1 / 1

運命を上回るほどの

 (つかさ)千秋(ちあき)は、(しょう)の幼馴染みだ。同じ幼稚園に通い、仲良くなった。遊ぶときはいつも三人一緒だ。  千秋にとって翔は友達だが、司はそれ以上に特別な存在だったようだ。千秋は司が大好きで、いつもべったりくっついていた。  司は翔と千秋を分け隔てなく友達として接した。翔も司と千秋は同じくらい大切な友達だと思っていた。  成長しても三人の関係も変わらずつづいた。  けれど、千秋の司への気持ちは変化していった。今まで以上に千秋の中で司の存在はどんどん大きくなっていったのだ。  たまに司が用事でいなくなり、翔と千秋が二人きりになるときがある。そのときは決まって千秋が翔に言うのだ。 「僕、司のことすごく好き。大好き。もうね、司と一緒にいると、胸がぎゅーってなるの。僕と司はずっと一緒にいられるんだ。離れられないの。僕は司が大好きで、司も僕のこと同じように思ってるもん」  司のことを考えている千秋は、頬が赤く色づき、瞳は潤んでキラキラと輝いていた。  幼い頃は、翔は千秋の言っていることをきちんと理解できていなかった。司のことを話している千秋は嬉しそうで幸せそうで、だから翔は理解できなくてもただ黙って見守るように千秋の話を聞いていた。  千秋の言っていたことを理解できるようになったのは、バース性というものを認識し、運命の番という言葉を知ったあとだった。千秋は幼い頃から運命の番の司に本能で惹かれていたのだ。  運動神経がよく成績優秀で全てにおいて優れている司。  愛らしく成長し、庇護欲をそそる容姿で周りを魅了する千秋。  そしてなにもかもが平凡な翔。  バース判定の結果、司がαで千秋がΩ、翔はβだということがわかった。判定する前からそれぞれ予想はできていたので、特に驚きもなかった。  喜んだのは千秋だ。これで司が運命の番だと確定したようなものだからだ。 「やっぱり! 司と僕はずっと一緒にいられるんだ! 嬉しい! 運命の番なんて出会える確率は高くないのに、僕と司はずーっと小さい頃に出会えてたんだよ! これってほんとにすごいよね!」 「そうだな」  はしゃぐ千秋に、翔は笑顔で頷いた。  しかし千秋は、今まで一度も司に自分の気持ちを伝えたことはなかった。翔にはどれだけ司のことが好きかを何度も言ってくるのに、翔と二人きりのときは司の話しかしないくらいなのに、司本人の前では言わない。わかりやすく態度には出すが、言葉では伝えない。司と二人きりになれば言うのかと思ったが、二人きりのときにも言ってないのだという。  千秋は、司の方から好きだと言ってほしいようだ。あれだけ態度に出していたら今更だと翔は思わなくもなかったが、千秋としては司から思いを伝えてもらって、それに応えてから恋人になりたいのだそうだ。  そして司は、まだ千秋に好きだと言っていない。 「僕たち中学生だもんね。司は真面目だから、まだ早いって思ってるんだと思う。きっと高校卒業したらって考えてるんだよ。それとも大学卒業したあとかな? ちゃんと僕を養えるようになってからって思ってるかもしれないよね。僕はいつまででも待てるよ。だって運命の番なんだもん」 「楽しみだな」と興奮した様子で語る千秋は完全に夢見る乙女だった。そしてそれは夢ではなく現実になるのだと、千秋は信じて疑っていなかった。  βの翔にはよくわからない感覚だったが、幼馴染みの二人が幸せになれるのならいいことだ、と思った。  思いを伝えあっていなくても千秋は司にべったりで、バース性がわかってからは更に、人目を憚らずべたべたとくっつくようになった。千秋は自分の気持ちを伝えはしないが隠そうとしない。周りは二人を恋人なのだと判断し、気づけばそれは周知の事実となっていた。  その頃から、千秋は司と二人きりになりたがった。今まで千秋が遊びに行こうと提案するときは翔と司の二人を誘ってきたが、今は司と二人きりで出掛けたがる。  しかしそうすると、司は必ず翔も誘うのだ。 「俺はいいよ。二人で行ってこいよ」と翔が遠慮すれば、「今までずっと三人で遊んでたんだから、三人一緒がいい」と司が言うのだ。司はそう言って譲らないので、結局は今までと変わらず三人一緒に行動する。  千秋は司と二人でデートがしたいだろうに、翔は明らかに邪魔な存在で、申し訳ない気持ちになった。 「ごめんな」と謝れば、千秋は首を振った。 「いいんだよ。