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第23章ー第212話 守るための力
「澤井は使い用だ。立ち位置を変えれば、あなたにとって大変力になる存在になるはず……」
「お前がいいように使っているようにか?」
「おれは使われている方だ」
「そうだろうか? 惚れた弱みか、澤井はお前には甘い。なんだかんだ言っても結局はお前の意のままだろうが」
「そんな風に受け取られているなんて心外だ。あの人は気まぐれ。今はこんなんだが、いつ掌を返すのかわからない。一職員であるおれが敵う相手でもない」
保住は槇を見た。
「あなたのここでの地位は、安田市長に依存している。もっとやりようはあるはずだ。敢えてリスクの高い方法を選ぶ必要はないと思う。それに、もう時間は限られているのに、何故そんなに権力に固執する?市長の時間は少ない。円満に終わる事を選択しないのか」
窓の外に視線を向けていた槇は、そのまま呟くように続ける。
「今の役所は誰かの傘下に入らないと上には行けない。君のように意に反して巻き込まれ、押し上げられる人は稀だ。君にとったら不幸以外の何ものでもないことかも知れないが、そう言ったものが欲しくても手に入らない職員が大半なのだ」
「おれは迷惑だ。そんなものがあるせいでやりにくくて仕方がない」
「それは贅沢な悩みだ。一般職員はそうではない。あわよくば、上司に気に入られ、その上司が更に出世し、自分を引き揚げてくれることを待つしかない。不透明な人事の結果だ」
――不透明な人事か。それは自分も同感だ。人事の内情はその部署にいかない限りわからない。
「昇進試験がないからな。明確な判断基準がないおかげでそういうことは起こりうる」
そこまで話して気がついた。
――ああ、そうか。わかった。
保住は槇を見つめる。
「野原課長のこと、心配しておられるのだな」
――図星か。
槇は眉間にシワを寄せて保住を見ていた。
「野原は、……雪 は、あんな調子だ。無愛想で、不器用。真面目で仕事熱心なのに、なかなか目立たない。融通も効かないし、上司には嫌煙されるタイプだ」
「しかし、能力が高い。今までになく出来た上司だ。だからこそ、勿体ない」
「勿体ない?」
「そうだ。こんな不正に加担させて、潰すつもりなのか? 澤井に目をつけられた職員は酷い目に遭う。おれがその典型例だ。野原課長が大事なら、わざわざあの人に手を出すのはやめた方がいい。澤井は徹底的に野原課長を潰しに掛かる男だ。おれや田口のことを見たらわかるだろう?」
槇は保住を見る。
「君は田口くんを随分と信頼しているのだね」
「当然だ。あいつは、あいつの実力でやっている。おれが擁護しないといけない、なんてタイプでもないし、そんなことは望んでいない。おれがあいつを守るなんて、おこがましいことは思っていない」
「おこがましい、か」
「野原課長の仕事ぶりをちゃんと見てあげないと。それは、あなたしか出来ないことだ」
そんなに大事だというなら、ちゃんと向き合え。野原はそんなか弱いタイプでもない。今までになく良い課長だ――。
保住は知っている。若い職員には、厳しい上司だと嫌煙されているようだが、接点が多い各係長たちは、信頼を置いている。裏表がないからだ。保住とは違った視点の持ち主だが、それを受け入れないわけではない。槇が思うほど、柔な男ではないと言う事だ。
こんな事を言うなんて自分らしくもない。人のことなんてどうでもいいタイプなのに、柄にもなくおせっかいなことをしたと思った。保住は頭を下げる。
「では、失礼いたします」
「お疲れ様」
――不器用なのはお互い様か。
考え込んでいる槇を置いて、廊下に出る。寝癖の件でイラついていたが。槇の野望の理由が、思ったよりも人間らしい、他人にはどうでもいい利己的な理由に呆れる反面、なんだか笑ってしまう。槇は野原が好きで心配しているのだ。
――課長はどうなのだろうか?
「あの無表情男の心の内は計り知れないな」
事務所に戻ろうと角を曲がった瞬間、腕を掴まれた。
「な、」
体を引かれて顔を上げると、そこには澤井がいた。
「副市長」
「槇に巻き込まれたか」
「いえ。問題ありません」
人の往来も多い。距離の近い立ち位置は好まない。保住は視線を逸らした。
「すまないな。おれのせいで」
頭上から降ってくる言葉は素直で気味が悪かった。
「あなたらしくもない」
「この地位までくると、恨まれごとも多い。これからも何かと巻き込まれるだろう」
「あなたが退職されるまでの間です」
「寂しいことを言う」
「事実ですよ」
多分——彼が退職したら、会う機会はない。プライベートでの接点は皆無だからだ。彼との繋がりは、あくまでも仕事だ。
「槇はおれを探っているが、おれも槇のことは理解している。あいつが一番嫌がること、やる気になればやれるが」
「しかし、野原課長に手を出すおつもりはないのでしょう」
「今の所はない。しかしおれの大事なものに手を出したら即刻行使する」
「あなたを敵に回すほどバカな男ではありませんよ」
「いや、大事なものを守るが故に何もできない腰抜けだ」
「それは」
「若さなのだろう。保住、お前は上に行きたくないと言うが、田口を守りたいのなら、ここまで来い。口ばかりたっても意味がない。力がなければなにもできん。おれがいなくなっても上に取り立てられる機会は巡ってくる。必ず掴め。今回の件でよく理解しただろう?」
「澤井さん」
彼の言っていることはその通りかもしれない。権力だけがいいものではないのはわかっている。だが、力無きものはまた、誰も守れない。
澤井が強気な振る舞いが出来るのは、それ相応の担保があるからだ。後ろ盾も、コネも使えるものは使え。彼はそう言う。そんなものは煩わしい、嫌だと思っていたが、守りたいものができたからこそ、やらなくてはいけないこともある。
形は違えど、澤井も、槇も、そして吉岡も。みんながそうなのだと理解した。そして――きっと自分も。
「退職までおれは、お前を手放す気はない。例えおれに反旗を翻そうともな」
はっとして顔を上げる。
――信頼してくれているのだ。この人は。
大嫌いだけど。
「見縊らないでください。そんなに尻軽ではありません。あなたから頂いたたくさんのご恩。かならず精算いたします」
「そうか。楽しみにしていよう」
澤井は笑うと、そっと保住の肩を押した。
「またな」
「はい」
廊下に消える澤井の背中を見送ってから、事務所に向かった。
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