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第10話

昨日知りあったばかりの、ただのクラスメイト。それだけだ。それだけだったはずだ。 それなのに、なんなんだコイツは。なんでこんなにも俺の心臓をぐちゃぐちゃに掻き乱してくる? 眉間にしわ寄せて、苦しそうな顔して。なんで、そんな顔で笑ってる? 「こんな所にいていいわけないだろ!そんだけ努力して、そんだけ人を魅せる力があって。もっと才能を磨ける環境で、もっと見合う評価を貰うべきだろ!?」 俺の声は思いのほかリンクに響いて、周りにいた人間の視線が俺達に向けられたが、そんな事構うもんか。 イライラする。 あんなもの見せられて、あんな話聞かされて。なんで美鳥も周りも平然としていられる? 美鳥の腕を掴むその手に思わず力が入った。 髪と同じく色素の薄い亜麻色の瞳がまん丸に見開かれる。 「あの、えっと…」 「はいはい。色、そこまでだよ。」 俺の手に晃の手が重ねられる。少しは冷静になれと諭されれば、力を込めたその手は離すしかなかった。 それでも渦巻く感情は消せず、結果美鳥を思いっきり睨みつけることになってしまった。 反応に困り視線をさまよわせる美鳥との間に明らかに気まずい空気が流れる。 まぁ、それも一瞬の事だったが。 「ばか。」 「な、」 晃に横から肘でつつかれる。不意をつかれてよろけた俺の足を晃はとどめと言わんばかりに踏みつけてきた。 「って、」 「ごめんね、美鳥君。人でも殺しそうな怖い顔してるけどさ、要は感動した!こんな田舎で人知れず滑ってるなんて勿体ない!って言いたいだけだから。」 両手を組み、彼方を見つめ、そのオーバーアクションはもしかしなくても俺の本心だとでも言いたいのかこいつは。 「お前何勝手に、ぐっ、げほっ、」 今度は脇腹に綺麗に肘鉄をキメられる。 むせ返る俺を、晃は完全に無視した。 「今のはどう聞いてもそういう事っしょ?ね、美鳥君。」 美鳥に向かってウインクひとつ。 俺たち二人に視線を巡らせ、まん丸に見開かれていた瞳がようやく細められた。 「……ありがとう。そんな風に怒ってもらえたの初めてかも。」 くすくすと漏れる笑みは、それでも昨日何度となく目にした柔らかい笑みとは程遠い。 「気に触ったらごめんね。もしかして去年怪我したって事が関係してる?」 晃の問いかけに、美鳥は首を横に振る。 「違うんだ。あれはマスコミの人達が憶測で言ってるだけで、本当は怪我なんてしてないんだ。」 「じゃあ、なんで…」 「ここに来たのは僕のわがままなんだ。」 そんな説明で納得なんてできるはずもなかった。俺の眉間のしわは絶対深さを増したと思う。 美鳥も言葉を探しあぐねているようだった。 「どう説明していいのか難しいんだけど……今、このままスケートを続けるかどうか悩んでいて。だから、そんな半端な気持ちのまま今までの環境で周りの人達を巻き込む訳にはいかないって思って。」 「……自分で、ここに来たって事か?」 こくりと頷く美鳥に、俺も晃もかける言葉を失った。 恵まれた環境を自ら捨てて、それでも毎日こうしてスケートを続けている。 スケートが好きなのに、自由に滑れない環境に身を置くなんて矛盾。それを理解するには、おそらく俺達には知識も距離も足りていないんだろう。 今ここで腕を掴んで、睨みつけて、聞くような話じゃないことだけはわかった。 「……悪かったな、練習中に。」 「あの、うまく説明できなくてごめんね。でも、その……気にかけてくれてありがとう。」 また、苦しそうな顔をして笑った。 練習に戻るねと滑っていったその後ろ姿を、俺も晃も無言で見つめることしか出来なかった。 「わかったような、何もわかってないような。だね。」 「ああ。」 本人が望んでの事。だったらこれ以上外野がとやかく言うことじゃない。 わかっているのにいまだ胸の片隅に引っかかっている何か。 イライラする。 ああ、くそ。とにかく今は思いっきり―― 「帰る。」 ぽつりと呟くより早く、俺は踵を返していた。 「は?いや、次のバスまでまだ…」 「タクシー拾う。とにかく俺は帰る。」 「あ、ずるい!」 騒ぐ晃は無視して、外に向かう俺の歩調は知らぬうちに速度を上げていく。 訳の分からない感情をぶつける術なんて、俺には一つしかない。 とにかく今は、今すぐ、弾きたかった。 「第二音楽室なら使えると思うよ!木崎ちゃんに連絡しとくから、鍵借りに行きなよー!」 遠くで叫ぶ察しのよい友人に片手を振って答えてから、俺は駅をめざして走り出していた。

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