ずつ行儀よく収まっていたピアスが全身を蝕むようにどんどん広がっていく様子に、呆気にとられたのが懐かしい。舌、あご、眉、鎖骨、首の裏、へそ、乳首、あとは下半身にも入っているだとか何だとか。想像するだけで縮み上がり、それ以上の関心を向けたことも確認したこともない。一緒に風呂に入る機会もなければ同性愛者でもないから、布を隔てた向こうの状態を知ることはないのだ。
「見ますか?」
そう、本来ならば、他人の密やかなその部分がどうなっているのか、知ることはできないはず。
「これはね、アパドラビア・ピアッシングって言うんです。いわゆる亀頭ピアスですね」
男子トイレの2つの個室のうちひとつを占領した彼は、子どものように邪気の無い表情を浮かべていた。抑揚のない、しとやかな声は時折流れ込む外の笑い声にさえ掻き消されてしまいそうだ。私たちが数分前まで座っていた半個室は、男二人が消えたところで構わず楽しい時間を続けているのだろう。一方その頃我々は、俯いて露出した下半身に目をやりながら小さく言葉を紡いでいる。
「……引きましたか?」
「い、いえ。ただちょっと、なんというか……やっぱり、実際に見ているとどうしても痛そうに思えてしまって……」
「痛くないんですよ?」
彼は小首を傾げてますます無邪気に笑う。どれほど痛くないと言われようとも、想像力の欠落した私に事実を図ることはできず、混乱したまま変なことまで言いたくなる。
「……やっぱり、痛そうですよ」
「そんなことないですって」
「でも、ほら、かたちが」
「……かたち?」
「形とか、大きさが変わったとき、痛くなりそうです」
薄暗い個室にいっそう深い影が落ちる。ただでさえ性の話は慣れていないというのに、なぜ今切り出してしまったのだろう。
「見ますか?」
自分自身のことさえ噛み砕けない私と対照的に、彼は常に私の欲求をすべて理解しているように見える。答えられずにいる私を無視するように、彼は露出した性器に手を伸ばした。肌と同じく、透明な白さを備えた長い指が、性器に絡みついてゆるやかに動き始める。彼の表情も変わる。私は息を呑む。
「おれね、将来は、指、なくしたいんですよ」
「は……?」
「友人が、指のね、水かきに、ピアス、空けてるんですけど、失敗しちゃって」
手の動きに合わせて言葉はぶちぶちと途切れ、かたちが変わっていくまでの生々しさに拍車がかかる。彼の息が上がるたび、個室が小さくなっていく気がする。勃起した性器と、濡れたように光るピアスから目が放せなくなる。
「水かきに、雑菌が、入って、壊死しちゃって、切断、したんです、でも、指、なくても、結構、不便じゃない、みたいですよ」
どこまで本気なのか、全くもって分からない。こちらの反応を見たくて切り出したのなら相当な悪趣味だ。それとも本当に、パールつきの竿をしごく指を、捨て去ろうとしているというのか。こんなにきれいな指なのに。きれいなのは指なのか、ピアスなのか、ピアスがついたその部分なのか、彼自身なのか、その答えを探ろうと目を見開く。
「……そんなにまじまじ見ないでくださいよ、えっち」
とろけた表情と濡れた声が、優しく私を非難する。そう、痛そうで見ていられないと言ったのは、紛れもなく私自身だ。
「み、見せてください……っ」
いつのまにか私は、狭い個室に捕らわれていた。空いた心の隙間にねじこまれた彼のピアスに、虜になっていた。情けのない完敗宣言に、彼は不敵に笑いシャツを脱ぎはじめた。
「では、津久井さんも見せてくださいね」
「見せっ……?」
「ええ。でないとフェアじゃありませんから。膝あたりまで下ろしてもらえばそれでいいですよ。それからそこに座ってください。少し足を開いて。……そう。もう少し深く腰かけてください。上半身は少しそらして。下半身をこちらへ突き出すイメージで。……そう、上手。そのままでいてください。重いですが、我慢して」
恥ずかしながら、その瞬間の私は硬直していて、何が何であるかまるで分からないまま彼に身を委ねていた。これまで思い描いていた童貞喪失の形は少なくとも、薄暗いトイレであちこちにピアスを開けた男子に乗りかかられる、というものではなかったはずなのだが、半身を宇宙に投げ出されたように現実感のないまま、私は洋式便座に腰掛け、とっくに硬くなっていた性器を露出し、そしてその先端を、彼の内側へ導かれていた。
「あっ、あっ」
「っはあ……津久井さん、苦しくないですか……?」
私の首に腕を回し、優しく問いかける彼に答えたい気持ちはあれど、頭が働かず精一杯首を横に振った。目の前は白い肌に覆われ何も見えない、加えて不思議と何も聞こえない。私たちのテーブルはまだ馬鹿騒ぎで盛り上がっているのだろうか。聞こえない。消えてしまった感覚を補填するかのごとく、性器の先ばかりが敏感になり、彼の内側が熱く締め付ける感覚が、真っ白な世界に浮いている。密着すると、彼のピアスつきの先端があたる。身につけたままの私のシャツに何か付着するかもしれない、席に戻ったとき何か言われるかもしれない、それもどうでもよくなる。
「っあ、っ、ん、あ、く、苦しく、ないです、きもちい、きもちいいですっ」
上下に動く彼の身体を貪るように、どこに落ち着かせるべきか分からない汗ばんだ手のひらを滑らせる。触れる場所によって彼の身体がゆるく跳ねたり、内側が締め付けられたりすることに気づいた。些細な変化をさらに味わいたくてやみくもに身体をまさぐると、彼が喘ぎのあいだに小さく笑った。
「っはあ……、ふふ……かわいいですね、津久井さん」
こちらの台詞です。彼のやることは何もかも訳が分からないし、どうしたって悪趣味だ。だからこそ私は今、制御ができなくなるほど惹かれている。洋式便所の上で騎乗位をされながら、品行方正であること、清潔であることを好み、常に求めてきた私の稚拙な人生が、崩れ落ちていく音を聞いた。
「っ、あ、ぁ、き、きす」
「……なんですか?」
「き、きすしたい、です」
恥ずかしくなるような言葉は、自分が発したにもかかわらずいやに遠くに聞こえた。私の人生の中で、こうした欲求と出会ったことが果たしてあっただろうか。彼は私を見下ろし、子どもをあやすように私の頭を撫でながら笑った。
「あはは、だめです」
「えっ、な、なんでですか」
「おれはね、好きな人としかキスしたくないんです」
表情も手のひらも優しく、手のひらも内側も熱く、私自身を甘く溶かすようでいて言葉は厳しく跳ね除ける。身体は繋がった状態で、すぐそこに唇があるというのに、最後の数センチがどうしても届かない。唇はどんな味がするのだろう。その上ピアスの重い輝きが潜む舌でなぶられたら、どんな心地がするのだろう。妄想と現実の境目がふやけた状態で、すがるように彼の黒い目を見上げていると、薄い唇が開いた。
「でも、津久井さんなら……」
「えっ」
「……おれ、もしかして、あなたのこと」
「……え」
「あなたのこと……」
「な、なんですか、言ってください」
「……」
「ねえ言ってください、お願いします、応えるので、お願いします、ねえ」
彼はそれ以上語ることなく、ただ微笑んでいる。艶っぽい唇の向こう側に、ピアスの輝きが覗いた。これまでの人生をすべて壊していい、手放していい。あのピアスに触れたい。
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