きっと司はけじめとして、まだ付き合ってない僕と二人きりでデートとかはしちゃだめだって考えてるんだと思う。デートは恋人になってからたくさんすればいいし」  千秋は司と二人きりになりたがるが、翔を疎ましく思うことはなかった。よくも悪くも、千秋は司しか見えていない。大事なのは司がいるかどうかで、翔がいてもいなくてもどちらでもいいのだ。  周りから見れば二人の傍をうろつく翔は運命の番のお邪魔虫で、そのことで悪口を言われることもあったが、司と千秋が翔を突き放すことはなく、だから三人は関係を保ったまま一緒の高校へ入学した。  翔は本当は、別の高校へ行こうと考えていた。  千秋は当然のように司と同じ高校を選び、でも翔は、これは二人と距離を置くいいきっかけになるのではと考えた。  いずれ二人は番になる。それなのに司が自分の気持ちを伝えないのは、翔に遠慮しているのではないかと思ったのだ。今までずっと三人一緒にいたのだ。でも二人が番になれば、翔の存在は自然と弾かれる。  司はそれを、申し訳ないと思っているのではないか。  ならば、翔の方から離れるべきだと思ったのだ。  しかし別の高校へ行くことを司に反対された。  同じ高校に通うのを楽しみにしていたのだと熱く語られた。一度しかない高校生活を、翔も一緒に過ごしてほしいと。  言われて、学生である内は司は三人一緒に過ごしたいのだと思った。千秋とは将来必ず結ばれるのだし、今はまだ幼馴染み三人で、友達として楽しみたいのだと。こんな風にしょっちゅう遊び回れるのも学生の内だけなのだ。  最初は翔も渋っていたが、別に翔も司と千秋と一緒にいるのが嫌なわけではない。二人は大切な友達だ。色々と考えた結果、結局絆され、翔が折れることになった。  頭のいい司に合わせて高校を選ぶことになり、翔と千秋は猛勉強しなければならなかった。千秋と共に付きっきりで司に勉強を教わり、そして無事に三人同じ高校に合格したのだ。  高校に入学して一年が過ぎた。中学のときとなんら変わらない日々がつづく。  遊びに行くときも、昼休みも三人一緒。だが、行きと帰りはバラバラのこともある。三人の家の方向がそれぞれ違うからだ。途中まで一緒に帰ることもあるが、掃除当番のときなどは待たずに先に帰る。  翔は放課後に用事があったので、寄り道して帰ろうと誘ってきた司と千秋にそれを伝えて先に帰ってもらった。  翔は約束の時間に校舎裏へ向かう。人気のないその場所に、一人の女子生徒が立っていた。  彼女は一年のときに同じクラスだった生徒だ。二年生になり、クラスは離れた。  目立つような生徒ではない。控え目で、関わりも少なかった。でも学校行事で一緒に作業したことがあり、彼女の優しい雰囲気は覚えている。 「あ、あのっ、いきなり、呼び出してごめんなさい……」  顔を真っ赤にして身を縮める彼女に、翔は笑顔で首を振った。  こういった呼び出しには慣れていた。司に好意を抱いている生徒が、彼に直接伝えずに翔を介して伝えるのだ。  できれば巻き込まれたくはない。司には千秋がいて、そこに誰かが入り込む余地などないのだから、意味のない行為だと思わなくもない。  望みがないとわかっていて、気持ちを知ってほしいと手紙やら誕生日プレゼントやらバレンタインのチョコやら司に渡してくれと翔に頼んでくるのだ。  一生懸命な様子を見ると翔も断りにくく、仲介を引き受けることは少なくなかった。 「気にしなくていいよ。それより用事って?」  相手が気後れしてしまわないよう、穏やかな態度で接した。その方がスムーズに進むと思ったからだ。  彼女は顔だけでなく耳まで赤く染め、覚悟を決めたように口を開いた。 「好き、です……。付き合ってください……」  震える声で告げられた。  彼女はまっすぐに翔を見ている。  潤んだ瞳が、翔だけを見つめていた。  そこで漸く、翔は自分が告白されたのだと気づいた。 「え!? お、俺……!?」  動揺する翔に、彼女はこくこくと頷く。  今までの経験から、まさか自分が告白されるだなんて微塵も思っていなかった翔は、突然のことに戸惑うばかりで気のきいた言葉も返せない。 「あ、う、え、えっと……」 「あ、急に、こんな、ごめんなさい。いきなり言われても、困るよね……」 「あっ、いや、ごめん、びっくりして、告白なんてされたの、はじめてだったから……」 「そうなの……?」 「う、うん……」 「私も、はじめて、告白したの……」 「そ、そっか……」  お互い赤面しながら、ぎこちなく言葉を交わす。  