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第32話 緋色の襦袢

僕は涙を拭くこともせずに頬を濡らしたまま庭を歩いていた。 着ているのは緋色の長襦袢だけだった。着物の場合下は何も付けさせてくれない。 ここでの生活は想像していた以上に酷いものになりそうでため息が出た。 「はぁ…僕この先大丈夫かな。なんなんだよこの服…趣味悪…」 1週間ほど一緒に過ごしてみてわかったことだが、六条の性癖は相当歪んでいそうだった。 僕に女の格好をさせて抱くのが好みのようで、和洋かなりの数の女性物の服が用意されていた。 同性愛者だって言ってたくせに、女装趣味?随分と倒錯している。 それにあの子どもたち…なんだか怯えたような顔で、僕に縋ってくるような目を向けてくる。 母親代わりっていったって、あんな大きな子どもどうしたらいいかわからないよ。 僕はもう逃げ出したくなっていた。 それでも、ここから通うようになっただけで普段通りクリニックには出ている。 今日は水曜日で休診だからこの家にいるのだ。 水曜日…少し前まで待ち遠しかった日。 東郷に許嫁がいたと知り、女にもなれないのに男に抱かれる自分の存在意義を改めて見失った。 そこにこの縁談が舞い込み、もしかしたら僕自身が必要とされているのかもしれないとやって来た結果がこの女装趣味だ。 結局女にも男にもなれない自分は一体なんなんだろう? 本当に必要とされたい人に、僕は必要とされない…。 僕のちっぽけな自尊心はいとも簡単に黒い波に攫われて見えなくなった。 必死で自分を維持しようと、惨めな気持ちを忘れようとしてこれまで数々の男たちとセックスしてきた。 そんな日々を振り切ろうと思ってあがいたつもりだったけど、結局最悪の形でおかしな相手に養子縁組されることになるのか。 ふと庭の外を見ると低い板塀の向こうに男が立っていた。 逆光で顔が見えない。 しかしその声は聞き間違えようがなかった。 「西園寺!」 「東郷…?」 なんでこんなところに…? 「この間は本当に悪かった。許してくれ」 「それを言いに?でもどうしてここが…?」 「蒼井さんに聞いたんだ」 健ちゃん…。ここに居ることは誰にも教えないでって言ったのに。 「西園寺。お前には俺がいないとダメなんだって勝手に思い込んでたんだ。だからお前からもう会わないって言われて混乱してあんなことまでして…すまなかった。気が済むまで殴ってくれて構わない。だからこんなことはもうやめて帰ってきてくれ」 「帰る…?」 帰るってどこに?帰る場所なんて無い。 「東郷、もう怒ってないから。わざわざ言いに来てくれてありがとう。それじゃあ」 「麗華とは結婚しない」 「え?」 「婚約は破棄した。もう決定してる」 「はぁ?なに言ってるの…?」 「だから俺と行こう。こんなところに置いておけない、一緒に来い。さあ」 婚約を破棄しただ? 何言ってるんだこの男。 呆然としていたら手が伸びてきて、手首を掴まれた。 目を見つめられ、視線をそらせなくなる。 好きだ。僕はどうしようもなくこの男が好き。 澄んだ目で見つめられると、自分の全てを丸裸にされたように感じる。 どんなに自分の欲求が外に溢れないように気をつけていても、まるで意味がなかった。 自分を欺けないように、この気持は東郷にも筒抜けだろうと思った。 自然とキスを受けそうになってハッとして手で遮る。 ここをどこだと思ってるんだ。 「やめて」 「西園寺、頼む。とにかくここを一旦出よう。それからどうするかは考える時間をあげるから」 「東郷。もう決まったことなんだ」 父の顔が頭を過ぎった。 そうだ、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。 たとえ夫になる男がおかしな人間だとしても。 「おい、西園寺その手首…」 指摘されて気づいた。昨日縛られたときの跡が擦過傷になっていた。 サッと手で覆い隠す。 「あ、僕が酷くしてって言ったの。知ってるでしょう。強めにされるのが好きだって」 「西園寺…」 「だから、上手くやってるから。もう気にしないで、ここには来ないで」 僕が背を向けたときちょうど家の方から僕を呼ぶ六条の声がした。 「じゃあ、もう行くね」 「おい!!西園寺!」 名前を呼び続けられたけど振り返らず屋内に駆け込んだ。

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