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幕・14 「待て」は苦手
「目的は、なんなの」
平坦な声で、リュクス。ヒューゴはけろりと、
「知らない」
食事から顔を上げ、リュクスが眼鏡の向こうから睨みつけてくる。
「何も聞かなかったの?」
「興味ないから」
ヒューゴは悪びれず、いい笑顔だ。
質が悪いことに、そんな笑顔一つで、この男は周りを納得させてしまう。
視界の隅でリカルドが「仕方ありませんな」と言いたげに頷くのを見ながら、
「だめでしょ! …次からはちゃんと探ること。変なところで悪魔らしさ発揮しないで」
きっちり叱りつけてきたリュクスに、ヒューゴは唇を尖らせた。
「対面した感じ、大した奴じゃないと思ったんだよ」
のんびりとリヒトの斜め後ろに控えながら、ヒューゴは肩を竦めた。
ヒューゴの力の序列は、悪魔の中では頂点に近い。
いくら神聖力で拘束されているとはいえ、そんな悪魔に傷をつけるのは容易い話ではない。
「けど俺に傷をつけられたとなると…」
(ならもともと、ヤツの力が相当って話になるけど…なんっか、違うんだよなぁ)
言いかけた言葉を止め、ヒューゴは視線を転じた。
斜め前のリヒトの後頭部へ目を向ける。
「リヒトはなんともないな?」
台詞からして、あの悪魔はもしかすると本当に、神聖力を食べたことがあるのかもしれない。
あれは、食せば悪魔の力を底上げする。
あの悪魔が有する力に、違和感を感じるのはそれが原因だとすれば。
ならば対象はリヒトなのかと思ったのだが。
「何がだ」
振り向きもせず、リヒト。…分かりやすく不機嫌だ。
(まあ、なんにしたってリヒトは四六時中俺と一緒にいるしな)
隙を突くなど不可能だろう。
ふと不安になった自分が、ヒューゴはばかばかしくなった。
とたん、わずかに振り向いたリヒトが、鋭い視線を投げてくる。
「何かあったのはヒューゴの方だろう」
ぐうの音も出ない。黙って、ヒューゴは視線を横へ流す。
「僕とヒューゴが離れて、それほど時間は経っていないはずだが」
すぐ前を向いて、リヒトは皮肉気な口調で続けた。
「その短い時間に、傷を作って現れる方が驚きだよ」
空気を凍らせる声に、何を思ったか、リュクスが大きな声を上げる。
「うそ、自覚あったのっ? ヒューゴがいなくなったのは短時間ってこと…」
心底驚いた声で、何やらあてつけがましく続けた。
「ヒューゴはまだかまだか戻らない遅い捜しに行くってしつこいくらい繰り返してたくせに!」
億劫そうに、リヒトが宰相を見遣った。
「それの、どこがどう問題なんだ?」
底抜けに堂々とした態度だ。
子犬でも追い払うような一言に、リュクスがさらに言い募ろうとする。
寸前、リカルドが咳払い。
彼の口元に、微かな笑いが浮かんでいる。
悪感情ではないものの、困ったような疲労を感じる笑みだ。
「席を立とうとする陛下を、上手に引き留めるのが大変なので、…ヒューゴ」
リカルドがヒューゴにちらと目配せ。
「できれば陛下のそばで控えて置いて頂きたいものですな」
「あ、うん。…なんか悪いな」
「いえいえ」
そうしておいて、リカルドは再度脱線した話を元通りに修正。
さすが、同席した人間たちの中では最年長というわけはある。
「ところで、皇宮内で、ヒューゴ以外の悪魔がいるとなると、問題ですな」
子供の喧嘩じみたやり取りの後、黙り込んでにらみ合う皇帝と宰相を交互に見比べ、彼らが正気に戻る問題提起。
「警備の見直しが必要か…さてどこに支障が」
リカルドの呟きは理性的だが、発見できればその問題点を力づくで破壊しそうな物騒さを感じる。
「皇宮周辺の結界は問題なく発動してるんでしょ?」
近くのパスタをフォークに巻き付けながら、やりきれなさそうなため息をついてリュクス。
「なにせ偉大なる皇帝陛下とその悪魔の傑作って話だし」
そう、皇宮の周辺を取り巻く結界は世にも稀なる代物だ。
なにせ、強大な神聖力と魔力が繊細に織りあげられ外敵に備えた、聖も魔もなく、殺傷能力が天井知らずの力を有する。
そんな結界の話を出され、
「あ、ひとつ、いいか?」
ヒューゴは挙手。
もしかして、彼らは、いきなり悪魔がばさっと飛んできたとか思っていないだろうか。
それは、思い違いだ。
「そいつは、自分のこと、貴賓って言ってたぞ」
「貴賓?」
リュクスとリカルドが揃って声を上げた。リュクスが憤然と続ける。
「この場合にどういう悪ふざけ? 皇宮に悪魔を丁重にお出迎えしたことなんてないけど」
「そうじゃなくって…ああ、その話の前に」
ヒューゴはリカルドを見遣った。
「もともと話し合う予定だったリカルドからの要件は済んだのか」
リヒトが契約者であるため、どこにいようと彼の居場所ならヒューゴはすぐ分かる。
だからいちいち皇帝の執務室へ戻らず、こちらへ来たわけだ。
出会った悪魔のこととて、黙っていようと思ったわけではなく、リカルドの話が終わってから話題に出そうと思っていただけだ。
答えたのは、リュクスだ。
「事務的な案件だったからね。もう終わったよ。ただ、ぼくと陛下の理解と同意が必要だったから、こうして三人同席する必要があったってわけ」
「なので、このまま、ヒューゴが会った悪魔の話を進めましょう」
リカルドが穏やかに提案。
「貴賓とはどういう意味ですかな?」
「パッと見は、人間なんだよ」
「人間形態の悪魔なの? 珍しいね」
リュクスが言うのに、ヒューゴは首を横に振った。
「違うな。あれは、」
言いさし、ヒューゴは口いっぱいにハンバーグを頬張った、ハムスターを連想する宰相の顔を見つめる。
そもそも人間形態の悪魔は総じて力が弱いため、地獄の底から出て来られない。
高位の悪魔に至っては、姿を変えることができるが、まず、人間の姿を選ぶ必要性を皆感じない。人間は弱いからだ。
ではなぜヒューゴが人間の姿でいるかと言えば、理由は単純だ。
悪魔の肉体は、人間には毒である。だが、同じ人間の姿をしていれば、毒性は低くなり、しかも性質が変わる。
致死の毒から、媚薬へと変化するのだ。
人間と接するには、人間の姿でいる方が効率が良かった。傷つけずに済む。
ちなみに、ヒューゴの姿は、誰かの似姿というわけではない。
彼が人間の姿を取ろうと思ったら結果がこうだったのだ。
もう今の姿は、ヒューゴのもう一つの姿ということができるだろう。
「…あれは人間の皮を被ってるんだ。だから当然、その皮の持ち主は死んでる」
一瞬、宰相と将軍の手が止まる。
何を考えているのか読めないリヒトは、無言でスープを一匙掬った。
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