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幕・12 剣術を学ぼう、悪魔だけど
× × ×
「待て、ここがどこか」
厳しい声で、見慣れない騎士が、ヒューゴの胸の前で槍を横に寝かせる。
通さない、そんな硬い意思表示だ。
「知っているのか」
じろり、ヒューゴを睨んだ若い騎士に、
「よせ」
彼よりは年嵩の騎士が、その場から動かず首を横に振った。
「彼はいいんだ」
「先輩、こいつは奴隷です」
「説明しただろう」
じろり、年長の騎士が若い方を睨んだ。
「『陛下の奴隷』。…覚えているな?」
その言葉に、言われた方は固まった。まじまじヒューゴを見つめる。我に返ったのは、早かった。
「し、失礼致しました!」
さすが、皇宮内でも重要区画の守護を任される騎士だ。直立不動で、扉のわきに寄る。
ヒューゴに対する、貴族、侍従や侍女たちの視線は厳しい。
が、このように、騎士たちからは不思議なほど敬意を払われる傾向にあった。
共に戦場を駆けた騎士たちからは、特にだ。
とはいえ―――――ヒューゴが人間たちの戦争で、強大な悪魔としての力をふるったことは、ほとんどない。
理由は簡単。
ヒューゴがリヒトを『食べる』ようになったのは、彼が18歳になった日からであり、それまでは細々とリヒトの血を飲んでやり過ごしていた。一日一滴とかその程度だ。
よって、魔力を振るうなど、とんでもない話で、リヒトのそばで生き延びることが精いっぱいだった。
ゆえに、『役立たずの悪魔』などと陰口をたたかれていたのは仕方がない。
だが、強大な魔力の使用が危険であるならば「じゃあ剣術を習おう」となったのは、ヒューゴのヒューゴたるゆえんだろう。
普通、悪魔は剣術など身につけようなどとは思わない。
元来が頑丈にできているからだ。
だがリヒトのそばで暮らすのに、知っていて損はない。
教えを乞えば、「悪魔が何の冗談だ」と面白がって師となった老騎士が、遠慮なく鍛えた結果。
大きな戦功をあげる程度には、ヒューゴは腕を上げた。
身体が頑丈で、身体能力が優れた悪魔が、真面目に特訓を重ねたのだ。強くならないわけがなかった。
そんなわけで、戦場において、悪魔としては役立たずだったわけだが、戦士としては相応に活躍した。
治癒の力でヒューゴに助けられた騎士も多く、よって帝国の騎士団は、基本的にヒューゴに対する点数が甘い。
「いいですよ。お仕事お疲れ様です」
入室を遮られたとはいえ、ヒューゴから見れば、勤務態度は満点である。
それにこの場合、きちんと扉から部屋に入ろうとしている悪魔の方が、ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。
空間転移なりなんなり、すればよかったのだ。
ごめんね、と片目を閉じて見せ、気さくに挨拶。
狼狽えた若い騎士に落ち着け、と手ぶりで示し、年嵩の騎士がヒューゴに一礼。
「どうぞ、ご入室ください」
「ありがとう」
開けることを許された扉に手をかけ、ヒューゴは入室した。刹那、
「やぁっと来た」
皇族専用の食堂の中から声を上げたのは、宰相リュクス・ノディエ。
栗色の髪に、緑の瞳。
眼鏡。
小柄で童顔だが、24歳で、皇帝とは幼馴染。
即ち、家柄も相当いいというわけだ。
「外で話し声がしたけど、何か問題あった?」
目ざとい、というか、耳ざとい。
とはいえ、別段、隠すことではなかった。侍従や侍女たちが行き交う室内を横切りながら、ヒューゴ。
「新顔の騎士に入室を止められました」
リヒトが何か言いかけた。それを遮るタイミングで、
「それは君が悪いよ、ヒューゴ」
リュクスが呆れ返った目で、指摘。
「とっとと、騎士の叙勲を受けたらどう? そしたら、毎回そんな面倒なやり取りしなくて済むじゃないか。いつまでも奴隷でいるからそうなるんだ」
リヒトが口を閉じる。
