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第20章ー第176話 そばにおく? 距離を取る?

「そんなことを気に病む必要がないのに。何人もの市長と付き合って来たが、穏やかで志高い十文字市長は、みんなが好意を持っていた。恨みつらみどころか、みんな惜しんでいるくらいよ」  十文字は恐縮したように頭を下げた。 「君のお父さんなんて、随分と可愛がってもらったんだから」  吉岡は保住に視線を戻した。 「星野一郎記念館の担当は、今年から十文字です。ですから彼の予算書をお持ちしたところでした」 「そうか。なかなかわかりやすい書類を作るね」 「係長の指導のおかげです」 「ほらほら。褒めてるよ」 「いちいち上げ足を取るようなコメントは控えてくださいよ」 「そっか~。残念。またあの子、えっと……いつもの」 「田口ですか」 「そうそう。あの真面目で誠実そうな彼と会いたかったな」  吉岡は口を尖らせて文句を言った。 「それなら個人的に飲みにでも誘ってやってくださいよ。喜びますよ」 「本当? じゃあ誘ってみよう」  十文字は目の前で繰り広げられる、保住と吉岡の会話に目を瞬かせていた。「こんな人が部長?」そんな顔だ。  一般職員が、部長と出会うなんてことはそうそうないことだ。澤井のような凶悪なタイプもいる中で、吉岡は穏やかな管理職である。  しかし、その笑顔に包まれて、かなり強引なことをするということも保住は知っている。部長まで登り詰めるということは、そのくらの人材ではないと難しいということだ。 「それよりも話ってなんなんです? こんなくだらない会話をするために田仲係長を追い出したわけではないのでしょう?」 「そうそう。本題ね」  吉岡はちらりと十文字に視線を向けた。 「おれ、出たほうがいいでしょうか」 「いや、別にいいんだけどさ。――ね」  保住は首を横に振る。 「変な責任を負わせたくありません。十文字。悪いけど、先に部署に戻っていて」 「わかりました」 「優しいじゃない」 「こんな時に込み入った話をしようとするあたなが悪いんですからね」  十文字はそこで退室させた。保住の優しさだ。  ――聞いてしまったら同罪なのだ。  面倒な話を十文字に聞かせるわけにはいかなかったのだ。彼が出ていくのを見送ってから、吉岡は真面目な顔をした。 「澤井さんから聞いたよ。推進室の話」 「そうですか」 「それでね。チームを組む職員の選任も任されているということもね。目星、着いているの?」  保住は首を横に振る。 「知っている職員ばかりではありません。正直、見当もつかないので途方に暮れています」 「やっぱりね。澤井さんにもリストもらっているだろうと思うけど……。おれの希望としてはね。こっちのリストの職員も検討対象に入れて欲しいんだ」  吉岡は胸ポケットから折りたたんでいた紙を出した。  ――そういうことか。  そこで意味を理解する。澤井が提示してきた職員は澤井の息がかかっている。だから、自分のよく知っている信頼できる職員を入れて欲しいと言うことなのだろう。 「吉岡さん。おれはそういうの好きじゃないって言っているじゃないですか」 「勿論、理解している。それを承知の上でこのメンバーを決めた」  吉岡は申し訳ない顔をする。 「おれたちの時代の派閥に、君を巻き込むのは申し訳ないことも理解している。だけど、これから企画室でやっていくには、澤井の息のかかった者に囲まれてやっていくのは大変だと思う。ここから選ベっていうことではない。あくまでも検討の対象に入れて欲しいというものだ」  保住は書類に視線を落とした。そこには星音堂(せいおんどう)の職員の名も書かれていた。 「これは」 「水野谷と徹夜で考えたリストだ。おれたちが市役所職員としてやってきた中で、この職員はいいと思った素晴らしきリストだと自負している」 「吉岡さん」  ――純粋にそこを推したいだけじゃないか。  保住は吹き出した。 「笑うなよ。これでも心配している」 「すみません」 「大変な部署だ。君の力になってくれる職員を是非配置したい。異動はあり得ないから、人選を間違えると三年間辛い思いをする。だから。ね。慎重に。澤井のリストだからとか、おれたちのリストだから、とかではなくて。よく客観的に見てもらって。候補は多いほうがいいと思うのだ」 「そうですね」 「田口くんは連れていけ、と澤井さんに言われたんだって?」 「よくご存じですね。澤井が言ったんですか?」 「いや。別ルートからね」  市役所内部には盗聴器でも仕掛けられているのではないかと思うほど、上層部に情報は筒抜けだ。異様な世界だと思った。 「おれも田口くんは優秀だと思う。そして、君をすごく支えてくれていると思う。だけど」 「だけど?」 「近すぎやしないかと、それだけが心配だ」 「近すぎる、ですか」  吉岡が二人の関係を知っているのかどうかは、わからない。 「関係性がぎくしゃくすると、仕事もうまくいかなくなると困る。それだけ心配している」 「そうですね……それはおれも思っています」 「だから連れていくのかどうかは、よく考えたほうがいい。少し距離を置きながら仲良くするのはいいことだと思うけどね」  吉岡は澤井とは逆のことを言う。澤井は田口とは離れるなと言う。  吉岡は距離を置けと言うのか。  どちらもどちらで間違ったことは言っていないのだと思う。選ぶのは自分――そういうことだ。 「アドバイスありがとうございます。このリストは参考にさせていただきます」 「よかった。早めに渡せて」  吉岡は大きく伸びをする。 「あのね」 「はい」 「いっつも付き合い悪いだろう?」 「すみません。仕事で」  吉岡は首を横に振る。 「水野谷が君に会いたがっている。今晩は赤ちょうちんに七時ね」 「強引ですね」 「用事あるの?」 「仕事です」 「じゃあ、いいやじゃない! 仕事は明日でいいからさ。佐久間ちゃんにも言っておくから」 「結構です」  保住は呆れた。これは一度、どこかで付き合わないと収まらない気がする。 「わかりました。お付き合いしましょう」 「やった」  吉岡はさっそく携帯を出すと、どこかにかけ始めた。 「あ、もしもし。吉岡だよ。そうそう。OKだって! じゃあ、今晩ね~」  女子高生の会話か。 「水野谷もいいって。楽しみ! 仕事がんばろ~」  彼はにこにこっとして立ち上がった。 「では失礼いたします」 「またね~」  手をぶんぶん振って子供みたいだ。梅沢市役所で出世している人間は、変わっている。変わっている自分がそう思うのだ。よほど変わっているに違いない。保住はそう思った。

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