よく見れば、彼女の手は震えていた。きっと勇気を振り絞って伝えてくれたのだろう。控え目な彼女は、呼び出すだけでも相当に勇気が必要だったはずだ。  正直、翔は全く彼女をそういう目で見たことがなかった。だから告白されても驚きや戸惑いが大きくて、まともに頭が回らない。 「あの、返事、今じゃなくてもいい……? びっくりし過ぎて、今すぐ考えがまとまらなくて……」 「あっ、それは、もちろん、全然大丈夫っ、気にしないで」  彼女はぶんぶんと両手を振る。  何度も翔に頭を下げながら、彼女は帰っていった。  彼女の姿が見えなくなっても、翔はその場から動けなかった。  こんな展開は全く予想していなくて、頭はまだ混乱していた。  いつも周囲の目を引くのは司と千秋で、翔は二人のおまけだった。一人で行動すれば誰の目にも留まらないような平凡な存在だ。司や千秋の顔は広く覚えられているが、一緒に行動している翔の顔を覚えている生徒は少ないだろう。  ずっとそんな扱いだったから。誰かにとって自分が特別な存在だなんて信じられなかった。   「翔」 「っ……」  名前を呼ばれ、飛び上がる。  振り返れば、司が立っていた。 「つ、司? 千秋と帰ったんじゃ……」 「忘れ物に気づいて取りに戻ってきたんだ。千秋には先に帰ってもらった」 「そ、そっか……。でも、どうしてここに……?」 「遠くから翔の姿が見えたから。せっかくだし一緒に帰りたいなって思って」 「あ、じゃ、じゃあ、帰るか」  翔は司を連れ立って歩き出す。  歩きながら、司が神妙な面持ちで声をかけてきた。 「実は、翔に大事な話があるんだ」  そう言われて、翔は千秋のことだろうと思った。  今まで、司の口から千秋のことを聞くことはなかった。でもそろそろ、司も自分の気持ちを千秋に伝えようと考えているのではないか。恐らくその辺の話だろう。 「できれば、俺の部屋で話したいんだ。来てくれる?」 「わかった」  翔は迷わず頷いた。  司と千秋は幼馴染みで、今でも大切な友達だ。二人に関わることならば、相談でもなんでも受ける。  あまり人を頼ろうとしない司に信頼されているようで、嬉しかった。  司にとって一番大事な千秋のことを、翔に相談してくれることが。  そんな思いを抱えながら翔は司と一緒に彼の家へ向かった。  高級マンションの一室が司の暮らす家だ。今までも何度か訪れたことのある彼の部屋に通される。 「翔、さっき告白されてたよね」  部屋に入るなりそんなことを言われて、翔はぎょっとした。 「な、な、なんで……っ」 「ごめん。聞こえちゃって」 「そ、そっか。はは、そうなんだよ、俺、驚いちゃって……」  恥ずかしさを誤魔化すように翔は笑うが、司はにこりともせずにこちらを見据えている。 「どうするの?」 「う、うーん……。実は、付き合おうかなって、考えてて……」  彼女に好感を抱いたのは確かだ。今はそうではなくても、付き合っている内に彼女を好きになれるのではと思った。  それか、友達から関係をはじめてもいいとも考えている。もう少し彼女と親しくなってからの方が、すんなりと恋人関係を築けるかもしれない。  思ったのは、翔が司と千秋以外に親しい人物を作れば自然と二人と距離を置けるのではないか、ということだ。  いつまでも三人一緒ではいられないのだ。  彼女という存在ができれば、昼休みも放課後も休日も、彼女と過ごすから、と翔が言えば、司と千秋はなんの気兼ねもなく二人の時間を過ごすことができるだろう。  いきなり離れるつもりはない。そうやって徐々に、二人から少しだけ距離を置くのだ。  三人一緒の時間を減らし、司と千秋が二人きりの時間を増やす。  彼女という理由がなければ、司はきっといつまでも気を遣って三人一緒にいようとするだろう。  だから、これをきっかけに翔は二人から少しずつ離れていこうと考えた。  彼女の気持ちを利用しようとは思っていない。好感を抱いたのは本心で、もっと彼女のことを知りたいと思ったのも事実だ。 「翔、本気で言ってる?」 「うん。俺なんかのこと好きって言ってくれて、嬉しかったし。あの子となら、うまく付き合っていける気がするから」  照れ笑いを浮かべて司を見れば、彼の表情はすっかりと抜け落ちていた。  尋常ではない様子に、翔は狼狽えた。 「つ、司……?」 「なに言ってるの、翔」 「え……?」 「そんなこと、許せるわけない」 「うわっ……!?」  