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第2章ー第30話 トンネルを抜けて

 澤井はじっとしていた。ダメだったのだろうか――?   固唾を飲んで黙り込むと、彼は田口ではなく保住を見た。 「少々乱暴だ」 「そうでしょうか。斬新でいいと思いますが」  保住はそのままの姿勢で、微笑を浮かべる。それから澤井は田口に視線を戻した。 「リスクの計算が甘い。もう少し詰めろ」 「はい」 「そして、出演者の選定も曖昧だ。もっと具体策を持ってこい」 「はい」  そう言うと、企画書を乱暴に掴み上げて田口に差し出した。 「話は終わりだ」 「え?」  ――どういうこと?  思わず突き返された企画書を受け取ってから目を瞬かせて「理解できない」と保住を見る。そんな田口の戸惑いなど、まるで無視なのか。軽く笑い、そのまま身体を起こした保住は、踵を返した。 「失礼します」 「えっと、あの。係長? えっと。失礼します」  さっさと澤井の部屋を出て行く保住を追いつつ、澤井にぺこりを頭を下げて、廊下に転がり出た。そして扉を閉めてから、保住の腕を捕まえた。 「待ってください! 係長」  思わず捕まえたその腕は細くて、一瞬戸惑う。 「なんだ」 「あの。意味がわかりません」 「意味って?」 「おれのプレゼンはどうだったんでしょうか? 良かったのか、悪かったのか……」  田口に腕を掴まれたまま、保住はくるりと振り返る。一気に間合いが詰まって、彼が近く感じられた。 「合格ってことだ」 「でも」  ――ダメ出しばっかりじゃ……。 「話にならなければ、あの人はプレゼンを最後まで聞かない。お前はまずやり切ることができた。それが第一段階クリア」 「はあ……」 「そして次。改善点を数か所指摘されただけ。ということはコンセプト自体はOK。そのまま進めろということだ」 「えっと……」  ――つまりは。この企画を進めていいっていうことは……。  そこで初めてじわじわと嬉しさが込み上げてくる。  初めてだ。まともに仕事ができた気持ちになるのは。田口はもう片方の保住の腕を掴まえると、両手でブンブンと上下に握手をして喜びを表した。 「やった! やりました! 係長!」 「お、おい……」  田口の声は妙に響く。廊下中に反響して、谷口たちまで顔を出した。 「な、なんだ?」 「田口、うるさいぞ」 「終わったのか」 「お前ら、静かに……」  注意をしに出てきた佐久間ですら、大喜びで大騒ぎになっている田口を見て苦笑する。二人の様子を見て、事のしだいを理解したのだろう。 「そうか。良かったな」 「嬉しいです!!」  田口の素直な喜びは、周囲を幸せな気持ちにさせる。そこにいるみんなが、なんだか胸がほっこりと温かくなるのを覚えていた。 ***  特に保住はそう思った。素直で真っ直ぐ。叩いても叩いても、折れない田口の気質。育て甲斐がある。  ――部下として。  いや、人間的に「いい奴」だ。こんな人間、出会ったことがない。  今まで、覚えたことがないような気持ちに戸惑いながらも、握られた手の温もりを味わった。  昨晩の澤井との邂逅が頭から離れずに、モヤモヤとした気持ちを抱えていたはずだったのに、田口はそれを吹き飛ばしてくれる。  ――この男には、救われるのかもしれない。  保住は口元を緩めて田口を見ていた。

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