30 / 242
第2章ー第30話 トンネルを抜けて
澤井はじっとしていた。ダメだったのだろうか――?
固唾を飲んで黙り込むと、彼は田口ではなく保住を見た。
「少々乱暴だ」
「そうでしょうか。斬新でいいと思いますが」
保住はそのままの姿勢で、微笑を浮かべる。それから澤井は田口に視線を戻した。
「リスクの計算が甘い。もう少し詰めろ」
「はい」
「そして、出演者の選定も曖昧だ。もっと具体策を持ってこい」
「はい」
そう言うと、企画書を乱暴に掴み上げて田口に差し出した。
「話は終わりだ」
「え?」
――どういうこと?
思わず突き返された企画書を受け取ってから目を瞬かせて「理解できない」と保住を見る。そんな田口の戸惑いなど、まるで無視なのか。軽く笑い、そのまま身体を起こした保住は、踵を返した。
「失礼します」
「えっと、あの。係長? えっと。失礼します」
さっさと澤井の部屋を出て行く保住を追いつつ、澤井にぺこりを頭を下げて、廊下に転がり出た。そして扉を閉めてから、保住の腕を捕まえた。
「待ってください! 係長」
思わず捕まえたその腕は細くて、一瞬戸惑う。
「なんだ」
「あの。意味がわかりません」
「意味って?」
「おれのプレゼンはどうだったんでしょうか? 良かったのか、悪かったのか……」
田口に腕を掴まれたまま、保住はくるりと振り返る。一気に間合いが詰まって、彼が近く感じられた。
「合格ってことだ」
「でも」
――ダメ出しばっかりじゃ……。
「話にならなければ、あの人はプレゼンを最後まで聞かない。お前はまずやり切ることができた。それが第一段階クリア」
「はあ……」
「そして次。改善点を数か所指摘されただけ。ということはコンセプト自体はOK。そのまま進めろということだ」
「えっと……」
――つまりは。この企画を進めていいっていうことは……。
そこで初めてじわじわと嬉しさが込み上げてくる。
初めてだ。まともに仕事ができた気持ちになるのは。田口はもう片方の保住の腕を掴まえると、両手でブンブンと上下に握手をして喜びを表した。
「やった! やりました! 係長!」
「お、おい……」
田口の声は妙に響く。廊下中に反響して、谷口たちまで顔を出した。
「な、なんだ?」
「田口、うるさいぞ」
「終わったのか」
「お前ら、静かに……」
注意をしに出てきた佐久間ですら、大喜びで大騒ぎになっている田口を見て苦笑する。二人の様子を見て、事のしだいを理解したのだろう。
「そうか。良かったな」
「嬉しいです!!」
田口の素直な喜びは、周囲を幸せな気持ちにさせる。そこにいるみんなが、なんだか胸がほっこりと温かくなるのを覚えていた。
***
特に保住はそう思った。素直で真っ直ぐ。叩いても叩いても、折れない田口の気質。育て甲斐がある。
――部下として。
いや、人間的に「いい奴」だ。こんな人間、出会ったことがない。
今まで、覚えたことがないような気持ちに戸惑いながらも、握られた手の温もりを味わった。
昨晩の澤井との邂逅が頭から離れずに、モヤモヤとした気持ちを抱えていたはずだったのに、田口はそれを吹き飛ばしてくれる。
――この男には、救われるのかもしれない。
保住は口元を緩めて田口を見ていた。
ともだちにシェアしよう!