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第82話 証

僕を抱きしめた矢野君の体からは、 少しの戸惑いが感じられた。 それよりも急に抱きしめられた事に、 ”えっ? えっ? え~~~~っっっ! 何? 何? 何?! 今度は何事?!“ と、僕の方がびっくりだった。 まるで予期していなかった出来事…… 僕が戸惑っていると、 矢野君は息をハ~っと吐きだして深呼吸した。 「お前、ガチガチだな」 「え? だって……」 僕は棒のようにベンチに座って ただ矢野君に抱き着かれるままにしていた。 「お前って何だか懐かしい匂いがするな。 きっと前にもこの匂いを嗅いだんだろうな…… 俺自身は覚えていなくても、 体が覚えているって事なのかな……」 そしてゆっくりと僕の目を覗き込むと、 「お前のその目なんだ…… なぁ、何故お前は……いつもそんな目をして俺を見るんだ?!」 と言い始めた。 その言葉に僕はピクリとした。 身に覚えがあるからだ。 確かに矢野君の事は良くチラチラとみていたかもしれない。 でも矢野君が疑問に思う程だとは思いもしなかった。 ”え? まさか! 僕、変な目をして矢野君を見てた?!“ 僕の心臓が再び爆発しそうなほどに脈打ち始めた。 次に矢野君から何を言われるのか少し怖かった。 矢野君は僕を見ると、少し険しい顔つきになった。 「初めてお前を見た時から気になっていたんだ。 お前の事は思い出せないのに、 愁を帯びたお前の瞳が頭から離れないんだ…… 何故お前は俺の事をそんな目で見るんだ? 俺は以前、お前に何か酷いことをしたのか? だからお前は俺にあんな事を聞いたのか?!」 「え? あんな事……って……?」 「俺がお前の事を思い出せない理由だよ」 「いや……あれは物の例えで…… 矢野君は僕に酷いことなんて……逆に矢野君は……」 そこまで言った時、 僕の中の何かがプツリと切れてしまった。 “ダメだ。まだ泣くな! 矢野君の前では、まだ泣けない!” 具合の悪かった矢野君を助けに来たはずなのに、 気付けば僕が矢野君に支えてられていた。 流れ始めた涙は止まらなく、 そんな僕の肩を矢野君は優しく抱きしめていてくれた。 「確か前にも……お前ってこういう風に泣いたことあったよな?」 矢野君が何か思い出したようにしてそう言った。 「え? 何か思い出したの?」 矢野君は僕の質問には答えず、 「なあ、今日の講座は出なくちゃいけないものか?」 と訳の分からない質問をしてきた。 「え? 講座って僕の専学の?」 まだ乾ききらない目をして矢野君の顔を伺った。 「ああ、俺はこれから学生課に行って 休学扱いになってた籍を解除してくる。 その後一緒に帰ろう」 「え? 僕は良いけど、矢野君の授業は? 帰りにまた咲耶さんが来るんだよね?」 「咲耶には俺からラインしておく。 だから少しここで待っていてくれ。 直ぐにでも二人だけで話したいことがあるんだ。」 そう言って矢野君は立ち上がると、 足取り軽く走って行った。 僕は、矢野君を待つ間、周りを見回した。 “もし矢野君との再会がこの大学でだったら 僕の運命は変わっていたのだろうか?” 僕の目には、恋人らしき生徒たちが手をつなぎながら、 お互いの指を絡ませて楽しそうに会話しながら歩いて行く姿が映し出された。 もしここで矢野君に再開していたら僕達も…… 今更悔いてももう遅い。 僕は静かに矢野君を待つことにした。 時間がかかると思ったのに、 彼は思いのほか早くやって来た。 息を弾ませながら、 「待たせたな」 という姿は、急いで戻ってきたことを簡単に想像させる。 「ううん、早かったんだね。 もっと時間かかるかと思ってた……」 そう言うと、 「行くか?」 そう言って矢野君が僕に手を差し伸べた。 僕は矢野君の手を取ると、 サッとベンチから立ち上がりパンツの後ろを叩いた。 「これからどこへ行くの?」 そう尋ねると、 「お前の所に立寄ってもいいか?」 と、矢野君は僕の家を指定してきた。 「僕の所?」 「ああ、俺、一花大叔母さんが亡くなってから、 一度もあのコテージを訪れてないんだよ……」 「そうだったんだ…… 勿論大丈夫だよ。 何も無いけど……まだまだ花は綺麗に咲いてるよ。 あっ、自分の家だからそれは分かってるか……」 そう言うと、彼はクスっと小さく笑って、 「じゃあ、連れて行ってくれるか?」 そう言って歩き出した。 電車に取ると、家まではあっという間だった。 裏へ回ると、 「何もないけど……」 そう言って僕はコテージの玄関を開けた。 一歩中に入ると、 矢野君は懐かしそうに中を見回した。 「ここは変わってないんだな……」 僕も一緒に中を見回した。 「そうだね。 きっと茉莉花さんがちゃんと管理していたんだね。 引っ越してきたときも、 埃一つなかったんだよ。 ここは良いよね。 窓を開けると緑のインパクトが凄くって、 さらに花の匂いが柔らかく漂ってくるんだよね。 何だかファンタジーに出てくる森の中に居るようだよね」 そう言ってリビングの窓を開けた。 矢野君は窓の方に歩み寄ると、 目を閉じて外の空気を感じているようだった。 「懐かしいでしょう? 色々と見て回っても平気だよ」 僕がそう言うと、 矢野君は部屋の中を歩き回って僕の寝室の前に立つと、 「ここがお前の寝室か?」 と部屋の戸をコンコンと叩きながら尋ねた。 「うん、開けて中に入っても大丈夫だよ。 お茶だったら入れれるから、 ベッドの上にでも座ってゆっくりとくつろいで!」 そう言って僕はそそくさとキッチンへと向かった。 と言っても目と鼻先だけど…… 暫く矢野君の歩く足音がコツコツと聞こえていたけど、 それがピタっと止んだ。 “きっと窓を開けたんだな” 僕はヤカンに水を入れると、 コンロに火にかけた。 矢野君は相変わらず静かに僕の寝室にいた。 僕は矢野君は外の花を眺めて 一花大叔母さんを懐かしんでいるのだろうと思った。 矢野君が自分の部屋にいることが信じられなくて、 それでも嬉しくて、 僕は少し鼻歌を歌いながらお茶を入れた。 「矢野君、お茶が入ったよ」 少し上ずった声で自分の寝室へとお茶を運んだ。 すると矢野君は、窓を開けるどころか、 僕のクローゼットの前にたたずんでいた。 「どうしたの? そんなところにぼんやりと突っ立ったままで…… クローゼットに何か……」 そう言かけて僕は手に持っていたお盆を振り払って 矢野君の所に駆け寄って、彼が手に持っているものを取り上げようとした。 僕の声に気付き振り向いた矢野君は 言い表しようのない目をして僕を見た。 そして矢野君の手には 忘れられない夏の記憶が詰まったデジカメと、 あの日矢野君に貰った一花叔母さんのチョーカーが握りしめられていた。

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