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第6話

「今度こそ殴っていいよな!?」 「いや、それはちょっと、さ、櫻井君落ち着いて、」 「美鳥もこう言ってることだし、落ち着け。な?」 「お前が言うな!」 振り上げた拳を美鳥に掴まれ、ならば蹴りあげてやろうと足を振り上げた瞬間、 「……ごほん。」 準備室に響く咳払い。 わざとらしく発せられたそれに、俺も木崎も条件反射で口を噤んだ。一瞬にして室内は静寂に包まれる。 俺を含め、三人分の視線が一人の存在に集まった。 「……木崎ちゃんさぁ、入寮手続きに関しては僕は手伝えないって言ったよね?」 一人のんびりとカフェオレの入ったマグカップを傾ける晃は、にっこりと木崎に笑いかける。 ゾクリと思わず身震いした。 口元は弧を描いて、けれど目元は一切笑っていない。 あー、怒ってる。間違いなく、俺以上に怒ってる。 「二人一部屋なんだよ?部活動とか生活スタイルとか、生徒達の情報確認して相手を決めるんだから僕じゃどうしようもないって……言ったよね?」 「はい。いや、ほんと、すいませんでした。」 笑顔の圧ほど怖いものはない。 木崎も藍原晃という人間をわかっているのだろう。素直にデスクに手をついて頭を下げる。 俺じゃなくて、晃に。 こいつ、いつか絶対殴る。ぎゅっと握った拳は、けれどそのまま下ろした。俺だってこれ以上晃を怒らせたらどうなるか位わかっているから、大人しく椅子に座りなおしてやる。 「で、僕と美鳥君呼んだってことはそういう事でしょ?」 「仰る通りです。はい。」 晃と木崎の会話に、俺はついていけずに首を傾げる。隣を見れば、美鳥も同じように首を捻っていた。 「あー、つまりね。今二年生で木崎ちゃんが融通をきかせられる受け持ちの生徒かつ、寮の部屋を独り占めしてるのが僕と美鳥君の二人ってこと。」 「ああ、どっちかの部屋に行けってことか。」 ようやく話が見えたが……まぁ、なんとも安直な解決法だことで。 こんな状況でなければ文句の一つも言ってやりたいところだが、現状それが一番手っ取り早いのは間違いない。 しかし同時に浮かぶ疑問も当然出てくるわけで。 「なんでお前達はそれぞれ二人部屋一人で独占してるんだ?」 基本二人一組。生徒数が奇数ならまだしも、独占してる人間が二人いると言うのも妙な話だが、 「僕が特待生で、美鳥君が転校生だからだよ。」 「あー、そう言えばそんな事言ってたな。」 こいつの頭の良さはよく知っているし、去年互いの高校に合格した報告をしあった時に確かにそんな話を聞いた気がする。 寮の消灯時間を無視して頻繁に俺と長電話が出来ていたのも納得だ。 美鳥も転校してきたばかりだという話を、そういえば今朝聞いたような気はするが…… チラリと視線を移せば、目が合った美鳥にニコリと微笑まれた。 湧いた疑問は、今は聞くべきじゃないか。 言いかけた言葉を、コーヒーと共に流し込む。 「とにかくだ。寮母さん待ってるから早急に決めろ。な?」 木崎の言う通り今は急ぎの状況だ。他の話をしている場合じゃない。 そして決めろと言われれば、答えは最初から決まっている。 俺は深くため息をついてから、美鳥の方に向き直った。 「美鳥、お前の部屋に行っていいか?」 「え?もちろんいいけど……いい、の?」 説明はしていないが晃と俺が初対面じゃない事くらい今までのやり取りでわかっているはず。美鳥が意外そうな反応をしたのは当然だろう。 口には出していないが木崎も似たような表情をうかべている。 けれど、俺にとっては当たり前の選択だった。要は消去法だ。 「すぐ荷物移さないといけないんだろ?晃の部屋が片付いてるとは思えない。」 「うっ、」 チラリと横目で晃を見れば、案の定声を詰まらせる。 こいつ、漫画から文芸作品まで手当り次第読み耽る活字中毒者な上に飽き性ときたもんだ。 読みかけの本が床に積み上げられている光景は昔から何度も目にしている。 しかし、最大の理由はそこじゃない。 「それに……俺はばったり遭遇なんて事はごめんなんでね。」 面と向かって言ってやれば、晃の視線が泳いだ。 「あー、はは、いや、まっさかぁ。そんな事あるわけないじゃん。」 胡散臭い乾いた笑いに首を傾げたのは美鳥だけだった。 木崎がふいと視線を反らせたところを見ると、ありえないどころかさてはこいつ前科持ちだな。 全寮制なんて環境で晃がそういう相手を作らないわけがない。幼少からの付き合いだ、こいつの性的指向くらい把握も理解もしている。 まぁ、相手がコロコロ変わる点については理解しかねるが。 「とにかくそういう訳なんで。美鳥の部屋は片付いてるか?」 「あ、うん。一部屋は全く使ってない状態だけど…」 「じゃ、決まりだね。美鳥君、色をよろしく〜。」 先程までの話を誤魔化すように晃は勢いよく椅子から立ち上がると、俺と美鳥の間に入り俺たちの肩をぽんぽんと叩く。 ニヤニヤ顔を見る限り、どうやら晃の思惑通りに事は運んだらしい。 「美鳥君に部屋の鍵開けてもらって、早速荷物を運んどいでよ。」 「そこで手伝うって発想はないわけか。」 俺の嫌味に晃は全力で首を縦に振る。 「ない。だいたい、そんなに荷物多いの?服と日用品くらいでしょ?」 家具とある程度の家電は完備されているので基本は身一つで入寮できる。なんて、晃から送られてきていた彩華のパンフレットに書いてあったので自分的には最小限の荷物で済ませたつもりなのだが…… 「ん、電子ピアノ一台とキーボード一台だろ。あとはミキサーと編集用のパソコン二台……」 配送を頼んだ荷物を指折り思い起こしてみたのだが、口にするたび木崎は頭を抱え、美鳥はぽかんと口を開け、晃にいたって口の端を引きつらせている。 必要最低限……なんだが…… 「そりゃ寮母さん怒るよ!入寮拒否レベルだよ!!そんな大荷物宅急便で送ったの!?」 「まさか。引越し業者に頼んだ。」 「業者!?あの馬鹿でかい自宅とは違うんだよ!?」 「という事は今寮の前でトラックと業者さんが待ってる、のかな。」 「えっと……なんか、まずかったか?」 晃と美鳥の視線が突き刺さる中、準備室の内線がFの音程で鳴り響いた。 「はい、数学準備…あ、はい。あ、今決まったんで、いや、本当ご迷惑おかけします。」 受話器片手にヘコヘコと頭を下げる木崎までもがぎっ、とこちらを睨みつけ、まさに四面楚歌なわけで。 受話器を押えてしっしと手のひらで払われれば、席を立つしかなかった。 「ほら、さっさと謝罪と手伝いに行く!」 木崎の謝罪の声を背後に聞きながら、俺と美鳥は怒り狂う晃に蹴り飛ばされ、数学準備室を追い出されたのだった。

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