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過去

街を歩く外套姿にうっすらと初雪の降る頃。青みがかった一本縛りの長髪に狐目とピアスの男が一人。頬には刺青があり、口元には黒子があった。彼、何でも屋の篠崎宗旦(しのざきそうたん)に舞い込んだ依頼は「敵対社の重役に気に入られること」だった。ゆくゆくはスパイとして情報を引っ張ってきたり、重役をこちら側に引き摺り込んだりしたい…らしい。 長期的な依頼になりそうだし安定した収入が得られそうだと思った篠崎は、しばらく考えたのちに依頼を受けた。 「今回の目標は七緒洋介…さん…ほーん。さ〜て七緒さんの好きなモンは〜っと…」 依頼人から渡されていた資料を広げて見る。 「酒…とくにワイン…ね。」 別の資料を見ると七緒の今月の予定が載っていた。 「…ん、ワインパーティーなんて開くんや。とっつきやすそうやな」 「これにしよー」と赤ペンで丸をつけ、段取りを考える。 (話のきっかけはワインで決まりやけどウチはそんなようさん飲める方やないしなあ…味の話は勉強してけばいいとして…本番で酔ってしもうたら話にならへんし…どうしたもんか…) ふむ、と考えてピンと頭に一人の顔が浮かんだ。 (せや、手伝ってもらお) 夕暮れ。白い息を吐きながら篠崎は待ち合わせに向かう。 「かーんぞぉ!お待たせな〜」 「…おう、篠崎。」 短めの赤茶の髪を一つに纏め、着慣れない洋服に身を包んだ男、朝食漢三(あさばみかんぞう)が視線だけを向けて挨拶を返してくれた。 「久しぶりだな」 「…ん、うん」 「今日は仕事ってことでいいんだな?」 「ん、そうやよ」 「そうか。…行くぞ」 「ん、ちょいまち、ネクタイが歪んどる」 「いいよそんなの」 「あかん」 「…」 しゅる、と慣れた手つきでネクタイが結ばれて喉元にきゅ、と添えられる。 「…ん、かっこええ。似合うなぁ、漢三。」 「そうかい」 にこっと微笑まれた漢三はふいと顔を背けた。 七緒主催のワインパーティー。その会場に着き扉を潜ると、そこにはきらきらと光るシャンデリア。広い屋内にはテーブルクロスのかけられた丸テーブルが均等に並んでおり、その上には所狭しと高そうな料理が並べられていた。 「わーお…」 「…おい篠崎…俺こんなの初めてなんだけど…」 いつもはどっしりと構えている漢三が珍しくたじろいでいると、篠崎がふっと微笑んだ。 「大丈夫、ウチの言った通りにしてや」 「大丈夫って言ったのはどこのどいつだよ…なぁオイ…!」 漢三が額に青筋を浮かべて呟いた。 「やや!うちかて想定外やってん!!」 ギチ、と二人の手首を縄が縛り上げていた。 背中合わせにお互いの手首を縛られているから身動きが取れない。 「鼠かと思ったら狐と狼とはねえ?小賢しいマネして捕まってりゃざまぁねぇな」 「七緒…」 カツカツと歩いてきた細身の影が二人の目の前にあるソファに腰掛ける。 口に加えた煙管をくゆらせ、ふーっと煙を吐く。その煙は狐の形をして篠崎の目の前まできて…かき消えた。 「クソッ匂いで気付いていれば…!」 漢三が怒りを露わに口にすると七緒がそれを鼻で笑った。 「バーカ。俺がそんな簡単に尻尾掴ませるかよ」 「漢三の鼻ですら騙すなんて、どんな香水使うてんのや七緒サン?ウチにも教えてやぁ」 目を細めて笑いながら篠崎が聞く。七緒は見下ろしながら答えた。 「フン、お前も九尾になれば分かるさ。ま、何年かかるか知らねえがな」 「ほぉ……いや〜!それにしたって七緒サンがウチと同じ狐の妖だなんてなあ?なんて偶然なんやろか?なな、いっそ仲良ぅせぇへん?」 「野狐と九尾を一緒にするな。俺は俺より下の奴と馴れ合う気はないね」 「つれないのぅ…」 しょんぼりと篠崎は肩を落とした。 「それより俺はアンタの髪の色が気になってるんだが?」 「んぇ?」 七緒が篠崎の前にしゃがみ込んで長い髪を一束掬った。光に透かして見ると暗めの色だが青くきらきらと光る。 「なんでこんな色にしたんだ。お前ぐらいの妖力ならもっと人に馴染む色に出来るだろう」 「…どうでもええやろそんなん」 漢三も気になっていたのか耳をそばだてていたが、篠崎は答えるつもりはないようだった。 