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バイト先の高岡さん
(付き合いたて)
(高岡さんのバイト先の先輩視点)
「どうした、浮かれてんなあ」
アルバイトの大学生がめずらしく鼻歌を歌いながら皿を洗っていたので、隣で鍋にたわしをこすりつけながら尋ねた。まがりなりにも年上の俺から、気難しい大学生への他愛ないコミュニケーションにすぎない。
「遠藤さん、俺、恋人できたんすよ」
唐突な話題は、さりとてその世代の男ならば決して特殊ではない、むしろド王道な話題だ。それでも俺は面食らい、単純な相槌をこぼすまでに時間を要した。
「良かったなぁ……」
「っす」
「いや、驚いたな。お前に彼女ができたことがってんじゃなくて、むしろお前ってモテそうなのにそういう話しねぇから。そーか、よかったな。どんな子?」
「かわいいっすね」
「それは顔? 性格?」
「いや……どっちもかわいい、っつーか全部かわいいっす」
「ベタ惚れかよ。びびるわ」
店長に新人入ったから、と紹介されて挨拶したときの高岡は、今より髪も長く、顔つきも幼く、声も小さかったので正直なことを言えば印象が悪かった。教育する上で案外素直であることや、不躾な態度の要因はただの不器用であることを知って見る目も変わっていったが、それでも今一歩踏み込めない印象だけは変わらない。
「ずっと好きだったんです。でも絶対無理だと思ってて、っていうか無理だったんですよ。でも耐えられなくて、ギリギリのところで留めてたのが止まんなくなっちゃって、あー失敗したって思ってたんですけどうまくいって、ほんと夢かと思いました……今も思ってますもん。俺ほんとにあの子の彼氏になれたのかなって」
高岡はどちらかと言えば寡黙なタイプだと思う。客とも従業員とも何気ないコミュニケーションはそつなくこなすが、不要な個人情報は決して明かさない。ふらりとかわしてしまう器用さくらいはあるので、ごく自然に『わからない人』をまっとうできる。そんな高岡が、恋愛という私的な話題についてここまで饒舌になるとは。
「え……? お前DTとか言わないよな?」
「DT?」
「童貞。いや違うよな、そうだよな。入ってきたばっかの頃酔っ払った店長にゲスネタぶっこまれて、さらっと経験人数とか色々喋ってたもんな」
「あー……ありましたね。でもまあ、昔のことはどーでもいいっつーか、できればなかったことにしたいです」
興味のない対象は躊躇なく切り捨てていく、そういうところはかねてから抱く高岡のイメージのままだ。相反する二つの性質が表裏一体となったとき、内側はさらに確固たるものになる。
「すごいな、そこまで好きになれる相手なんてまあいないだろ」
「そうですね。俺どっちかって言うと他人にのめりこむのってばからしいと思ってたし、恋愛体質な奴見てちょっと軽蔑してたんですけど結局俺も同じでした。むしろ傷つかないように『恋愛なんて~』って気取ってた自分のほうがだせぇなって」
「ふーん……若いうちにいい出会いできてよかったなあ」
「そうですよね。だから今日この後、飲み会帰りのその子迎えに行くんですけど、ちょっとしたワガママくらい聞かないと」
「……お前、忠犬みたいだな」
しかたがないけれど受け入れてやろう、というポーズをとりながら、その実頼られていることにまんざらでもなさそうな高岡の様子を見ていたら、ふかふかの毛に包まれた大型犬を思い出した。
「それならさっさと店閉めるか。この時間じゃもういいだろ。お前もそれ洗い終わったら上がっていいよ」
「ありがとうございます」
表に出ているメニュー表を兼ねた看板を回収しに行こうと、入り口ドアを開ける。顔にぶつかる冬の風に目を細めていたから気付くのに時間がかかった。店の前に、大学生くらいの男がいた。
鼻の下あたりまでぐるぐるとマフラーを巻いた姿で、店の様子をうかがうように小窓から覗き込んでいたらしい男は、出てきた俺と目が合うと身構えた。
「あ、すいません。もう閉店時間なんですよ」
「あー……いや、あの」
男は口ごもる。酔っ払いかなんなのか、と思っているうち、手をはんぱに濡らしたままの高岡が飛び出してきた。
「伊勢ちゃん?」
「あ、お疲れ様です」
「え、どうしたの?」
「やーなんか、この通りの別の店で二次会やってたんですけど、つまんなかったんで抜けてきちゃいました」
「そうなの? ちょっと待ってて、俺ももう上がりだしすぐ着替えてくるから」
高岡はコック帽をはぎとりながら店の奥へもどっていく。俺は改めて、伊勢ちゃんと呼ばれた男へ目を向ける。なんだか見覚えのある、グレイのマフラーからのぞいた鼻が赤い。
「なんだ、高岡の知り合いか」
「あ、はい」
「寒いし中入って待ってなよ」
「大丈夫です、一服したいんで。ありがとうございます」
高岡に会うという目的を果たせたためか、穏やかな声色で煙草を取り出した彼を残しそっと扉を閉める。更衣室では、高岡がばたばたとせわしなく私服に着替えていた。
「すいません遠藤さん、上がらせてもらいます」
「はいよ。焦って着替えて忘れもんすんなよ」
「あ、はい」
「あれ、お前いつもしてるマフラーは?」
「今日はしてこなかったんです」
「まじかよ、この寒いのになん……」
「え?」
「……さっきの、お友達?」
「え、あ、はい。大学の」
「かわいらしい子だね」
「ああ、そうですね」
見た目や印象に対するコメントとも、お礼を言いながら煙草を取り出した律儀さに対してのコメントともとれるように言ったつもりだったが、高岡のさらりとした返事はすべてを語っていた。
そうですね、とは、周知の物事に対する相槌でしょうに。どんな告白より真実味を持っている。
「……人前では尻尾は隠しておきなさいよ」
「うっす……?」
タイムカードを切り改めて挨拶をしたあと、私服姿の高岡は煙草を吸う彼のもとへ飛んでいく。その腰元に生えた振り千切れそうな尻尾が、ガラス越しに今も見えていた。
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