いきなりぐいっと腕を引っ張られ、ベッドの上へ放り投げられた。  翔はなにが起きたのかわけがわからず、呆然と司を見上げる。 「つ、司……? 急にどうしたんだよ……」 「本当は高校を卒業してからって考えてたんだけど、翔がそのつもりなら仕方ないね」 「なに、なに言って……」  司はベッドに乗り上げ、翔の体を押さえつけた。  翔の両足の上に司が膝をつく。体重をかけられ、翔は痛みに呻いた。 「うあぁっ、いった、痛い、重いっ、司、どけよっ」 「翔。今、ここで、翔を俺のものにするから」  痛いと訴えているのに司はどいてくれない。話が通じない。なにを言っているのかわからない。  翔は怯えた。司に暴力を振るわれたことなど、一度だってないのだ。それなのに、今、彼は翔に痛みを与え、無表情にこちらを見下ろしている。  まるで別人のような彼の様子に、翔は恐怖を覚えた。 「ま、待って、司、一体どうしたって言うんだよ……? なんでこんなことすんの? 俺、なんかした? それで怒ってるのか?」 「なんで? 翔が悪いんだろう? 翔は俺のものなのに、あんな女と付き合うなんて言うから」  今で聞いたことがないほど冷たい口調で、吐き捨てるように司は言う。 「な、なに言ってんだよ……」  翔と司は友達で、そんなことを言われるような関係ではない。 「意味わかんないって……。俺はお前の物じゃない。別に俺が誰と付き合おうと司にそんなこと言われる筋合いないし、友達だからって、そこまで口出しされたくねーよ」 「友達じゃないよ」 「…………え?」 「翔は俺にとって、友達なんかじゃないよ」 「っ…………」  笑顔で告げられた言葉に、すぅっと血の気が引いていく。  あまりにも残酷な事実を突きつけられ、翔は声も出なかった。  幼馴染みで、仲のいい友達だと思っていたのは翔だけだったのか。  今まで一緒に過ごしてきた時間はなんだったのか。  ショックで、目の前が真っ暗になる。  青ざめる翔を見下ろし、司は微笑んだ。誰もが魅了されるような、綺麗な笑顔で。 「友達なんかじゃ全然足りない。俺は翔の全てを手に入れたい。翔の全部が欲しいんだ」  やはり、彼の言っていることが翔には理解できない。 「…………わかんねーって……。お前、一体なにがしたいんだよ」  くしゃりと顔を歪める翔の頬を、司は愛おしむように撫でた。 「すぐにわからせてあげる。俺が今まで、どんな目で翔を見てきたのか」  そう言って、躊躇いもなく翔の制服を引き裂いた。ワイシャツのボタンが弾け飛ぶ。  翔は呆然とその光景を見ていた。  半ば放心状態の翔の体に、司の手が伸ばされる。彼の掌が肌の上を這い、その感触に翔は愕然となった。 「な、なにっ、なにを……っ」  喉が引きつる。  自分がなにをされているのか。  司がなにをしようとしているのか。  それを認められずにいた。  そんなわけがない。  こんなことが起こり得るわけがない。  頭の中で現実を否定するが、そうしている間にも司の掌は大胆な動きで翔の体をまさぐっている。  翔は震える手で司の腕を掴んだ。 「じょ、冗談、だろ……? こ、こんなこと、俺相手に……っ」 「冗談かどうかは、すぐにわかるよ」  司の全く笑っていない笑顔にゾッとする。 「う、嘘だ……なんで、だって、お前はαで、千秋の運命の番で……そう、そうだよ、お前が好きなのは千秋だろ?」  必死に言葉を紡ぎながら、出会った頃のことを思い出す。  千秋は確かに司の運命の番だ。間違いないのだ。  出会った頃、一目見た瞬間から、司は千秋にべったりだった。そして千秋も司に常にくっついていた。  翔は二人の友達で、遊ぶときは三人一緒だったけれど、二人の間に確かな繋がりを感じ、決して自分はそこに混ざれないのだと幼いながらに理解した。  三人一緒にいても、翔は疎外感を感じていた。  司の一番は千秋で、千秋の一番は司だ。  彼らは本能で惹かれ合っていたのだ。  今ならば、それがわかる。 「司の運命の番は千秋だろ……?」 「そうだよ」  司はあっさりと認めた。 「っ……だったら、なんで、俺にこんなこと……っ」 「俺の運命の番は千秋だ。でも、だからなんなの?」 「は…………?」 「それは本能が勝手にそう判断しただけだ。俺の意思じゃない」 「っ…………」 「俺が愛してるのは、翔だけだよ」 「っ…………」  嘘だ、と叫びたかった。  けれど、翔を見つめる司の視線がそれを許さない。  狂気すら感じる、熱を帯びた彼の双眸が、本気なのだと語っていた。 