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「か、和喜(かずき)!お帰り、」 和喜はいつでも自由に出入り出来るよう許可を得ているので、結界の中に入る事が出来た。なので、真斗(まこと)の家にやって来るのは、和喜の日課となっていた。 「お帰りじゃねぇよ!兄貴も何絆されてんだよ、こんな狐ヤローに!」 「ゼンさんに何て事言うんだよ!狐だってゼンさんは素晴らしい人なんだ」 「……」 まぁ、人でも狐でも間違いない。 しっかりと抱き合いながら、ギャアギャアと言い合う仲の良い兄弟の姿に、ゼンは気が抜けてしまった様子だ。やがて小さな笑みを見せると、ゼンは和喜の頭をぽんと撫でた。 「威勢がいいな」 「ば、馬鹿にすんなよ!兄貴は俺が守るんだからな!」 「ちょっと和喜!」 「頼んだぞ」 「え?」 柔らかな瞳に、和喜と春翔(はると)はきょとんとした。それからゼンが庭から出て行こうとするので、春翔は慌てて声をかけた。 「あ、待って下さいゼンさん!まだ話が、」 しかし、春翔の呼び止めも虚しく、ゼンは振り返る事なく、そのまま中庭から出て行ってしまった。 「あ…もう、和喜はどうしてゼンさんにあんな態度取るんだ」 「だって、兄貴を妙な事に巻き込んで怪我させた原因はあいつだろ?あいつと会わなきゃ、こんなしんどい思いもする事なかったじゃん」 「そうだとしても、僕はゼンさんに会えた事を何一つ後悔してないよ」 「分かってる!だから腹立つんだよ!」 和喜は唇を尖らせ、春翔の体から手を離すと、縁側に座った。それから、置かれた洗濯かごに手を伸ばし、仏頂面のまま服を畳み始める。その様子を見て、春翔は眉を下げた。 怒っても、側を離れない。怒っても、お手伝いをしてくれる。怒るのもその行動も全て、春翔を心配し、まだ不安だからだろう。 「…ごめんね、心配かけて」 「…別に」 春翔も和喜と洗濯かごを挟んで縁側に腰を下ろし、洗濯物に手を伸ばした。 あの騒動の後、春翔は和喜に、自分の身に起きた事をどう説明すればいいのかと頭を悩ませていたが、それらはすぐに杞憂に終わった。 あの騒動が起きた時、和喜は真斗と共に寮に居たという。そこへ、レイジが翼の生えた天狗の姿で隼人(はやと)を抱えてやって来たものだから、和喜はかなり混乱した事だろう。若い当時のままのレイジが翼をはためかせ、更に隼人はぐったりしており、その隼人の容態を真斗が医者として診察しているのだ。一体目の前で何が起こっているのか、いくら視界で捕えても、頭で理解はなかなか出来なかっただろう。 和喜はこの時、真斗から今何が起きているのか、妖の存在も含めて話を聞いたようだ。信じられずとも、大人達が慌ただしく駆け回れば、受け入れ難い状況も現実なんだと思わされる。和喜は戸惑いつつも皆に従い、レイジの判断で、より安全だというSTARSの事務所に真斗達と向かったという。 通されたのは、春翔も行った事が無いという三階だ。 三階のフロアは二部屋に分かれており、一つが会議室のような作りで、もう一つは居住空間だった。そこは、レイジの住居であり、以前は鈴鳴(すずなり)神社がそうだったように、現在の人の世の妖達の中心となっている場所だった。 その後は、レイジの仲間の妖が側で守ってくれていたので、真斗も町へと出たようだ。隼人が意識を取り戻してからは、和喜は隼人からも妖の話を聞き、知らない世界への理解を懸命に深めたという。全ては、相棒である真尋(まひろ)と、大好きな兄の為に。 なので、真斗の家で春翔と再会した時も、和喜に混乱はなかった。ただ、兄の無事に心から安心した様子で、人目も憚らず、顔をぐしゃぐしゃにして涙を零していた。その弟の姿に、春翔は目が覚めた思いだった。 春翔は何度も謝りながら、和喜の体を目一杯抱きしめた。もう少しで失う所だった、大事な弟を、更に傷つける所だったと。 逆の立場なら、どんなに怖かっただろう。突然知らない世界の騒動に巻き込まれて、更に自分の知らない所で大事な人達が危険な目に遭ってるなんて、考えるだけで苦しくなる。 黙って俯き、怒った顔のまま洗濯物を畳む和喜の姿に、改めて思い直す、もうあんな思いはさせてはいけないと。 「もう大丈夫だよ、あんな事起きないから安心して」 「当然だ、二度と起きてたまるかよ!ゼンもそうだけど、俺は真尋にも腹立ってんだ!」 「え?」 「俺に、何か一言あってもいいじゃん、何より兄貴を一度でも嵌めようと思ったってんなら、絶対許さない!一発ぶん殴ってやる!」 物騒な事を言い出す弟に、春翔は思わず洗濯物を畳む手を止め、和喜を制するように名前を呼んだ。 「兄貴はそんな事出来ねぇだろうから、俺が代わりにやってやる」 「やめてよ、僕はそんな事思ってないから!」 「分かってる!でもそれで、すんなり仲良く今まで通りなんて出来っこねぇよ!あいつだって…。だからぶん殴って、真尋にも俺を殴らせる!」 ぐ、と和喜は拳を握るので、春翔はきょとんとした。 「俺は、何も気づいてやれなかったから。だから、それでおあいこにする」 「…そっか、それじゃ僕も同じだから、」 「兄貴はいいんだよ!これ以上怪我とかされたら、俺、本当にもう…!」 唇を噛み締めて俯いた和喜は、その思いを堪え肩を震わせた。春翔はその姿にはっとして、和喜の隣に移動すると、その肩を抱き寄せ、優しく包み込んだ。 「ごめんね、ありがとう」 今まで何も話せなくて、ごめん。心配ばかりかけてごめん。 こんな兄を心配してくれてありがとう。一緒に真尋君を待ってくれてありがとう。 そんな思いを込めて、そしてそれは、きっと和喜にも伝わっている。和喜は小さく鼻をすすりながら、自分より少し小さくも温かなその体に身を寄せた。 「…あいつ帰ってくるよな」 「うん、社長が一緒だから大丈夫だよ。帰ってきたら、いっぱい話をしよう」 「うん」 そんな風に二人で話をしていると、庭の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。

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