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幕・66 パワーゲーム

グロリアはただ微笑んだ。 セオドアの瞳は、オリエス皇族の証である、金目だ。 そして、微々たるものだが、神聖力も宿していた。 である以上、セオドアがオリエス皇族であることを疑われる理由はない。だが。 (…まさかそれが、あだになるなんて) 奥歯を噛み締めそうになる衝動を、グロリアは必死でこらえる。 リヒトの指摘通りだ。リヒトはグロリアの最初の相手ではない。 彼女のはじめての相手は。 リヒトの兄、セイゲル・オリエス。グロリアの元婚約者だ。 怒涛の勢いでグロリアとリヒトの結婚が決まる直前まで、セイゲルは生きていた。 「セオドアがいると分かった時点で、私はお前を抱かなかった」 リヒトの言葉に、眩暈を誘発される。 なんてことだろう。 初夜、セオドアが腹にいた証拠がないだろう、と言ったなら。 その日行為がなかったということにも、証拠がない。 しかし、おそらく。 リヒトの言葉は正しい。 あの夜、どういうわけか、グロリアは前後不覚に陥るまで酔っていた。リヒトから勧められた記憶がある。 気に入られたい一心で、断れなかった。 あれが、わざとだとすれば。 追い込むようなリヒトの言葉は、淡々と続く。 「行為があったと言う演出が必要だったために、その身体を慰めはしたが、―――――翌朝素知らぬ顔で初夜であった演出をする姿には感心したものだ」 シーツに破瓜の血を散らす必要があった。 グロリアは必死だったその行いをすべて承知で見ていたのか。 確かに、グロリアにとって、リヒトとの初夜の記憶は朦朧としてはっきりしない。 連鎖的に、過去、違和感を覚えていたリヒトの行動の意味が分かってきた。 だから、なのだ。 グロリアが二人目を望んだ時、リヒトが簡単に頷いた理由は。 にもかかわらず。 皇妃メリッサが、二人の子がいるグロリアへの…チェンバレン家への対抗意識で二人目を望んだ時、簡単に受け入れなかった理由は。 神聖力を宿した子を産むとき、少なからず、母体に負担がかかる。 まして、リヒトの神聖力は歴代でも図抜けているのだ。 リヒトの子を二人産むとなれば、身体に相当の負荷がかかる。 ゆえに、メリッサは身体を壊した。 対して、グロリアは健康体だ。このことで、グロリアの方が能力が優れている、さすが皇后、と言われるのだが。 …リヒトはともかく、セイゲルの神聖力は微々たるものだった。セオドアの神聖力もまた。 ゆえに、皇族の二人の子を産んだとはいえ、グロリアとメリッサでは負担がまったく異なる。 グロリアは内心、臍をかんだ。 この事実が知れ渡れば、貴族間での家門の力に影響が出る。 パワーゲームは、今現在、チェンバレン家に優位に働いていた。 先日まで続いていた、皇宮の侍従から奴隷に至るまで末端の人員が派手に入れ替わっていたのも、貴族たちの勢力争いの一環だ。 自分たちの息がかかった者たちを皇宮へ紛れさせようとして、我も我もと競った結果、あれほどお粗末な事態になった。 末端だろうと新人ばかりになれば、皇宮の機能が一部マヒする危険だってあるのに、と宰相などは頭を抱えていたが、敵を追い落とすことに夢中な貴族たちがそんなことに配慮するわけがない。 「それでもグロリア。私はどうだろうと構わない」 リヒトは何の興味もない声で言った。 「後継が誰になろうと関係がない。ただ優秀な者でさえあれば」 グロリアが持てるすべてでもって、墓まで持って行こうとした秘密が、とうの昔に暴かれていた。 その事実を前にして、女王然とした彼女は、敗北感と虚しさに、ただただ打ちのめされていた。 それでも、グロリアは強い声で告げる。 