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付き合う前のおでかけ
「やべ、道分かんねぇ……」
はじめて来る土地、はじめて見る地図とにらめっこしても、目的のライブハウスが見つけられない。時間だけが過ぎ、街に夜の気配が広がって焼き鳥屋から香ばしい煙が香る。
「もーいーよ、どのみち開場間に合わねぇだろうし、どっかで飯食お?」
焦りを募らせる俺の隣で、高岡さんは悠々としたいつもの空気を壊さない。軽音部に所属する先輩からライブに誘われ、家を出たのは二時間前。曖昧な天気の日は自宅に居ても気が滅入るし、早めの行動をしようと思っていたのに見事に迷子になって、ハヤメノコードーもなんら意味を持たない。
「訳わかんねぇ音楽聴き行くよりも、二人でメシ食ってくっちゃべった方が楽しいじゃん」
「えーでも俺先輩に行くって言っちゃったんすよ」
「俺から謝っておくからいいよ」
「あ、そうか高岡さんも軽音部でしたっけ」
「一応ね。何か食いたいもんある?」
こんなときでも高岡さんはいつもの高岡さんだ。ぼんやりとしているようで、いつでも崩れない自分の形を持っていて、かつその本質を人に見せることがない。不思議な距離感ですべての人と付き合っているけれど、俺はその中でも近しい距離にいると思う。
そんな俺でさえ、高岡さんがどんな音楽が好きで、どんな楽器を弾いているのか実はあまり分かっていなかったりする。一度試しに、高岡さんが車でかけていた音楽に興味を示したら、それからあらゆるCDを貸してくれるようになった。しかし毎回ジャンルはバラバラで、知ろうとするほど高岡さんの輪郭はさらに曖昧になるのだった。
「たっくん!」
道すがらの飲食店を覗きぼやぼやと足を進めていた俺の耳に、その声はなかなかのインパクトを与えた。子どもみたいに甘えて跳ねたリズムで、同時に成人男性のものだと分かる声色だったから。
「ちょ……!」
「なあに、今からウチ来るとこ? タイミングいいわねぇちょうどいいワイン入ったのよお! サービスしちゃう!」
振り返ると、妙にフェミニンな身のこなしの男性が駆け寄ってきた。華奢なその人は一直線に高岡さんのもとへ走り、慣れた仕草で腕もとに絡みつくと、頬がぶつかりそうなほどに顔を寄せ楽しげに笑いかける。高岡さんはその人の顔と、俺の顔とを交互に見て、めずらしくうろたえていた。
「ちょ、違……違うから、やめてください。離れてください」
「なによお人違いですっていう気? そんなんでオカマを騙せると思ったら大間違いよ? あれっよく見たらなぁに、かわいー子連れてんじゃない! たっくんの友達? えーやだほんとかわいー」
「おいマジでやめろ、変なことしたらぶっ殺すぞ」
その人の視線が俺に向き、俺が面白い返事も出来ずただ呆然としているあいだに、高岡さんは一気に顔色を変えた。その人は凄んだ声にもひるまず、なおも腕に絡みついたまま再度高岡さんを見上げる。
「なによカッコつけちゃって生意気! そんなカッコつけててもあんたいつも酒入るとすーぐ下ネタ……」
「あー! ちょっとこっち来い!」
高岡さんはその人の声をかき消すように大きな声を出し、肩に腕を回して道の端までその人を連れていく。何か耳打ちするような仕草。内緒話をしているのだろうに二人の声は大きく、物理的距離の意味もなく俺のもとへかすかに届く。
えー、そうだったのお!?
だからさあ、そういう絡み方ほんとやめてお願い
なによお、それならそうと言ってくれればいいじゃないの!
やだよお前に言ったらロクなことになんねぇだろ!
何よぉ、ネタに決まってんでしょ! 手ぇ出したりしないわよ!
ひまだなあ。腹へったなあ。首をかきながらぼんやり立ちつくしていると、話を終えたらしい二人はそそくさとこちらに向かってきた。その人はやっぱり甘えた身のこなしで、今度は俺に歩み寄ってくる。
「じゃ、お邪魔虫は消えますね! 驚かせてごめんねイセチャン!」
「は、はぁ……」
「たっくんもね! どういう結果になっても慰めてあげるからネ!」
「うるせぇそういうの要らねぇんだよ早く行け!」
その人は最後までゆらゆらと軽やかに手を振りながら、路地を曲がって去っていった。高岡さんは疲弊した顔のまま俺を見て、聞いてもいないのに焦ったようにまくしたてる。
「あ、あの人はこの辺で店やってる人で、昔先輩に連れていかれてあの人の店に行ったことがあって、そこで顔覚えられてたまに話しかけられるんだけどいつもはあんなベタベタしてこないし、つーかその店も俺別にそんな何回も行ってるわけじゃ」
「店、この辺なんですか?」
「え? ああうん。すぐそこ。そこの焼き鳥屋曲がってさっきの道とぶつかるとこ」
「高岡さんこの辺の道詳しいんだったら言ってくれればよかったのに。そしたら間に合ったかもしれないし」
責めるような語気になってしまった、意図はなかったが今さら言い直すこともできない。焦りが思考と言葉を引き裂いてしまう。
「いや、詳しくはない! つーかほんとその店も通ってるわけじゃないし!」
「高岡さん下の名前なんでしたっけ」
「え……? た、拓海」
「あー。それでたっくん」
「う、うん……」
「なんで俺の名前知ってたんすかあの人。あっちで噂話でもしてたんですか? 悪口?」
「いやいや違う違う! 伊勢ちゃんの話は確かにしたけど、いい意味の話で……! いや、いい意味っつーか、そういう悪口じゃなくて逆で、あ、いやでも逆ってそういうことじゃなくて」
「まあなんでもいいですけど」
自分は高岡さんの近しい友人だと思っていた、それすらばかばかしく感じている。高岡さんの知らない顔など山ほどあるというのに、校内で見せるごく一部を知って得意になっていた俺はばかだ。
「……怒ってる? ごめんな」
指摘されてはじめて気づいた。これは怒りだろうか。高岡さんの見えない世界、見せてくれない世界に対しての嫉妬だろうか。高岡さんの暗い表情を見れば、無性にいたたまれなくなる。
「あ、いや、すいません。違います。怒ってないです、すいません。……あ、俺もつ食いたい! そこのもつ鍋屋入りましょ!」
「あーうん。……っわ」
荒く乱れる自分の語気を正すため、そして高岡さんの陰りを晴らすため、強引に話を変えた。ここまでは良かったと思う。目についた飲食店の看板を読み上げて、高岡さんの腕を引いた。先ほどの男性と同じように。それが間違いだった。
高岡さんは、わ、と簡潔に驚きを声にした。目を大きく開き、そんな行動はまったく予想していなかったと言うように表情をこわばらせ、固まっていた。そんな顔をされたら、手をはなすしかない。
「すいません……」
「いや、ちが、ご、ごめん」
厚みのない謝罪ばかり繰り返すと互いが小さく見える。適切な距離をとったまま店に入り、どこかぎこちないまま食事をして、音楽もなく上滑りした会話も弾まないまま一日が終わっていく。曖昧な天気の日は何をやってもうまくいかないから嫌い。その上、情けない感情にまで気づいてしまった。
物理的な距離が精神的な距離とイコールだとは思わない。それでも、高岡さんがあの人の肩を抱いて俺から遠ざかったとき、俺が腕に触れたことであからさまに戸惑った顔を見せたとき、抱いた感情は『さみしい』だった。
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