「なん……なんで、俺なんか……」 「どうしてそんな風に言うの? 俺なんかって」 「だって……だって、俺はβで……千秋みたいに可愛くもないし、普通で、なんの取り柄もなくて……」 「俺にとってはそうじゃない。翔は誰よりも大切で特別な存在なんだ。俺が寂しくて苦しかったとき、傍にいてくれたのは翔だよ」 「…………」  そういえば、いつの頃からだったのだろう。あんなに千秋にべったりだった司が、そうでなくなったのは。いつの間にか千秋だけが司にべったりくっついて、司は千秋に友達としての距離で接するようになっていた。  司と千秋は盲目的に互いを見ていた。お互いしか見えていなかった。  しかし翔は、客観的に二人を見ていた。  司は千秋の前では決して弱音を吐かない。弱い自分を見せようとしない。千秋の前では千秋を守る頼れる存在であろうとしていた。  そんな司だけを千秋は見ていた。  だから千秋は気づかなかった。司の抱える寂しさに。  しかし翔は気づいた。司が千秋の見ていないところで、寂しそうに顔を曇らせていることに。  当時、司の両親は仕事が忙しく家に帰らないことがままあった。寂しそうな顔をしていたのは、家に帰れば一人きりになってしまうからだ。  三人一緒に遊んだ帰り道、また明日と手を振って別れたあと、翔は司を追いかけた。  千秋に見られないようにしたのは、司が千秋に弱みを見せたくないとわかっていたから。  司に声をかけて、うちでご飯食べようって誘った。でも……と渋る司を強引に家に連れていった。  そのとき翔が暮らしていたのは小さなアパートの一室だ。母と二人で暮らしていた。  母は笑顔で司を招き入れ、三人で母の手作りのご飯を食べた。ご飯のあとはテレビを観たりして過ごし、それから母と一緒に司を家まで送っていった。司を家まで送り届け、翔は母と二人で家に帰る。  そんなことを何度か繰り返した。  そのことを千秋は知らない。  翔はただ、寂しそうな司を放っておけなかった。  司は千秋に自分の弱い姿を見せなかった。  千秋は見える範囲の司しか見ていなかった。  もし司が千秋の前で自分をさらけ出していたら。  千秋が司の寂しさに気づいていたら。  司は本能に従い、千秋を求めつづけただろう。  司の両親の仕事が落ち着きはじめた頃、翔の母親の再婚が決まり、それから司が翔の家でご飯を食べることはなくなった。  けれどその頃から、司の気持ちは変化した。  本能ではなく、司の心が翔に惹かれた。  でも、それでも司の運命の番が千秋であることは変わらない。  幼い頃からずっと、司の番になることを夢見てきた千秋を、翔は傍で見てきた。 「千秋は……千秋はどうなるんだよ……。千秋は司の番になれるって信じて……それなのに……」 「それは千秋が勝手にそう思ってるだけだろ? 俺は千秋に、一度だって好きだなんて言ったことないよ。番になろうとも」 「そんな……」 「たとえαの本能が千秋を求めても、それは俺の意思じゃない。俺が千秋を求めることはない。俺がほしいのは翔だけだ」 「俺はβだ……子供だって産めない……」 「子供はいらないよ。言ってるだろ。俺がほしいのは翔だけだって。翔さえいてくれれば、他になにもいらない」 「俺はお前のものになんてならない……っ」 「するよ。今すぐに」  司の笑顔に、ゾッと肌が粟立った。  逃げろと本能が叫んでいる。  身を捩り、暴れる翔の両腕を司が押さえつけた。  両足は変わらず司に踏まれていて、腕を掴まれれば身動きが取れなくなる。  それでも必死に抵抗しているのに、翔の体を捕らえる司はピクリとも動かない。  翔はなりふり構わず滅茶苦茶に暴れているつもりなのに、それを司は涼しい顔で押さえつけている。  圧倒的な力の差を見せつけられていた。  カースト上位のαに、βは決して敵わないのだと理解する。本能がそれを悟り、心が望んでいなくても体が抵抗を諦めようとする。 「いや、嫌だっ……!」  悲痛な叫びが部屋に響く。  翔がどれだけ抵抗しようと、泣こうと喚こうと、司に解放するつもりはない。  彼の欲を孕んだ暗い瞳を見て、翔はそれを思い知らされる。  翔の目尻に浮かぶ涙を、司がねっとりと舐めた。 「っひ……」 「はは、そんなに怯えちゃって。可愛いね、翔」  恐怖に震え、抵抗もできなくなってしまった翔の体に司の手が触れる。  うっとりとした顔で首筋を指でなぞり、鎖骨を辿り、胸を撫でた。 