「けっ。どうせ元の毛色が青なんだろ?化けの皮剥がして見りゃ分かるさ」 七緒がパチンと指を鳴らした。 「ちょ、待っ!」 篠崎の静止も無意味に、七緒の妖術が篠崎の術を解いていく。 色濃い妖力に視界が遮られ、漢三にはすぐそばにいる篠崎の姿が見えなかったが、篠崎からはぴょこっと金色の狐の耳と尻尾が生え、頬からは長いひげが生えた。 「はは、どうせならどんな顔してんのか見てやろうか」 七緒が再度指を鳴らすと篠崎の至る所からふわふわとした金の毛が生えて… 「おっと戻しすぎると縄が外れるか…」 ピッと七緒が指を弾くとその場に充満していた妖力が七緒に戻る。 「さあて」 見えてきたのは人型をした金の狐だった。嫌そうに眉間に皺を寄せてグルルル…と唸る。 「……」 七緒は己のあごに指を添えて暫く思考した後、口を開いた。 「…ははーん…お前、篠崎狐と宗旦狐んとこのガキだろ」 「…っなんでそれを…!」 「…?」 聞き慣れているが懐かしい名前を口にした七緒に篠崎は驚く。漢三はなんのことか分からずに怪訝な顔をした。 「へぇ。アンタ母親そっくりだわ。目の色から金の毛、模様まで似てる。生き写しだな」 「…」 「ああなるほど、父親の色に似せたから青い髪してんのか。なんて分かりやすい奴」 ぶはっと笑い出した七緒に篠崎は俯いてぎりぎりと歯を鳴らした。 「あは!今思い出しても笑えるわ。ガキ一匹残して揃って神格化したらしいじゃねえか。お前も災難だったな!」 「…っ」 「捨てられてさぞかし寂しかっただろう?そうだよなあ、未練がましくそんな格好して。髪を見て毎日父親を思い出してたのか?おとーさんおかーさんボクを見てーってか?」 「黙れ!!!」 吠えるように篠崎が放って、何も続けられずにギリ…と歯を食いしばった。 「言い返せないんじゃ図星だったんだろうな」 ハッと鼻で笑って七緒が踵を返す。 「記憶消して外に転がしとけ。どうせなんの損害にもならん」 「はい」 七緒が部屋から出ていき、彼の妖術が途絶えた。 七緒の後ろに控えていた黒づくめ達が薬剤の染み込んだ脱脂綿を片手に近づいてくる。 顔に当てられる寸前、漢三は術を解いて狼に戻り黒づくめの腕に噛み付いた。 ガアッとそのまま黒づくめを押し倒して部屋の中を駆け回る。 「そっちだ!」 「あっちへ行った!」 「落ち着け!」 グルグルと速度を上げて部屋を荒らしまわり、篠崎が狐に戻ったのを確認して篠崎の首を咥えて窓を割って逃げ出した。 トトト、と逃げ切った狼が速度を落とし草藪に入る。 ぽとりと口を離し狐を落とした。 「…篠崎…?」 「…」 俯いていて狐の顔は見えない。尻尾はへたりと萎んでいて、落ち込んでいるのを表していた。 漢三は鼻先で篠崎の背中を撫で、ぺろ、と毛繕いをしてやる。 「…構わんといてや」 「…すまん」 左の前足でグイと鼻先を押しやられて漢三は大人しく引き下がった。 「…わるい、おまんは悪くないのにな」 「いや…」 「今日は帰るわ。ごめんな、迷惑かけて」 「あ…」 気にするな、と言う前に篠崎はタッと走っていってしまった。 (そうかあいつ、自分の名前は親から取ってきてたのか) 取り残された漢三は帰路に着きながら妖になりたての頃を思い出していた。獣の頃からの付き合いだった彼らは妖になり人の言葉を理解するのがほぼ同じ頃だった。言葉を話せるように二匹でたくさん練習をして、寺子屋を覗きに行ったりして字を読んだ。地面に棒で文字を書いては読めないとぶーたれたり、発音が難しくて舌を噛んだり。 そんな中、篠崎はずっと同じ漢字を幾度も練習していた。 人に化けられるようになった頃、先輩の妖から『初めは赤ん坊に化けなさい。そうすれば人の形振りが分かりますよ』と教えられて二人で赤ん坊に化けて拾われるのを待った。その時に篠崎はおくるみの中に手紙を入れていたのを覚えている。 漢三は拾ってくれた里親に名をもらった。漢三という名は男らしくて気に入っている。篠崎は、里親に付けてもらった名ではなかったのだな、と今更ながらに気づいたのだった。 