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第1話

ーブロロロローッー いつもと同じ時間にバスが到着して、順番に乗り込んでいく。 平松陽介は早起きが苦手なのに、一番めんどくさいバス通学を選んだのには、それなりの理由がある。 高校の入学当初は自転車通学を希望していたこともあり、しばらくは自転車で学校へ通っていた。 そんなある日、朝起きるとどしゃぶりの雨が降っていて、とてもじゃないけど自転車で行ける気がしなかったから、仕方なくバスで行こうと、いつもより早く家を出てバス停に向かった。 陽介はただでさえ雨が苦手なのに、待っている時間で傘を差しているにも関わらず雨に濡れることが堪らなく嫌だった。 ため息をつきたくなるのを堪えながら待っていると、目の前にバスが停まった。 前の人に続いて見よう見まねで乗り込むと、同じ年くらいの制服を着た男子の隣が空いていて、ゆっくりと腰を下ろす。 そいつは、こっちを向くこともなくジーっと窓の外へ視線を向けたままだ。 制服からして、陽介の通う高校のすぐ近くにある高校だということはわかる。 特に気にも留めず、陽介は暇潰しのために持ってきていた本をカバンから取り出すと、静かに読み始めた。 しばらくすると、バスのアナウンスが流れてきて、降りる駅だと思った陽介が立ち上がり出口へと歩いていく。 料金は携帯で調べていたから、きっちりと制服のズボンのポケットへ入れてある。 陽介はそれを手に取り、料金BOXへ入れようとした。 「お客さん、どこから乗ってこられましたか?」 「えっと、東方町からです」 「乗るときに切符を取ってもらわないといけないのですが…」 「あっ、すみません。知らなくて…」 初めてのことで勝手がわからず、運転手さんに頭を下げる。 どうやら、バスに乗った時に切符を取るのが決まりらしく、それを機械にお金と一緒に入れて料金を精算するシステムらしい。 「運転手さん、おはようございます。彼の言ってること本当だよ。僕の隣に座ったから間違いない」 「そっ、君が言うなら間違いないね。じゃあ、料金を入れて下さい」 陽介の間で会話する二人に、呆然と立ち尽くしていると、背後から『早くお金入れなきゃ』と、助けてくれた男子に声をかけられて、ハッと我に返った陽介は、持っていた料金をBOXへ入れた。 そのままバスを降りて人波に流されるまま足を運ぶと、振り返った時にはもうその男子の姿ははるか向こうへ行ってしまっていて、お礼もちゃんと言えないまま、陽介は学校へと歩き出す。 これが陽介と飯塚隼太(いいづかはやた)の出会い。 ************* その翌日から、陽介はバス通学へと変更して、毎朝6時半に起きて7時には家を出るという日常へと変わった。 もうすぐ夏がやってくるというのに、あの助けてもらった日以来、二人は一度も話していない。 隣のそいつは相変わらず窓の外を眺めたままで、陽介は読書をしているからだ。 お礼を言うタイミングさえ掴めないまま、時間だけが過ぎていた。 隣に座るそいつの横顔は、太陽の光に反射してよく見えないけれど、キラキラ眩しく映るのは、光のせいなんかじゃない。 それはきっと、陽介が隼太に会えるこの時間を楽しみにしているからだろう。 会話をすることもなく、毎朝バスの隣の席に座るだけの短い時間。 名前さえ知らない相手に会うことがこんなにも待ち遠しいなんて陽介は思いもしなかった。 話しかける勇気もなくて、ちらちらと視線だけを向ける日々に、自分でもバカらしいってわかってるのにどうすることもできなくて、思い出す度に頭をかきむしりたくなってしまう。 ある日、ちょっとした補習授業で帰りが遅くなった陽介は、誰もいないバス停で一人ベンチに座っていた。 薄暗い街灯の下で、読みかけの本を開き文字を追いかけていると、誰かが静かにベンチへ腰を下ろしたのを感じる。 見覚えのある制服姿が視界へ入り込んできて、胸の奥がざわついた。 「あっ…」 何となくあいつだったらという期待をしながら座った人物の方へ顔を向けると、思わず声が漏れてしまう。 その声に反応したように、そいつも俺へと視線を向けてくる。 初めてぶつかる視線に、身体が固まって動かない。 「この時間…初めてだよね?」 カバンのショルダーひもを手で遊ばせながら隼太に質問された言葉に、頷くことしかできないでいると、 「もうすぐ夏休みだね。出掛けたりするの?」 「いや、別に…。君は?」 「僕はサッカーばかりしてると思うよ」 「サッカー?」 「そう。サッカー部なんだ」 「へえ。毎日?」 「たぶんね」 「そっか。楽しい?」 「うん、楽しいよ」 途切れ途切れの会話。 初めて交わす言葉は思うように話せなくて、本当はもっとそいつのことを知りたいのに上手く伝えられなくて、時間だけが過ぎていく。 「もし迷惑じゃなかったら、サッカー観に行ってもいい?」 「も、もちろん!」 「良かった。断られたらどうしようかと思った」 「そんな、断るだなんて…」 薄暗い街灯でもわかるくらい、隼太が頬を赤く染めて恥ずかしそうに俯く。 さっき声をかけてきた君からは想像できなくて、クスッとこぼれる笑いに、『何?』と首を傾けて問いかけてくる君に、とくん胸の奥が鳴った。 「名前は…?」 「隼太…飯塚隼太。君は?」 「陽介…平松陽介』 ーブロロロローッー お互いの名前を知った二人の前に、バスがやってきた。 立ち上がりバスに乗り込むと、朝と同じ席に並んで座る。 今朝と違うのは、隼太は窓の外を見ずにいて、陽介もカバンから本を取り出すことはなかった。 時々視線がぶつかると、恥ずかしそうにニコッと微笑む隼太がいる。 また明日、二人は同じ時間に同じバスの隣の席へ座り、『おはよう』って笑うんだ。

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