「ずうっと、こんな風に翔に触りたかった」 「っ……うぅ……」  するすると腹部を、脇腹を撫で、また胸に戻る。  擽ったいようなぞわぞわする感触に、翔は身動いだ。  司の指が胸の突起に近づく。乳輪を摩り、撫で回した。 「ぃや、だ……そこっ……」  翔は嫌がるようにかぶりを振るが、司が手を止めてくれることはなかった。  司の指が、乳首を優しく押し潰す。 「んっ……」 「気持ちいい、翔?」  耳元で囁かれた言葉に、首を横に振る。  クスリと小さな笑いが耳の中に吹き込まれた。 「ほんと? ここ、固くなってきたよ。ほら、見て。コリコリしてる」  言われて思わず視線を下げれば、つんと尖った乳首が司の指に弄られている光景が目に入り、翔の顔に一気に熱が上った。 「やめっ……」  きつく目を閉じる翔の耳を、司の舌が舐め上げる。そのままくちゅくちゅと食まれ、耳朶を吸われ、耳の中に舌を差し込まれた。  いやらしい水音が直接耳に響き、耳を犯されているような感覚に翔はぞくりと震えた。  耳を舐りながら変わらず乳首も嬲られる。両方の乳首を摘まんで転がされ、むずむずする刺激が胸から広がり腰が揺れた。  翔は快感を感じはじめていることに気づいて怯えた。  友達に、自分が友達だと思っている相手に胸を触られて感じてしまうなんて、信じられなかった。 「やだっ、も、やめ……っ」  掠れた声で懇願する。  司は笑って胸から手を離した。 「そう。じゃあこっち弄ろうか」  そう言って司は下肢へと手を伸ばす。  止める間もなくベルトを引き抜かれ、ズボンと下着を脱がされた。 「やっ……」  晒されたぺニスは、緩く勃ち上がっていた。  それが目に入り、翔は絶望的な気持ちになる。 「やだ、なんで俺、こんなっ……」  司は友達なのに。千秋の運命の番なのに。  浅ましく反応している自分の体を見て、自己嫌悪に陥る。  泣きそうな翔とは反対に、司は嬉しそうに微笑んだ。 「俺に触られて気持ちよかった?」 「ちが、違うっ……」 「じゃあこれはなに?」 「ひうっ」  性器の先端を優しく弾かれ、びくっと腰が跳ねる。その刺激でまた硬度を増した。 「俺もほら、翔に触って興奮して、もうこんなになってるよ」 「ひっ……」  嬉々として取り出された司の陰茎は既に勃起していた。  大きく膨らみ反り返ったそれが視界に映り、翔は息を呑む。  司は自身の性器を翔のものに擦り付けた。 「やぁっ、やめ、やめっ……」  言葉にならない制止の声が口から漏れる。  それを無視して、司は亀頭で翔のぺニスの裏筋を撫でた。 「ひっ、や……っ」  性器同士が擦れる感触に、翔は逃れようと身を捩る。しかし司が逃げることを許さない。  敏感な先端を擦り合わされ、快感が背筋を駆け抜ける。 「んぁっ……」 「翔のここ、大きくなってびくびく震えてる。気持ちいいんだね」 「ちがっ、あっ、や、やめ……っ」  否定の言葉とは裏腹に、翔のぺニスは最早完全に勃起していた。けれど翔は、司の発言を認めることなどできない。 「このまま一回出しておこうか」  司は互いの性器を重ね合わせて握り込み、上下に擦りはじめた。 「ひぁっ、やだ、やめろっ、あっ、あっ」 「はっ、翔のちんこと擦れて気持ちい……っ」  扱かれる性器は張り詰め、やがて鈴口から先走りが滲む。  濡れた音が耳に入り、翔はこんな状況で浅ましく快感を得る自分の体を嫌悪した。  司は幹を擦りながら蜜が溢れる先端をにちゅにちゅと指で刺激する。 「やあぁっ、そこ、やめ、やだぁっ、あぁっ」 「ははっ、気持ちよさそうだね、翔」 「ひうぅっ」  快感から逃げるように腰を動かせば、握り込まれた互いのぺニスの裏筋が強く擦られ、新たな快楽を生む結果になった。 「自分で腰振って気持ちよくなるなんて、いやらしいね、翔」 「違うっ、あっ、あっ、やぁっ」  手で扱かれ、性器を擦り付けられ、指先で鈴口を撫で回され、翔の口からは喘ぎ声が漏れつづける。  司の手に容赦なく追い詰められ、限界はすぐにやって来た。 「あっ、ぃやだ、離せ、あっ、も、出る……っ」 「いいよ、出して」 「いや、いやだっ、あっ、あっ」  首を振り立て、唇を噛み締め、必死になってこらえるけれど、絶頂へと追い上げられて我慢できるはずもない。 「あっ、あ、~~~~っ!」  体を痙攣させながら、精を吐き出す。  その姿を、司は瞬きもせずに見つめていた。 「あっ、いや……やだ、も……」 「あはっ、翔のいき顔かわい……。