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第1話

ー梅雨入りしましたー TVやネットを見ると報道されている、梅雨入り速報。 馨は梅雨が苦手だった。 梅雨の時期には思い出したくないことを思い出して、胸が苦しくなってしまうからだ。 ちょうど二年前のこの時期、馨は大好きだった恋人と別れた。本当に大好きで、大切で、もうこの人しかいない、そう信じて疑わなかった。一緒に過ごす時間は、とても幸せで柔らかくふわりと包み込まれるような、そんな日々だった。 別れは突然訪れた。 「俺、結婚するんだ」 「えっ?」 どしゃ降りの雨の中で告げられた言葉に、馨は耳を疑った。 思考が失われ、顔色ひとつ変えずに目の前に立っている恋人を見つめることしかできない。 「別れよう」 「えっ、どうして…? あっ、の、よくわかんないんだけど…」 「もう一緒にいられないんだ」 「だって…、俺たちさっきまで…」 同じベッドで君の腕の中に包まれながら「大好きだよ」って伝え合っていたはずなのに、馨はそれを言葉にすることが出来ずに俯き、歯を食いしばるのが精一杯だ。 降り出した雨が溢れてくる馨の涙を一緒に流してくれるけど、やはり目の前の恋人からの言葉は信じ難いもので、冗談だよって笑顔で手を差し伸べてくれるかもしれないという期待を胸に両手の拳を握りしめるとゆっくりと顔を上げた。 「響…」 「馨、さようなら」 最後のその言葉を言い終えると、恋人だった響は、振り返ることなく馨の前から姿を消した。 あの日と同じように降り出した雨… さっきまで晴れ間が見えていたこともあり、傘なんて持ち合わせていない。 だからといって、走って雨宿りできるところを探すこともせず、馨はただ雨の中を歩いていた。 響と別れたのはちょうどこの路地を曲がったところだ。 振り返ることのない背中をひたすら見つめることしか出来なかった。少しでも自分のことを思ってくれているなら、振り返ってくれるだろうと見えなくなるまで目に焼きつけるように見つめ続けたけど、願いが届くことはなかった。 響の祖父は大企業の会長で、関連会社の社長令嬢と響の結婚が大々的にニュースになるほどの有名人だ。 知らなくていい情報がTVやネットで勝手に自分の中へ飛び込んでくるけど、馨はそれを受け入れることができずに、TVを消し、スマホを開くのを辞めた。 三日もすれば世間は落ち着きを取り戻し、二人の結婚がなかったかのように報道されることはなくなった。 それでも馨の胸中はいつまで経っても落ち着くことはなく、響との思い出が詰まった部屋で一人、壁にもたれて小さく三角座りをしながら過ごす日々。 いつもふわりと包み込むように抱きしめてくれた腕… いつもくすぐったいくらい近づいて軽くおでこに唇を触れてくるだけのキス… 大きくて長い指が絡まる恋人繋ぎ… そのどれもが昨日の事のように思い出せるほど、馨の中にはまだ響がいる。 愛していた… 違う…まだ愛しているのに… 降り止まない雨が、響を想い溢れ出す馨の涙を一緒に流していく。 馨は、この吹っ切れない想いを一層の事全て流してくれればいいのにと思っていた。 降り注ぐ雨に逆らうように、馨は顔を空へ向ける。 曇った空はまるで自分の心の中を表しているみたいで、グッと奥歯を噛み締める。 そんな馨の目の前に、スーッと傘が覆いかぶさってきた。 驚いて振り返ると、そこにはスーツ姿の男が雨に濡れながら馨に傘を差し出している。 「風邪引きますよ?」 「あんただって…びしょ濡れじゃん」 「俺は、別に構いません。けど、あなたは綺麗すぎる」 「はっ? あんた何言って…」 「行きましょう」 馨の言葉を最後まで聞くことなく、スーツの男は馨の手を取り歩き出す。 雨の中、男二人で一つの傘を差しながら歩く姿は、周りからどんな風に見えているだろう。 ただ一つ言えるのは、繋がれた手は振り払うほど嫌だとは感じていないということ。 そして、その手はとても温かくて馨は自分の胸がとくんと動いた気がした。

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