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第70話 記憶のすり替わり

僕は緊張した面持ちで 茉莉花さんの後をついて行った。 今では茉莉花さんも ピシッとまたスーツに着替えている。 こうしてみると、 やっぱりやり手のビジネスウーマンの様で、 ついさっきまで、 ピラピラのヒラヒラドレスを 着ていたような人だとは到底思えない。 病室前まで来ると、 僕はゴクリと唾を飲み込んで、 そのドアの前に立った。 中ではドクターや看護婦さんたちが 忙しく動き回っているようで、 今僕が入っていくと 邪魔になるんじゃないだろうか? と言うくらいバタバタとしていた。 「あの……僕、ここで待ってます……」 そうボソッと茉莉花さんに言うと、 「何言ってるのよ! 嫁のあなたが一番に入らないで、 誰が入るって言うの!」 そう言って、茉莉花さんに腕をつかまれ、 グイグイと病室まで引いて行かれた。 病室に入り、ベッドに横たわる矢野君を見ると、 確かにその目は開いて瞬きをしていた。 僕は少し遠慮気味に、 茉莉花さんの後ろに並び立ち、 彼女がドクターと話し終えるのを待った。 佐々木君も僕と同じように、 先ずは茉莉花さんがドクターと話し終えるのを待った。 ドクターに話し終えると、 ドクターは矢野君の所に行って、 「お母さんだよ。 分かる?」 そう言って茉莉花さんを、 矢野君の所に連れて行った。 茉莉花さんを一目見た矢野君は、 「あっ……お袋……」 そう言って目を細めた。 「大丈夫だね、 ちゃんと分かるようだね」 ドクターがそう言うと、 佐々木君が、 「光~ お前~心配させやがって……」 と矢野君の所に行った。 「仁……」 矢野君がそう言うと、 茉莉花さんが、 「ほら、陽向君も!」 そう言って僕の腕を引いて、 矢野君の前に立たせた。 その瞬間矢野君と目が合った。 「あ……いや…… 君が無事でよかったよ…… 凄く心配したから……」 そう言った時、 矢野君の顔が少し歪んだ。 「あっ…… やっぱりまだ怒ってる……?」 僕がそう言うと、 「お前、誰だ?」 と矢野君が返した。 「え? 冗談だよね? 僕の事まだ怒ってるの? ねえ、矢野君?」 僕がそう言っても、 矢野君は僕に興味を示さなかった。 それよりも佐々木君を見ると、 「なあ、咲耶は何処だ? なぜ此処にいないんだ?!」 と咲耶さんの事について聞き始めた。 「お前、この期に及んで、 あいつの事なんてどうでもいいだろ?!」 彼らのやり取りを、 茉莉花さんは静かに隣で聞いていた。 「なあ、お袋、咲耶は?! いつでも俺たちは一緒に居ると誓ったんだ! 何故俺がこんな状態なのに、 咲耶はここにいないんだ?!」 矢野君がそこまで言った時、 「ちょっと待て、光! お前、今何歳だ?」 と佐々木君が急に訪ねた。 矢野君は変な顔をすると、 「お前何言ってるんだ。 俺たちは同じ年だろ? 記憶喪失か?!」 と矢野君が佐々木君を冷やかしたけど、 佐々木君は真剣に、 「お前、今何歳だ?」 ともう一度、真剣な顔をして尋ねた。 「変な奴だな、 俺たちは高1の16才だろ? なあ、それよりも、咲耶は何処だよ?」 と、彼の記憶は少し前とは違っていた。 ドクターが直ぐに矢野君の前に行くと、 色々と質問をし始めた。 どうやら矢野君の記憶は16歳の時まで戻ってきているようだけど、 倒れる前の僕との記憶は一切残ってなさそうだ。 “何故? 僕だけの記憶が無いの?” 僕は矢野君に向かって、 「ねえ、ホテルでバイトしてたよね?! それは覚えてる?」 「ホテルのバイト? もしかしてスプリング・ヒルのか? ちょっと待て…… あれ? そうだ、確か俺は高校3年の時に事故に遭って…… 記憶が……」 「記憶が混乱しているようですね」 ドクターがクルっと振り返ってそう言った。 “矢野君の記憶が混乱してるのは、 目に見えて分かるじゃない! ドクターなら、もっと他に言う事ないの?!” 僕は鈍器で頭を殴られたような気持になっていた。 「そうそう、矢野君、高校生の時に事故に遭って……」 僕がそう言うと、 矢野君は顔をしかめて、 「そうだ、事故に遭って確か俺の記憶は……」 と何かを思い出したようだった。 僕はうん、うんと頷いて矢野君を見守っていると、 「高校生…… いや、違う、 俺は今大学に…… そうだ、今は大学生だ…… でも咲耶は?! 咲耶は何処にいるんだ?! 俺たちは何時か番になろうって約束したんだ! 何であいつがここにいないんだ!」 矢野君は、咲耶さんの事ばかり気にかけていた。 そんな矢野君をずっと見守っていた佐々木君が、 「お前、咲耶とは別れたことは思い出してないのか?」 と尋ねた。 矢野君は佐々木君を見上げると、 急に笑い出した。 「お前、俺を揶揄おうと思っても無理だぞ。 俺たちが別れるはずないじゃないか! 俺たちは誰にも邪魔されないほど愛し合ってるんだ。 何時か番おうと約束もしているんだ!」 と、彼とは未だに愛し合ってるような口ぶりをした。 確かに彼の記憶は混乱している。 僕は佐々木君を見た。 佐々木君も僕を見た。 そして佐々木君は矢野君をまた見ると、 「じゃあ、高校3年生の夏、 お前が事故に遭う前、 沖縄に居たことは覚えてるか?」 と、彼に尋ねた。 矢野君は少し顔を歪めると、 「沖縄になんて行ってない。 俺はずっと休みの時は咲耶と一緒に時間を過ごした。 もし俺が沖縄に行ったんだったら、 きっと咲耶も一緒に行ってるはずだ。 だが俺は覚えていない」 「事故に遭ったことは覚えてるんだよな」 矢野君は佐々木君を見ると、 「ああ、あの日は咲耶と会う約束をしていたんだ。 俺は早く咲耶に会いたくて、 時間より早く家を出たのが運の尽きだった。 待ち合わせの駅前で車に突っ込まれて……」 と、いかにもその記憶が確かなような口ぶりをした。 佐々木君は矢野君に食い掛るようにベッドに両手を突くと、 「お前はそこまで覚えていて、 何故肝心なことを忘れているんだ!」 と怒鳴って病室を出て行った。 矢野君は殆どの事を思い出している…… でも彼の記憶から僕の事はすっぽりと抜けていて、 その代わりに、咲耶さんがその位置に滑り込んでいた。

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