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会社の人
午後17時。
終業の時間だが、まだ業務がいくつか残っていた。
「あ、キミ!後片付けと掃除を手伝ってくれる?」
そう言って、帰り支度を始めている派遣社員のオメガを呼び止めたのは、ベテラン社員の上沢知智 という女性だった。
物言いは厳しいが、仕事ぶりは勤勉そのもので指導もわかりやすく、新人あしらいも上手なので人望があり、「知智さん」と呼び慕われている。
派遣社員のオメガは確か、名前は「軽井沢 」と聞いていたはずだ。
「あ、すみませーん。僕、残業はしないんでえ。」
軽井沢があからさまにこちらをなめくさった態度で答える。
「残業っていったって、大して時間はかからないでしょ。」
「ええー、でも、僕はこれから予定あるし…」
「他の人はまだ動いてるのに、遊びの予定じゃないでしょうね⁈」
上沢さんが声を荒らげる。
「か、上沢さん…落ち着いて。俺たちがやるからさ。」
係長や他の社員が間に割って入る。
「そうでなくてもあなたは3ヶ月のうち1週間は休んでるんだから、普段は人一倍働くべきじゃないの?」
知智さんの言葉に、軽井沢がわざとらしく辛そうな顔をしてうなだれた。
「酷い……!僕、派遣なんで、残業できない契約なんです…でも、せめて、就業時間内は僕なりに一生懸命やってるつもりなんですけど……」
軽井沢は握り拳を顎に当てて、上目遣いで社員たちに目配せしてきた。
いかにも「ぶりっ子」という表現がぴったりなポージングだ。
可愛いと思っているのだろうか。
「あー…そうだよね、オメガがどうとか、関係ないよね。」
円の2つ上先輩の小市 さんがフォローに入る。
「そうですよ。後片付けくらい、ボクもやりますから。」
知智さんの怒りがこれ以上大きくなるのを止めるように、円も割って入り込んだ。
揉め事はごめんだ。
「ほら、みんなしてそうやって甘やかす!」
知智さんの声が大きくなる。
「まあまあ、私もやるから。キミはもう帰っていいよ。」
係長の日並 さんが、軽井沢に帰るよう促してくる。
さすがに上司が出てくると、知智さんも黙るしかない。
それを好機と見たのか、軽井沢は申し訳程度に会釈して、そそくさとオフィスから出て行く。
そして、振り返りざまに円の方を見てフッと笑った。
普通ならムッとするところだが、まあ無理もないか、と円は妙に落ち着いていた。
向こうは髪も服も靴も、みんなオシャレでキレイに整えている。
眉や爪まで手入れしている徹底ぶりだ。
きっと、見栄えの良い料理やブランド物のバッグなんかをSNSに頻繁にアップしているタイプだろう。
対して円は首にタオルを巻いていて、髪はボサボサ、マスクに大きな黒縁メガネという野暮ったい格好で仕事に臨んでいる。
向こうが見下すには充分な理由だろう。
きっと影で「何アレ、ダッサーい。」と笑っているに違いない、と円は踏んでいた。
「知智さん、軽井沢さんには何言ってもムダですよお。一生懸命やってるとか口では言ってるけど、普段の仕事もすっごいテキトーですよ、あの人。」
後片付けを終えた後、円より5つ下の後輩の清水明美 が、知智さんを宥めるように話しかけてきた。
髪を明るい色に染め、派手なメイクとネイルが人の目を引くような、いかにも「ギャル」といった風体の若い女性社員だ。
入社してまだ1年ながら仕事ぶりは丁寧で、愛想がいいから別の部署の人からも評判がよく、「ケミーちゃん」と呼ばれて可愛がられている。
「それは言えてるかー。あの子、絶対に長続きしないわね。もう何も言わない方がいいかしら。ホント、若い子がみーんなケミーちゃんやトミーくんみたいに真面目に頑張ってくれる子ならありがたいんだけどねえ。」
知智さんがはーっと大きなため息を吐く。
「辞めるとしたら、退職理由は何でしょうね?」
メガネとマスクの位置を直しながら、円は知智さんに尋ねてみた。
「やっぱ寿退社でしょ。のん気なもんね。結婚したからって将来安泰とは限らないのに…」
──知智さんの言う通りだと思う。
アイツは絶対に「さっさとステキなアルファ見つけて、めざせ寿退社!その後は楽しく華やかに暮らすぞ~」なんて甘いこと考えてるクチだ。
いるよね、そういうの。
少数しかいない、というただそれだけで「自分は特別」と信じて疑わず、ベータの人たちを見下してるバカなオメガ。
きっと軽井沢はハイスペックなアルファ探しに必死で、今ごろは婚活パーティか合コンに参加してるんだろう。
熱心とはいえない仕事ぶりから察するに、相手を見つけたらさっさと辞めるつもりかもしれない。
復職することなど微塵も考えてもいないだろう。
マジで笑える。
きっと彼は「結婚相手に求める条件は?」と聞かれたら、こう言ってるんだろう。
「金持ち!イケメン!優しい人!オメガに生まれたからには、たった1人の運命の番と添い遂げたい!!」
なーんて。
バカじゃないか?
「運命の番」なんてそんな都市伝説、ガチで信じてるワケ?
きっと知智さんのことも、ケミーちゃんのことも、ボクのことも見下しているんだろう。
つくづく思う。
ああいうヤツって、番になったアルファに捨てられたり、先に死なれたらどう生きていくんだろう?
そのときに子どもがいて、まだ小さかったら?
親もアテにならなかったら?
再婚相手を探す?
歳食ったコブつきのオメガと好き好んで結婚してくれる人、そう簡単に見つかるの?
養ってくれる人はもういない。
オメガに就ける仕事なんて限られてる。
まともに仕事してこなかったから、これといった経験や技能や資格も無い。
そうなったら、どう生きていくワケ?
円は内心舌打ちしつ、バッグから手帳を出した。
壁にかかっている時計を見やると、18時15分。
ああ、いけない。
発情期が近づいている。
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