それに親に捨てられたなんて聞いたことなかったのに… どうして言ってくれなかったんだろうか。…やっぱり俺じゃ力になれないんだろうか。 考え事をしていれば時は早く過ぎて、結構な道のりであったにも関わらず、さほど疲れる事なく家に着いた。こういう時には帰巣本能に救われる。篠崎はきちんと家に着けたのだろうか、と心配しつつ、がらがらと戸を閉めた。 一方その頃、何でも屋の住む洋館では、がちゃりとドアが開き狐が帰ってきていた。 ぱたん、と後ろ手にドアを閉めた篠崎は人に化けていて、洋服がシワになる事も厭わずにその場にしゃがみ込んで顔を覆った。 ぐず…と鼻をすすり膝を抱え込む。暫くそうしていたと思うと、徐に立ち上がりふらふらと夜の街に出て行った。 「やだぁそーたんってばぁ」 数並ぶキャバレーの中から特に考えずに店を選び女の子を指名した。内容も考えずに作り話をぺらぺらと喋れば彼女たちはけらけらと笑ってくれる。 「な、今夜おまえさん買うてもええかね?」 「あたしを買おうっての?…うふふ、うそ。いいわよ」 話をまとめて彼女の腰を抱いて店を出る。 近場のホテルでしけこんだ。 「じゃあね、宗さん。またお店に来てね」 「ん、またなー」 布団の中からヒラヒラと手を振り、ドアが閉まった音を聞いてまた布団に潜る。 「宗さん…か」 懐かしい呼ばれ方をして、篠崎は人に化けて17になった頃の事を思い返した。 あれはまだ里親と一緒に住んでいた頃。今とは違う、遠い遠い町でのこと。 「宗さん!見て、お父様が買ってくださったの」 「わぁ、綺麗やねぇ。この薄紅の花飾り、鶴によう似合うとるよ」 「ふふ!でしょう?」 「鶴は何着ても似合うけどな」 「まぁ…!やだわ、宗さんったら」 ふふふ、と笑って隣を歩くおさげの女の子、鶴は篠崎宗旦の交際相手である。 14だった鶴が15だった宗旦を見初めて追いかけた。 圧に押されて交際を決めた宗旦だったが、次第に鶴のことが好きになっていた。 そんな折、鶴から内緒話、と自室で話されたことがある。 「…あのね、宗さん。私、あなたと結婚したいわ。でもうちは医者だから見合いの人としなさいって父さん達は反対するの…だからね…」 子を成したい。そう言われて、篠崎は悩んだ末に行為に及んだ。 一度垣根を超えてしまえば次からはなし崩しで。 しかし何度身体を重ねても鶴に子ができることはなかった。 「宗さん…っごめんなさい…っわたし、わたし…っ…どうして……っわたしが、わたしの身体が悪いのかもしれないわ…!」 そうよ、私が悪いんだわ、無理に婚約しようなんてしたから…! そう言って泣き崩れる鶴を抱き止めながら、宗旦は分かってしまっていた。 (ウチが狐やから子ができひんのやろうなあ…) 狐の妖と人間、元から異種なのだから子ができるわけなど無いのである。つまり鶴と結婚など出来ない。この先一生、人と交わったとて、人との間に愛しい子を設けることはできないのである。それを悟ってしまったから、宗旦は鶴に別れを告げた。 「もう付き合っておれん。ウチには今後一切かかわらんといて」 トン、と胸を突き放して鶴を引き剥がした。ショックで呆ける鶴を顧みることなくその場を去った。 その後暫く、町行く人の間では篠崎宗旦は町医者の娘をたぶらかして捨てたのだと噂が流れ、後ろ指を指されながら里親の家から出て今の街に一人で来た。 里親は宗旦はそんな事をする子じゃないと笑って言ってくれたし、宗旦が出て行くと言った時は引き留めた。しかし元から他所者なのに、これ以上世話になった家に迷惑をかけられないと言って宗旦は家を出たのだった。 「鶴…元気かのぅ」 もぞ、と温もりの残った布団の中で裸を暖めた。 (まあ、もうウチには関係のない事や) 関わりたくても関われない、関わってはいけないからと忘れていた事が、簡単な事で蘇った。 寂しさを埋めるために女を抱いたのに、また寂しくなってしまった。 (もう一人引っ掛けてくるか…) 勃つかどうかなんてどうでもよくて、人肌が恋しくてまた支度をして色恋の街に身を溶け込ませた。

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