俺も、もういくっ」  司は荒い息を吐きながら、ごしごしと自身の性器を乱暴な手付きで擦る。そのまま、翔の体に向かって射精した。  自分のものよりも大量の精液を腹部にかけられ、翔は泣きそうな気持ちになった。 「はあっ、翔の体、俺の精液で汚れちゃったね」  うっとりとした囁きに、耳を塞ぎたくなる。  二人分の体液を混ぜるように、司は翔の下腹を撫でる。 「ぃや、もう、やめてくれ……」 「なに言ってるの? やめるわけないだろ」  無情に言い放ち、司は翔の脚を開かせる。  互いの体液で濡れた指が、奥に隠された蕾に触れた。  翔は目を見開いて拒絶の声を上げる。 「やめろっ、嫌だっ、触るな……!」  泣こうが喚こうが、今更司がやめてくれることはない。それがわかっていても、声を上げずにはいられなかった。  窄まりにぬるぬると体液を塗りつけられる。 「ひっ、ぅ、いや、だ……っ」  弱々しい声が、口から漏れた。  怯える翔に嗜虐心を煽られたように、司の瞳は情欲に染まる。 「はあっ……翔のその怯えた顔、ほんと可愛い」  欲にまみれた囁きを零し、司は唇を舐める。  知らなかった。知りたくなかった。自分に向けられる彼の欲望を。  友達だと思っていたのに、司は翔を友達だなんて思っていなかったのだ。ずっと、こんな歪んだ欲を抱いて、そういう目で、翔を見ていたのだ。  沸き上がる感情が怒りなのか悲しみなのか、翔にもわからない。 「ひっ……」  ぬぷりと指が差し込まれ、翔の体が跳ねた。  ゆっくりと、けれど躊躇うことなく指は埋め込まれていく。精液で濡れた指を、翔の後孔はさして抵抗もなく受け入れてしまう。 「あっ、はっ、あっ、あぅっ」 「ああ……翔の中、熱くて狭い。こんな風に翔の中に触れるのは、俺だけなんだ……」  熱っぽく呟きながら、司は指を動かす。  なにかを探すように動く指がそこを擦り上げた瞬間、痺れるような快感が全身を駆け巡った。 「ああぁっ」 「すごい反応。ここ、そんなに気持ちいい?」 「ひぁっ、や、なにっ、なんで、あっ、やだぁっ」  ぐり、ぐり、と指の腹で執拗に同じ箇所を撫でられる。  締め付けるように動く腸壁が、ゆっくりと念入りに解されていく。前立腺を擦り、快感を与えながら指を増やし、精液を中に塗り込める。  強烈な快楽に、翔は喘ぐことしかできない。ぺニスは再び頭を擡げていた。  ぐちゅぐちゅと三本の指が出し入れされ、アナルが充分に綻んだ頃、司の囁きが耳に落とされた。 「そろそろ入れようか」 「っ……」  息を詰める翔の中から、指が引き抜かれる。 「翔を俺のものにするよ。翔の中を奥まで犯して、俺の精子でいっぱいにするからね」 「ぃや、嫌だっ、司、頼むから、やめてくれ……っ」  思わず、司の腕に縋りついて懇願する。  司は微笑みながら、それを残酷に突き放す。 「やめないよ。翔がどれだけ泣いて嫌がっても」 「ひっ、はっ……」 「翔が拒んでも、絶対に翔を手に入れる。縛り付けて、離さない。もう、そう決めてるから」 「ひああぁっ」  ずぶっと、アナルに剛直が突き刺さった。  がっしりと腰を掴まれ、強引に捩じ込まれる。  腸壁をいっぱいに圧迫されて、苦しくて顔を歪めた。 「く……はあっ、すごい……翔の中に、入ってる」  司は感動したように熱い吐息を漏らす。  体の中に彼の熱を感じ、もう取り返しがつかないのだと絶望的な気持ちになった。 「翔……は、はあっ……翔……っ」  司は上半身をぐっと傾ける。肉棒が更に深く埋め込まれ、翔は喘いだ。  目の前に司の顔が迫り、避ける間もなく唇を奪われた。 「んんぅっ……」  がっちりと顎を掴まれ、激しく口内を貪られた。  下半身が繋がり、ぴったりと体が重ねられ、キスをされている。  どうして自分が、こんなことをされているのだろう。  本来ならば、こうして彼に抱かれるのは千秋だったはずなのに。  運命の番として惹かれ合い、愛し合うはずだったのに。  千秋の顔が頭の中を過り、翔は反射的に司の舌に噛みついた。  ガリッと歯が舌に食い込み、けれど司は動じることもなく唇を離さなかった。  やがて鉄の味が口の中に広がる。  流し込まれる唾液を血とともに飲まされ、じわりと涙が浮かんだ。噛まなければよかったと後悔する。  キスをしながら、司はゆるりと腰を揺らした。  硬い楔に前立腺を擦られ、そこを刺激されると、どれだけ心が嫌がっても体は快感を得てしまう。 「んぁっ、んんっ……ふぅっ」  ごりごりと重点的にそこを攻められ、翔は背を仰け反らせてよがった。 