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第27章ー第236話 そわそわドキドキ

 二月の議会は無事に終わり、三月になるとオペラの上演で忙しい。振興係は人の異動だけでなく、ともかく忙しい時期にかかっていた。 「あわわ」  そわそわとしている十文字の隣で、急に田口がコーヒーをこぼす。 「おいおい。お前までそわそわしているな」  保住は苦笑した。 「すみません。集中しているつもりなんですけど……」  そんなことを言っている段階で集中できていない証拠だろう。パソコンから手を離し、保住は頭の後ろで腕を組む。 「三月はそわそわの時期だな~」  渡辺も頷く。 「本当です。そろそろ異動の肩たたき、始まりますか」 「ですね」  谷口もボールペンをくるくるさせて表情を厳しくする。 「今年の異動は見えませんよね」 「そうですね」 「係長も異動対象だし、そういう渡辺さんやおれだって」 「三人も異動したらどうなるんだろう?」  田口と十文字は顔を見合わせる。 「おれたち二人ではな」 「自信ないですけど」 「でも、その可能性は大?」  谷口の言葉に田口も頷いた。 「そうですね。渡辺さんは、五年だし。谷口さんは四年。係長は四年。おれは三年」 「係長クラスは早くて二年だから、長いですもんね」  渡辺の言葉に保住も頷く。 「初めての係長職だし。少し長めにおいてくれたようですね」 「そうは言っても限界ですよね」 「さて、どうなることやらだな。田口や十文字に任せられるように仕事引き継いでおくか」 「そんなこと、言わないでくださいよ~」  十文字は気が気ではない。そんな様子を眺めながら、田口は大きくため息を吐いた。同じ家に住んでいるとはいえ。職場が別になるのかと思うと不安なのだ。  ――それに。一大事。三月といえば……。  定時を知らせる鐘が鳴った瞬間。田口はパソコンを閉じた。 「すみません。お先に失礼いたします」  今日は早く帰るなんて聞いていない保住は目を瞬かせる。 「そうか」 「お疲れ」 「なんだよ~、そんなに急いじゃって。飲み会? 彼女?」 「失礼します」  谷口の問いになんか答える暇もなく田口は鞄を抱えて、さっさと事務所を後にした。 「なんだ、あれ?」  残されたメンバーは顔を見合わせてから苦笑した。 ***  田口が早々に帰宅した理由はわからない。彼が事務所を出てからすぐに入ったメールには『今日は少し寄るところがあります。先に帰っていてください』と書いてある。先に帰れと言われても仕事が終わらない。特に面倒なので『了解』とだけ返答した。  ただ田口がいつもと違った行動をしていることに不審感は出てくる。どういうつもりなのか。気にすることでもないのだろうが。そんなことを考えていると、ふと残っているのが十文字だけという状況に気が付いた。  心ここにあらずか。集中できないのだろう。仕事の効率が上がっていないのは見ていて分かる。 「大丈夫か。帰れないか」  保住の声に彼は弾かれたように顔を上げた。 「いえ。えっと。すみません」 「効率が悪いなら今日はやめたほうがいい。明日までに仕上げなくてはいけないものがあるのか」 「そういうわけでは……」 「じゃあ、帰れ」 「……でも」 「うだうだされていたのでは目障りだ」  言葉尻はきついが保住の優しさだ。十文字は諦めたのかパソコンを閉じた。 「係長」 「なんだ」 「異動してしまうんでしょうか」 「おれか? そうだな。異動だろうな」  彼は黙って保住を見る。 「この職だ。仕方なかろう」 「そうですよね。でも。すごく、この今のメンバーで仕事ができて良かったです」 「そう思ってもらえるなら嬉しいな」 「はい」  彼は荷物を抱えあげると頭を下げて帰っていった。  不穏な彼をここに残すのは心配になる。田口もいなくなるのだ。多分、残されるのは谷口と十文字だろうな。そんなことを考えてから手を止めると野原がやってきた。 「保住」 「お疲れ様です。なにか」 「残業が増えている。不都合ある?」  彼は田口の席に座ると保住を見据えた。  ――心配しているのか。この人が? まさか。 「すみません。異動があるのかと思うとやりたい事が山積みです。自分の自己満足なんですがね」  野原は保住の手元にあるマニュアル集を見下ろす。 「案外、残されたものはそれなりにやるものだ」 「そうなんですけどね。それはわかっているのですが……」 「さすがのお前もこんな膨大なマニュアル作るのは時間が掛かるってこと」 「そうみたいですね」  彼はじっと保住を見つめたまま呟く。 「市制100周年記念事業推進室の創設。若手の先鋭を集めたスペシャリスト部署」 「なんです? その恥ずかしい文句は」  保住は笑うが野原はふと口元を緩めた。 「全く馬鹿げた謳い文句だけど、議会ではそのように説明された」 「興味もないので。すみません。把握しておりませんでした」 「お前らしくもない」  保住はため息を吐く。 「正直言うとワクワク半分。気が重いのが半分です」 「お前が?」  野原は意外そうに目を瞬かせた。 「おれの決めたメンバーでやれることは光栄ですよ。ただしもう一人は」 「そんなこと?  澤井が貰い受けると聞いている。ああ、ヤキモチ?お前以外の職員を欲しがっている澤井への嫉妬」 「そう見えますか」 「そう見えなくもない。けれど、それだけでもない気もする」  さすが野原。思慮の深い男だ。

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