それは、何度もヒューゴと彼らとの間で交わされたやり取りだ。
周囲に聞えよがしの声で、リュクスは告げる。
「君の武功はそれだけのものなんだから、誰も文句は言わないよ」
「恐れ入りますが、宰相閣下」
ヒューゴはにこり。足を止め、奴隷とは思えないほど優美な振る舞いで一礼。
…それだけで。
周囲の視線が、一斉に、彼に吸われた。
リュクスも、思わず食事の手を止めてしまう。
我に返り、リュクスはこれ見よがしに顔をしかめる。
この、ヒューゴという、悪魔にして奴隷は。
素で、格好いいのだ。
何気ない仕草の一つ一つが、どうしようもなく人目を奪う。
老若男女関係なく。
数多ある彼の特徴の中で、実は、これが一番手に負えない。
性格に惚けたところがあるせいか、基本、どこか抜けた感じが残るのだが、それが妙な味になっている。
だから逆に、この男が余裕をなくした時というのが、本当に危険だ。
猛烈な魅力を前にすれば、ヒトは、ただただ言うなりになる方法しか選べなくなる。
ただし本人曰く。
―――――ありがとな、でも所詮、俺は悪魔、ばけもんだよ。
なんにしたって、人間の姿がニセモノというわけでもないだろうに。
ヒューゴが持つ、数ある姿の一つというだけだ。
当の本人は何食わぬ顔で、こういった。
「人には、分相応というものがあります」
言葉の裏にある声が、リュクスにははっきりと聴こえた。
―――――悪魔に地位を与えてどうすんだ。
悪魔が訴えることが正しくて、人間が提案していることが異常だと言うことは、リュクスとて分かっている。
だがこれまでの歳月積み上げられたヒューゴの行いは、この帝国にとって、簡単に捨てられるものではないし、なかったことにはできない。
それに。
悪魔に地位を与えることを、リュクスとて軽く考えているわけではない。
ヒューゴを帝国にとどめているのは、契約だ。
リヒトが神聖力で縛ったから、必要な契約だったとも言えるが。
―――――リヒトが死ぬまでは、ヒューゴはリヒトのそばにいる。
それがリヒトとヒューゴの契約だ。
少なくとも、ヒューゴはそのように区切りをつけている。
その間、この悪魔は帝国に尽力するだろう。悪魔なりに、だが。
その後のことを考えれば、確かに下手に地位を与えるのは危険だとは思う。ただ。
悪魔と契約したリヒトは時に、…このように言い放つ。
―――――僕は死ぬとき、ヒューゴを連れて行く、と。
その言葉が果たされるなら、リヒトが死ぬとき、ヒューゴもまた死ぬ。
ヒューゴに訪れる区切りは、死となる。
ならば地位を与えるくらい、別にいいじゃないか、と思うのだ。とはいえ。
綱渡りの気分にもなる。
(リヒトがそうするつもりだって、ヒューゴは知らない)
ヒューゴがそれを知ればどう出るか。
リュクスにも分からない。
想像もしたくない結果になりそうだから、聞かなかったフリでやり過ごすしかないが。
「物は言いようだよね」
リュクスは、視界の端で、帝国の主がどのような反応をしているか確認。
ああ、あれは、…見惚れている。周囲からは、微かに不機嫌そうにすら見える表情だが、間違いない。
その表情に、リュクスは、以前あった一幕を思い出した。
いつだったか、リュクスはリヒトに提案した。護衛の交代を。
ヒューゴの存在は間違いなく、リヒトの立場を危うくするものだったからだ。
正直、実力者なら、誰でもよかった。
ヒューゴでさえなければ。対するリヒトは条件を出した。
―――――ヒューゴより格好よくないと認めない。
リュクスは分かっていたのに、よく理解していなかった。
そこまで、ベタ惚れとは。
残念ながら、聞くなり降参するしかない難題だった。
当時、魔力以外の実力がヒューゴより上の者なら、幾人もいたが、今となってはどの才をとってもヒューゴ以上の者はいない。
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