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新居編 12 初めての冬
朝の日課が変わった。
昔は、溜め息から一日が始まった。あぁ、昨日、あの仕事終わらなかったからやらないとな、って。
敦之さんと出会ってからは、起きてすぐスマホを確認するのが日課になった。夜、寝てしまっている間に連絡が来たりするかもしれないって思って。まだ寝ぼけながら、布団の中で最初に敦之さんからのメッセージを探すのが、日課になった。
今は……。
今は、寝癖を手でとりあえず直すのから1日が始まるようになった。
隣で眠っている敦之さんに見つからないように、寝ている間にあっちこっちと飛び跳ねてしまう前髪を手で撫でつける。
でも、今日は先に敦之さんが起きてしまった。
「……おはよう」
「お、はようございます」
少し前から起きてたのかな。あまり寝付けなかったかな。まだ、二人で眠るようになってから、数日だから。何か、俺が寝てるこの人の邪魔になったりしないかな。
目を覚ますと、敦之さんが俺を見つめていて、眩しそうに目を細めた。
「あの、あまり眠れませんでしたか?」
「いや、ぐっすりだよ」
本当に? 昨日は仕事、少し忙しかったでしょう? 帰りが遅かった。
「拓馬がいるから」
俺? 寝相悪かったりしない? こんな寝癖なんだ。途中で貴方にぶつかったり、もしかしたら蹴ったりなんてこと。
「君はとても温かくて心地いい」
本当に?
「よく眠れた」
でも、だって、もう起きて。
「それに、あれは起きていてやってる?」
「?」
「朝方、俺を抱き寄せるんだよ」
「え? 俺がですか?」
「やっぱり寝てるのか……そう、朝方」
そんなことしてるの? じゃあやっぱり寝てるところを邪魔しちゃってる。
「それが嬉しくて、今日はじっと眺めてた」
「えぇ?」
「触っても全然起きる気配がなくて」
「そうなんですか?」
「あぁ、頬に触っても鼻を摘んでも、ぐーぐー寝てたよ」
「!」
なんて図太いんだろうって、寝ている自分の繊細さのなさにがっかりした。
「だから、寝ている君に襲い掛かろうと思ったところで、君が起きてしまった」
「!」
そう言って笑って、敦之さんは楽しそうに俺の頬にキスをくれた。
「残念」
楽しそうに、俺の寝癖を手で撫でつけながら。
二人で暮らすようになった。
でもまだ六日目。先週の日曜日にここに二人で越してきた。
場所は俺の勤め先から歩いて十五分のところ。ちょうどいい広さの新築マンションが駅前にできて、そこを買ってしまった。だから、俺は駅へ向かう人とは逆に歩いて会社へ向かう。敦之さんは仕事をする場所が固定ではないから、住む場所はどこでもいいんだと笑っていた。
ただ、俺と一緒に住める場所ならどこでもいいと。
むしろ、会社の目の前にある倉庫を買い取って、そこに一軒家を建ててもいいだなんて、本気のようにも思える冗談を言い出すくらい。セレブで華道家のこの人ならそんなこともやりかねなくて。
迷うことなくここを二人で選んだんだ。南向きの部屋。朝は爽やかな朝日が僅かに入ってきて、日中はポカポカと暖かった。引越し作業の間、とても心地良かったっけ。動いてるせいもあって、真冬なのに暖房は必要ないほど日差しがたくさん入ってきてた。
敦之さんが一人で住んでいた部屋よりもずっと狭くて、ずっと庶民的。でも、一般的サラリーマンには、「じゃあここで」なんて気軽に手短に決めてしまえるようなものではないけれど。
キッチンとリビング、それから寝室、トイレ、バス。もう一つ、小さな部屋があるのだけれど、そこは今の所使用用途が決まっていない。敦之さんの書斎にすればいいと思うのだけれど、書斎にこもっていてもアイデアなんて出てこない。それよりも俺と一緒にいる方がイメージがたくさん湧いてくるって言ってた。
リビングには、もちろんコタツがある。家具は全て買ったんだけど、このコタツを選ぶ時の敦之さんはすごくはしゃいでいて可愛かったんだ。どれもこれもいいな、なんて、真面目な顔でセレブが悩んでた。コタツ布団も全部買い揃えると満足そうに顔を綻ばせて。
「さ、買い物、行かないとだな」
「あ、はい」
「拓馬、今日は寒いから、マフラーをちゃんと」
「はい。っていうか敦之さんこそ、ちゃんとマフラーしてください」
「ありがとう」
背の高い敦之さんへ手を伸ばしてマフラーを巻く、ただそれだけのことにこんなににっこりと笑ってくれる。
「できました」
「温かい」
おはようございますって言うと。
おはようが返ってくる。
ただいまって言うのが習慣になった。
おかえりなさいって言えるのがとても楽しい。
いただきますって、言いながら食べるご飯が美味しい。
ウソ、みたいだ。
「雪隆さん達は何が好きでしょうね」
「さぁ」
「味噌鍋がいいかなぁ。でも、雪隆さんには上品な感じの水炊きとか?」
「水炊きは上品なのか?」
「な、なんとなく」
今日、夜、雪隆さんと友人の環さんが引越し祝いをしてくれることになった。
「敦之さんは何が食べたいですか?」
「うーん」
「俺の食べたいもの、は禁止です」
「なるほど、じゃあ」
「俺も食べないでください」
びっくりした顔をしてた。ちょっとだけ。眉毛を上げて、でもすぐに、いつものかっこいい顔に。
「それが一番食べたかったのに」
今度は少しだけ残念そうな顔を見せて、そして笑ってる。
「じゃあ、味噌鍋」
「了解です」
ウソ、みたいだ。
去年の冬は寒くて寒くて、朝、布団から出るのさえ億劫だった。コタツじゃ足りないほど寒かった。
けれど、この冬は、これからの冬は温かくて。
「敦之さん」
「?」
「早く、うちでご飯の準備しましょうね」
些細なことでも楽しくて笑ってしまう。そんな冬が来るなんて、ホント、嘘みたいだ。
「……あぁ、拓馬」
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