「ん、はあっ、翔の中、俺のに絡み付いて……はあっ、気持ちいい……」  興奮した様子で、司は徐々に腰の動きを激しくする。じゅぷじゅぷと舌で翔の口内を犯しながら、同じように肉筒を掻き回す。  感じたくないのに、翔のぺニスはすっかり勃ち上がり先走りを漏らしていた。司の動きに合わせて、ぷるぷると揺れる。 「ひんんっ、ふ、ふあぁっ、ん、んんっ」 「翔っ、翔……一緒にイこう、中に出すからね……」  翔の唇を舐めながら、司は下肢へと手を伸ばす。張り詰めたぺニスを掌に包み、こしゅこしゅと擦り上げた。 「ひあぁっ、や、やだっ、あっ、あぁっ」  懸命に身を捩るが、翔の抵抗など簡単に押さえつけられてしまう。  前立腺を亀頭で抉られ、ぺニスを扱かれ、体は絶頂へと上り詰めていく。  翔の射精と同時に、体内で熱が弾けるのを感じた。  大量の精液が、体の奥に注がれる。  雌にされている。本当に、自分は友達ではなかったのだと、改めて実感させられた。  脱力する翔の中から、ずるりと陰茎が引き抜かれる。  終わったのだと、ただぼんやりとそう思った。  けれど体をひっくり返され、腰を高く上げられ、翔は愕然となる。 「なっ、なに、なんで……!?」 「一回で終わるわけないだろ。最初は翔の顔を見て抱きたかったから、我慢したんだ」  我慢? なにを? 翔の頭に浮かんだ疑問は、再び内部を貫かれた衝撃に掻き消えた。 「ひっ、あああぁっ」  司の放った体液が潤滑剤となり、肉筒はあっさりとそれを受け入れる。 「はっ、今度は、もっと奥まで犯して、もっと奥に出すからね」  ぬぷぷ……っと、男根は先程よりも更に奥へと侵入してくる。 「いやぁっ、奥、入れな、あっ、あぅっ」  内奥を突き上げながら、司の体が背中に覆い被さってくる。  うなじを、ぬるりとした感触が這う。舐められているのだと気づいて、翔は嫌な予感に戦慄いた。 「司っ、や、待っ……!」  咄嗟に制止の声を上げる。  次の瞬間、がぶりと、歯が肌に食い込んだ。  鋭い痛みを感じる。  うなじを噛まれているのだと自覚し、ぽろりと涙が零れた。 「ひっ、う、あっ……あぁっ」 「ああ、綺麗に痕がついたよ」  αが発情期のΩのうなじを噛むことで、二人は番となる。  けれど翔はβだ。この行為になんの意味もない。  しかし司は、陶然と囁く。 「これで翔は、俺のものだ」  うなじを噛まれても、βの翔は彼の番になどならない。  それなのに、司の狂気に満ちた囁きに、翔は身も心も彼に囚われたように錯覚する。  シーツを握り締める翔の手を、後ろから司がそっと包み込む。  触れる手はひどく優しいのに、下半身の陵辱は止まらない。  まるで翔の体に司という存在を刻み込むかのように何度も抱かれ、いつしか翔は意識を手放していた。  目を覚ました翔を、司は穏やかな笑顔を浮かべて見守っていた。  その笑顔は今までと変わらない。  でもなにもかも変わってしまった。  夢だと思いたいのに、体に残る陵辱の痕がそれを許さない。  全てを忘れて逃げ出してしまいたかった。  体を起こす翔の目の前に、司がなにかを差し出す。  彼の手の上にあったのは、首輪だ。  それを目にして、くらりと目眩を感じた。  Ω用の首輪だ。発情期がはじまれば、Ωは首輪を装着する。そのときに恋人など決まった相手がいれば、その相手から贈られることが多い。  千秋はきっと、司から首輪を贈られると思っているだろう。 「受け取ってくれるよね、翔?」 「俺はβだ、首輪なんてっ」 「じゃあその噛み痕、皆に見てもらう?」 「っ……」 「俺はそれでもいいよ。俺のものだって、皆に自慢できるから」  嬉しそうに微笑む司を、呆然と見つめる。  翔は震える指でうなじに触れた。そこには噛み痕が残っている。何度も、血が滲むほど強く噛まれた。誰が見ても明らかに、くっきりと痕が刻まれている。  爪を立てて引っ掻いて、肉を抉ってしまいたい衝動に駆られた。そうすれば、噛み痕なんて消えてなくなる。  そんな危うい考えが頭に浮かぶが、司が翔の手をうなじから離してしまう。  そして司は噛み痕を守るかのように、翔の首に首輪を嵌めた。 「愛してるよ、翔。絶対に離さないからね」  呪いのような愛を囁き、司は翔を抱き締めた。  息苦しさに、口からは……と息が漏れる。  ずしりとのし掛かる首輪の重みに、翔は諦めたように目を閉じた。  

ともだちにシェアしよう!