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第9章ー第92話 お前はお前だ

 夜の(とばり)は、様々なことを隠す。しかし空が明るくなると、やはり現実に引き戻された。微睡んでいたものの、隣の男が起き出す気配に意識が引き戻された。  ――ここはどこだ?  我が家だ。見慣れた我が家である。だがしかし、そこにいる男は、その景色には不似合いな人間だ。薄暗い室内で身支度をしている相手を見つめると、澤井はぶっきらぼうに言った。 「帰る」 「そうですか」  掠れる声に気がつきながらも、気に止めるのが面倒で黙り込む。 「やはりお前はお前だ。父親ではない」 「それはそうです。一緒にされても困ります」 「だが、気が済んだことは事実だ」 「それは良かった……」  澤井は身支度を整えてから、そっと保住の額に手を添える。 「――すまなかったな。負担をかけさせた」 「あなたから、そんな言葉があるとは思ってもみませんでしたよ」  瞳を細めると涙が溢れる。悲しいからではない。生理的な涙だった。  あれから澤井と保住は躰を重ねた。いつもは冷静である澤井も情事の最中は夢中になっているようだった。だがしかし、大友のそれとは違っていた。彼は保住を大事に扱う。乱暴な物言いとは裏腹に――だ。熱が覚めてしまうと後悔しか残らないが、救いを求めていた澤井はどうだったのだろうか――?    澤井は保住の頬を指で拭った。 「お前には悪いが、やはり父親と重ねて見ていたところが多かったと、改めて自覚した。だがしかし。よくわかった。お前はお前。親父(あいつ)ではないということ ――それだけで十分だ」  澤井は、自分と父との区別をつけたという事を言っているのだろうか。保住はじっと澤井を見据えて口を開いた。 「それは良かったのでしょうか」 「良いことだ。これからは、きちんとお前と向き合える」 「今までとは違って――と言うことですね」 「そうだ。しかし今までのお前もお前だ」  澤井は珍しく優しい笑みを浮かべてから、保住の額にキスを落とした。 「今日は休んでも構わないが」 「いえ……昨日の分も仕事が」 「無理はするな。おれの責任だ。やっておく」 「そんなことはさせられません」 「お前は人が良すぎる」  彼はそう言って笑う。 「お前とはこれっきりか、次があるのかわからん」 「おれは御免です。これっきりにしてください」 「そうか。ならそうかもな」  保住の言葉に気分を害する様子もなく、彼は立ち去った。それを見送ってから、保住は顔に手を当てた。 「――なにをしているのだ。おれは……」  澤井との時間。  不甲斐ない。  田口のことばかり思い出す。  夜からずっとだ。 「くそっ。なんで田口なんだ……っ」  大きくため息を吐く。躰も心も疲れているのに、妙に頭は爛々(らんらん)としていた。寝ている気持ちになどなれるわけもなかった。    自分のしでかしたことに後悔の念しかないのは、どういうことなのだろうか――。  今まで、こんなことはよくあった。男とは初めてだが。相手が男でも女でも、保住にとったら大した違いはない。他人とのセックスなんて、そんな程度なはずなのに。  相手が澤井だからなのだろうか?  それとも、澤井は問題がない。むしろ田口への罪悪感からなのだろうか?  ずっとだ。  ずっと。  夜から、今も――。  自分の気持ちを持て余す。気分が高まって、じっとしていられる気がしない。保住は、痛む躰を起こし、身支度を始めた。

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