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え、と思う間も無く、リュウジと共にやって来たあの青年が春翔 とゼンの間に割り込み、二人の肩を左右に押しやった。二人の体は青年によって引き離されてしまった。
春翔の頭の中では“きっと偉い人”、そんな彼が突然目の前に現れ、更に春翔をギロッと睨んでくる。背丈は春翔と同じ位なのだが、怒りのせいか瞳をぎらつかせ、彼が持っている威圧感と相まって、その存在感を増幅させる。怖さも倍増だ。春翔はびくりと肩を跳ねさせ、思わず後退ったが、青年はそんな春翔を見据え、更に詰め寄ってくる。
「あなたが、西宮 春翔ですね。随分ゼン様を振り回してくれたご様子。あなた、ゼン様の事をどれ程ご存知で?過去に何があったか知りませんが、どうせあなたも上辺しか知らないのでしょう。美しく気高い妖という存在が珍しいだけなら手を引きなさい」
春翔が一歩後退れば、青年も一歩近づいてくる。今にも胸倉を掴まれそうなその威圧感に、春翔は腰を抜かしそうになるのを懸命に堪えた。
言葉に詰まる春翔を見て、ゼンは困った様子で青年の肩に手をかけた。
「よせ、シンラ」
「いいえ!私はこの方と話をしているのです!いくらゼン様の頼みといえど、私は納得出来るまでここを退きません!」
シンラと呼ばれた青年はそう言うと、再び春翔に顔を向ける。春翔は再びの圧に屈しそうになるが、慌てて頭を下げた。
彼が何をしに来たのか分かった、やはりゼンを連れ戻しに来たのだと。ならば、自分の出来る事は一つしかない。
「ご、ごめんなさい、僕なんかがゼンさんの隣に居てはご迷惑と思われる方がいるのは分かっています。僕は、確かにゼンさんの事は知らない事の方が多いです。人間の僕では、妖の皆さんがどういう思いを持って過ごしているのかも、想像するしか出来ません」
言いながら、春翔は恐々頭を上げた。ちらりと様子を窺うが、シンラはまだ怒った顔をしている。思わず退いてしまいそうな足を懸命に堪え、春翔は続ける。
「でも、知ってます、ゼンさんがとても優しくて、優しすぎるから他の誰かを思っていつも傷ついていること。僕はそんなゼンさんの優しさにずっと守られてきました。ゼンさんは強くて、カッコいい人です。僕なんかでは頼りないかもしれませんが、こんな僕でもゼンさんの事を守れるかもしれない、支えられる事があるかもしれないと思うんです。何度も助けて貰った分、今度は僕が…だからお願いします!ゼンさんの側に居ることを許して下さい…!」
再び勢いよく春翔が頭を下げると、辺りはしんと静まり返る。春翔は沈黙の圧に潰されそうな思いだった。こんな言葉一つでシンラは納得してくれるだろうか、いや、納得出来ないかもしれない、そうなったらどうしよう、春翔にはゼンを引き止める力が何もない。
この思い一つしか、何もない。
無力さに、ぎゅっと服の裾を握れば、ぽんと大きな手で頭を撫でられた。
「いいんだ、春翔。こいつに頭を下げる必要はない」
頭を撫で顔を上げさせたのはゼンだ。その表情はどこか照れくさそうで、春翔は戸惑いながらも、慣れないゼンのその表情につられるように顔を赤く染めた。
途端に初々しい空気が流れると、その瞬間、ピキッと空気を引き裂くような音が聞こえた気がした。はっとして振り向くと、シンラが再び怒りを顕にしている。真っ直ぐ向けられた苛立つ瞳に、春翔は最早半泣き状態だったが、そこへ、この不穏な空気を和らげるような穏やかな声が割って入った。
「はいはい、相思相愛、結構な事じゃないか!」
そう手を叩きやって来たのは、リュウジだ。リュウジは困った様子ながらも笑みを浮かべ、今にも火を吹きそうなシンラを宥めるべく、怒る肩を優しく叩いた。
「もうさ、本人達が良いって言ってるんだから良いじゃねぇか。春は悪い人間じゃないし、シンラだって今回の事聞いただろ?ゼンを守ろうとして体張ってくれたんだ、自分の命もかえりみずさ。そもそも春翔を巻き込んだのは、スズナリが、」
「分かっています!」
シンラはリュウジの手を振り払い、唇を噛みしめ俯いた。
「…分かっているのです、ゼン様がどれ程あの方を思っているか、ずっと見て来ましたから。ならば尚更、この目で確かめなくてはいけないでしょう?それに私はまだ、ゼン様の王位を望んでいるんですから」
切に訴えるシンラに、ゼンは仕方なさそうに肩を落とした。
「悪いがシンラ、俺は遠の昔に継承権を捨てた。だからお前がここに居るんじゃないか」
「私は、私自身の事も認めていません!」
「それは、国王の判断が間違ってると言いたいのか?」
「そんな事は…!」
「シンラ、お前は国王が見込んで王家の子供となったんだ。父は、懐深く信頼のおけるお方だ。誰にでも分け隔てなく愛情を注げるが、ちゃんと一人一人を見ている。その父が、お前を次期国王とすると言ってるんだ、自分を認めないなんて言わないでくれ」
「ゼン様…」
「少なくとも、俺はお前が弟で良かったと思ってる」
その愛情深い眼差しに、シンラは目を丸くした。う、とか、あ、とか、何か言葉を発しようと口を開くが、それは言葉にならず、次第に大きな瞳が涙で滲み出すと、唇を噛みしめ俯いた。その様子から、彼が本当にゼンを慕っているのが見て取れる。ゼンを慕い尊敬するからこそ、自分よりもゼンの王位に執着するのかもしれない。
しゅんと項垂れる姿は、春翔を睨んでいる時とまるで別人だ。そして同時に、春翔は自分の勘が当たっていた事に気づいてしまった。
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