「セオドアは、オリエス皇帝の第一子、ですわ」 公式記録にそう残されている以上、そこは揺るぎない。 長男、それだけで、後継争いには優位に働く。 併せてリヒトの今の発言から考えれば、彼は後を継ぐのが自分の子でなくとも問題はないと考えている。ならば。 「わたくしは今後もあの子のために、母としてできる限りのことをするだけです」 胸を張って断言すれば、冷めた声が返った。 「嘘だな」 淡々とリヒトは断定。グロリアは眦を吊り上げた。 「嘘?」 「セオドアを見ればわかる」 母として。 息子のため。 グロリアが口癖のように紡ぐ言葉は、リヒトにとって何の意味もない。 「お前は息子を自分の操り人形に育てているだろう」 ひいては、自身が権力を握るために。 「…陛下にはそのように見えるのですね」 「ああ。そのために、お前は私が邪魔なのだ」 「まあ、陛下」 グロリアは口元をおさえ、目を潤ませた。傷ついたように見えるはずだ。 「わたくしは皇后ですわ。女にとって、これ以上の地位などございませんでしょう?」 そんな女が、上り詰めた地位の要である相手の命を狙うわけがない。 誰もがそう思うはずだ。 「そんなわたくしがどうして、陛下のお命を」 だが、自身でも白々しい台詞だった。 理由ならば、さきほどリヒトが口にしたではないか。 曰く、セオドア皇子は、リヒトの子ではない。 リヒトは面倒そうに言った。 「チェンバレンだろう」 実家の名を出され、グロリアは面食らう。咄嗟に素が出てしまった。 「陛下?」 「先日の朝、私に、刺客を送ったのは」 意識が、セオドアに向いているときに、予想外の話を出してきた。 グロリアはぐっと奥歯を噛み締める。 「黒幕など存じ上げませんが、刺客が陛下を狙った話なら、聞いておりますわ」 物騒ですわね、と他人事のようにグロリアが言うなり。 「捕らえた彼らの処遇について、ヒューゴは…私の奴隷は第一騎士団とモメたようだな」 グロリアが口を挟む間を与えるようで、話し始めれば割り込んできた。 グロリアの碧眼から温度が抜ける。 「…何を仰せになられたいのです?」 「今後」 リヒトは、騒がしい足音が響いて来た扉の方をちらと見遣り、手袋をはめた手を、グロリアに差し出した。 悔しいが、リヒト・オリエスという男は、見た目だけではなく、作法も完璧だ。 色々な貴族を見慣れたグロリアさえ、見惚れてしまう。 そのタイミングで、リヒトは告げた。 「また、私の奴隷…―――――騎士ともめるようなら、第一騎士団を解散させる」 横暴だ。 思いながら、にこりと微笑み、グロリアはリヒトの手に手を乗せる。 なるほど、リヒトが一番言いたかったのは、これなのだ。 この話の流れでは、グロリアはのらりくらりと皇帝の求めを躱すことが難しくなる。 内心、腹立たしさを覚えながら、表面上は従順に応じた。 「躾けておきますわ」 (まだよ) まだ、負けたわけではない。 今まさにこの時も、仕掛けた玩具は動き始めている。 (悉く邪魔をしてきたあの悪魔がいなくなれば、また状況は変わってくる) 皇帝のエスコートを受け、グロリアが歩き始めたところで、 「父上、母上、遅れて申し訳ありません!」 ノックもせず、セオドアが部屋へ飛び込んでくる。 タイミングが悪い。グロリアは笑顔で息子を呼んだ。 「殿下」 「あ」 母の怒りを察したか、セオドアは半歩下がり、ドアをノックした。 「これでいいでしょうか?」 グロリアはため息をつく。 リヒトは表情一つ変えずセオドアを一瞥し、 何も言わず、グロリアの手を引いてゆっくり歩き出した。 敵同士の雰囲気をまといながら、仲睦まじい家族のように。

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